辰野町樋口に「史跡:樋口次郎兼光の墓」が建立されています。兼光は木曽義仲の四天王の一人と言われた武将で、元服後にここ樋口に居を構え「樋口」を名乗った事から、この場所に墓碑が建てられました。
「乳母子(めのとご)として義仲と共に育ち、弟の兼平と共に忠臣として仕える。治承四年(1180)の義仲挙兵に従って各地を転戦。寿永二年(1183)の倶利伽羅峠の戦いで活躍し、義仲と共に入京。元暦元年(1184)正月、義仲に離反した源行家・源義資を討伐するため、河内国石川へ出陣するが、その間に鎌倉軍が到着し、敗れた義仲は粟津(滋賀県大津)の戦いで討ち死に。翌日、義仲の死を知った兼光は京へ戻る道中で源義経の軍勢に生け捕られ、義仲らの首と共に検非違使に身柄を引き渡され、渋谷高重によって斬首された。」案内より抜粋
敷地内に祀られる「石祠・石碑・石仏」群
同じ敷地内に、明治期『山県有朋』によって建立された「彰忠碑」。
辰野町沢底、日本最古の道祖神に向かう途中に見かけた「アズマイチゲ群生地」の看板。残念ながら季節的にまだだったのか、それとも遅かったのか・・何もありません(^^;)
かわりに、看板近くの土手に福寿草が咲いていました。
厳しい冬の寒さに耐え、雪解けとともに可憐な黄色い花を咲かせると言われる福寿草ですが、4月も終盤のこの時期に、こんなに可憐な姿で私たちを出迎えてくれました。「幸せを招く」「幸福」 花言葉通りの幸せをありがとう。
辰野町沢底鴻之田で見かけたお蔵の鏝絵は、波頭を蹴立てて天に上る昇龍の図。
辰野町上平出の一画で見かけた・・・これは多分「シルバープリベッド」、と思うけど自信ない 😓
訪問日:2016年4月25日
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