平生町佐賀、平生湾に面した標高39メートルの神花山(じんがやま)の山頂部にある前方後円墳「神花山古墳」。全長約30メートル、高さ約2.5メートルで、5世紀前半(401~450)に造られたものと推定されています。
古墳の発見は昭和19年、山の頂上に高射砲の陣地を構築するため敷地をつくっていたところ、ほぼ全身の人骨が納められた石棺を発見。当時は壮年男性のものと考えられていました。その後の敗戦後の混乱により、頭骨だけが無事に保存され、昭和62年、長崎大学医学部の松下教授の鑑定により、遺骨は20代前半の女性の頭骨と判明。古墳時代の女性の人骨が発見されることは、大変珍しく貴重と言われています。
平生町民俗資料館には、遺骨をモデルにして作られた復元像が展示されており、その像をもとに建立された、高さ約10メートルの「古代女王像」。
回天の碑に手を合わせ、登ってきた神花山。海は何事もなくおだやかで、その眺めは悲しいほどに美しい。
1500年~の時を経て神花山の頂上に立つ美しき人よ。貴方の目に映る未来の世界を、今、貴女はどんな思いで見ているのでしょうか。
平生町曽根、南周防大橋の袂にある「ひらおボートパーク」
その一画に、佐合島出身で自由律俳句では、種田山頭火、江良碧松と並んで「周防三羽がらす」と呼ばれた『久保白船』の句碑。【 青波わたる それが とんぼう 】 昭和15年(1940)10月、山頭火が亡くなったとの知らせを受けて、松山市に急行する際に詠んだ句。
南周防大橋のレリーフは平生町の花木「黒松」「菊」
平生町佐賀、佐賀地域交流センター尾国分館前に建立されていた万葉歌碑。
【 沖辺より 潮満ち来らし 可良の浦に あさりする鶴(たづ) 鳴きて騒きぬ 】(沖の方から潮が満ちてきたらしい。可良(から)の浦で餌を探す鶴が鳴き騒いでいる。)万葉集 巻十五 三六四二
約1,300年前の万葉集に出てくる「可良の浦」は、長い船旅の途中の風待ち、潮待ち、補給、給水のできる良い港であったと言われています。その水は今も尽きることなく「上関温泉」の敷地内に湧き出ており「万葉の水」と言い伝えられています。車泊旅に美味しい水は最高の贈り物、有難くペットボトルに頂戴しました。🙏
訪問日:2013年4月18日&2015年11月17日&2017年11月28日
今日は夕方から雨の札幌です。
明日は晴れるようです。
「古代女王像」
かなり大きな像に見えますね。
昨日は主人の通院。
そのあとダウンして寝込み
コメントのお返事遅れてしまいました。
ブログは自動投稿なので
ほっといてもUPされます(笑)
10mの古代女王像~迫力ありましたよ