松江をこよなく愛した明治の文豪『小泉八雲』、帰化前の名は『ラフカディオ・ハーン』。明治29年に日本国籍を取得し、出雲国の枕詞「八雲立つ」に因んで『八雲』と名乗りました。
数々の怪談話の作者としても有名ですが、小学生の頃に「ろくろ首」を読んで、何度も夢にうなされた嫌な思い出があります (ーー゛);
その八雲が松江に住んでいた頃、通勤途中に毎日のように立ち寄ったのが、この城山稲荷神社。
城山稲荷の神狐たちをこよなく愛した『八雲』。中でも特にお気に入りがあったと言います。 探す手間なんて全く不要で、有名人に愛された神狐は、このように特別な場所を提供されるのです(笑)
確かに何ともいえない優しい顔立ち、見ていれば常日頃の悩みもふわっと消えていきそうな。もともとが穏やかな顔立ちだったところに、長い年月が鋭さをすべて取り払ってしまった・・この優しい神狐を愛した『八雲』、もしかしてあのどこか悲しい怪談話の構想もここで練られたのかも。
ちなみに随身門の近くにいた比較的新しい神狐さんですが、八雲の愛した狐の復元だそうです。 特別製の台座に座り、参拝者を見る愛らしい顔立ちは、屋根の下で余生を過ごす神狐さんと同じで、穏やかに優しい。
さて、神社の言い伝えに【初代藩主の夢枕に現れた美少年は自らを稲荷真左衞門と名乗り「私はあなたを全ての災厄から守りましょう。城内に住む場所を作ってくれるなら、城内はもちろん、江戸の屋敷まで火事から防ぎましょう」と告げました。そこで早速城内に稲荷神社を建てたのが、この城山稲荷神社です。】・・・・当時、この神社のお札は火難除として市中どこの家の軒先にも貼られていたと言います。『八雲』は、これが松江唯一の防火設備であると添えて、その神札を大英博物館に送ったそうですが、果たして真の意味まで伝わったのかどうか(-_-;)。
稲荷社の境内に小さな稲荷の祠が奉納され、さらにその祠に次々と奉納される陶器の神狐。お江戸の昔から現代にいたるまで、沢山の祈りや願いを聞いて来た稲荷の神狐たち・・
それではここから先はひたすら神狐さん。何処までも神狐さん(^▽^)/
この沢山の神狐さんを画像に収める為に、ずっと中腰で頑張ったご亭主殿(^^;)
所狭しと、奉納された神狐さん。 奉納された時代も、誰の願掛けなのかも判らなくなっても、神狐たちは身じろぎもせずここに座しています。
本当はどれも捨てがたく愛着を感じるのですが、何しろその数1000体・・とても全部の紹介は無理。 だからここに紹介したのが特に良かったとか、他にぬきんでて何かあるとかでは決してありません。
ただ、たまたま何百とある神狐さんの中の何体かを画像に残していた・・と言う認識で捉えてくれればと思います。
稲荷の神狐たちを護るように、時折現れる出雲丹後の狛犬さん。
ああ・・・こちらは随分と新しい神狐さんたち
何故かカラスの背に乗った天狗さんまで・・(^^;)
御神木の下にも実は神狐さんがぎっしり!
「御供竈:藩主が毎月のお祭りや大祭に奉納するご飯をこの竈で炊いてお供えしました」
ラストは、あまた居られる神狐さんの中で何故か波長が合った一体。お体に触れた時、かなり痛かった足の痛みがふわっと和らいだように思えたのは、きっと気のせいじゃ無いよね。
参拝日:2011年5月19日
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