土佐日記の作者、古今和歌集の撰者として知られる『紀貫之(きのつらゆき)』。南国市比江(ひえ)には、48代目の国司として赴任した紀貫之が、四年間を過したと云われる屋敷跡があります。
【土佐日記 懐にあり 散る桜】高浜虚子 昭和6年(1931)4月2日、紀貫之邸跡を訪れた時の作。
天明5年(1785)5月建立の「紀氏旧跡碑」。東面には【あふく世に やとりしところ末遠く つたへんためと のこすいしふみ】権大納言『日野資枝(ひのすけき)』。右に並ぶのは貫之自筆とされる「月」の字の碑。
碑・像好きには堪らない旧跡、ひたすら石を見つけては駆け寄ってデジカメを向け続ける私😄。何と言うか・・堪りませんわ~😍
1999年に建立された国府の碑には【土佐のまほろば ここに都ありき】の刻。「まほろば」は、楽園、理想郷を表す言葉として、「倭(やまと)は 国のまほろば~ 」と詠った「倭健命」の歌でも知られています。
【はかなき道にのみ名をとゝむるこそ いとくちおしきわざならめ・・・】の書き出しで始まる「千載不朽」碑。大正9年(1920)の建立。
1989年に国府史跡保存会により建立された「土佐日記」碑の二首。実際は全文平仮名なのですが、とても読みづらいので漢字変換しました。
【都へと 思ふをものの悲しきは 帰らぬ人の あればなりけり】
【棹させど 底ひも知らぬ海神(わたつみ)の 深き心を 君に見るかな】
【京偲ぶ 地の名山の名 蛍とぶ】憲明
紀貫之邸跡に隣接して、古今和歌集選者であった紀貫之にちなみ、和歌32首をその草木に掲示。平安朝をテーマとした「古今集の庭」が整備されています。
【紅(くれない)の はつ花そめの 色ふかく おもひし心 われ忘れめや】読人知らず (古今和歌集 723)
(初咲きの紅花で染めた色のように、あなたを深く思っていたこの心を、私が忘れることなどあるでしょうか )
訪問日:2018年6月16日
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