伊達市梁川町八幡堂庭に境内を構える真言宗豊山派寺院「八幡山:龍寳寺(りゅうほうじ)」。『大日如来』を本尊とします。信達三十三観音霊場第三十一番札所。信達三十三観音霊場第三十三番札所。
創建は不詳「延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂が東夷東征の際、観世音菩薩に戦勝祈願した所、見事勝利した為、感謝の意から観音堂を建立、後に空道上人が草庵を結び堂守としたのが始まりとされる。当初、光明院と称し、平安時代後期の永観年間(983~985)に勧請された、伊達66郷の総社:梁川八幡神社の別当になり近世に入り亀岡寺、後に龍寳寺と改名。梁川城主・伊達氏との関係が深く、米沢城、岩出山城、仙台城と伊達氏が居館を変える毎に同名の寺が随行し仙台では大崎八幡宮の別当となった。梁川に残った龍寳寺は信達三十三観音霊場結願札所の観音堂(鬼石観音)の堂守として信仰された。」
境内入り口に、江戸時代に建てられた切妻、茅葺、一間一戸の「薬医門」(市指定有形文化財)。
荘厳な佇まいで座す本堂。
本堂の棟より仏域を守護される「鬼」。開いた口から覗く歯が阿吽を表しています。
享保3年(1718)に建立された「鬼石観音堂」。『聖観世音』を御本尊とし、信達三十三観音巡礼の最期の巡礼地とされます。
御詠歌【逆緑も 巡礼堂に納めつつ 松の嵐も 法の言の葉】
境内に建立されていた石仏・石塔群
宝暦12年(1762)に建てられた、入母屋、茅葺、袴腰の「鐘楼」(市指定有形文化財)。銅鐘は戦時中に供出されましたが、昭和63年に再鋳されました。
本堂の裏手に広がる誇大な蓮池
参拝日:2015年6月22日
こんにちは!
雨の札幌。
今週はびっちり雨です。
鬼のような、形相。
怖い顔ですね😆😆
こちらも台風の接近で予報が出ていますが
流石に台風とセットは嫌ですね^^;
寺社の鬼瓦は「魔」を退ける存在なので
強面でないと務まらないかもしれませんね。
東北の山に登ると各所に『源太森』という地名がありますが、これは義家が陣を構えたり幟を立てた場所などと言われています。
義家以来の清和源氏は八幡大菩薩を守護神とし、特に頼朝はこの傾向が強く、鎌倉には鶴岡八幡を建立しました。
現実には頼朝による奥州征伐の影響が大きいのかな?と思っています。
奥州藤原氏の遺領に有力御家人が領地を得、その際に八幡社を勧請したと思われます。源太森の地名も奥州征伐の際に、後三年の役で戦勝した義家に倣って付けられたのかな?と思います。
「源太森」なる存在は初めて知りました。
頼朝と八幡神の結びつきは有名で、わが町の八幡宮境内にも、頼朝ゆかりの松が残されています。
また頼朝以前の楠公ゆかりのものもあり、武神としての信仰の厚さを感じさせられますね。