観光案内に有るように、山門の後方に本堂が見えるように写そうと思うのですが、それだとかなり後ろの道路上からでないと無理だと言う事が判明。そこでデジカメを構えたままじりじりと後じさり。何とか石塚の森・本堂の屋根・山門が一直線に連なった姿を納める事ができました。
山門は仁王門で、内陣には比較的新しい建立と思われる一対の仁王像が収められています。
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山門貫には、これも阿吽一対の獅子と獏の彫刻、黒ずんだ目が年代の所為なのか凄みを増してちょっと怖い。ちなみに獏と断定的に書きましたが、実は「獏と象」はとても紛らわしいのです。違いは耳が垂れて耳孔が見えなければ「象」。耳が上がっていれば「獏」。でもたま~~に、中途半端な耳で見分けられない場合もあります😥
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その点、獅子はどんな風貌であっても、何をしていても「獅子」なので紹介も楽😊
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本堂へ向かう石段の前では、紅蓮の炎の中に立つ「不動明王像」。「長勝寺不動堂の浪切不動」は秘仏とされている為、実際にそのお姿を見る事はできません。もしかしたらその代わりと言う事での「前立ち(まえだち)」でしょうか? 結構、迫力があります。 ちなみにですが「浪切不動」と「不動明王」は同一の存在、特に海上安全に加護がある時「浪切」を冠します。
本堂に至る石段の途中には、「新上総国三十三観音霊場・第三十二番の札所」。 こちらには「ぼけ封じ観世音菩薩」と「子育水子観世音菩薩」が安置されているとのことです。
目を引いたのは、お坊さんが力強く筆書きした「ぼけにかつ」の短冊、とても切実感が増します😆 わたしたちもいずれ人事でなくなる時がきます。ぼけに負けないようにしなければ!!
こちらの朱塗りの祠は「出世庚申堂」。本堂の裏手にあったもので『出世庚申尊』が安置されます。出世に縁の無い生活になった今の、なんとも気楽なこと。それもまた神仏に感謝ですね。
「同行二人:四国八十八ヶ所お砂踏み」の片隅に、「成東山 不動鑛泉」の井戸跡と碑。案内板によれば、かってこの付近にはラジウム鉱泉の温泉宿「成東館」があり、著名な作家たちがたくさん湯治に訪れたとありました。昭和30年に発刊された『泉鏡花』の「新泉奇談」では、この「成東館」が舞台となったそうです。
確認を怠ってしまったので詳細は不明ですが、【初霞・・】で始まる句碑も建立。
もう一基は、最初の一文字が「稲」かなと思うも、達筆すぎて何と書いてあるのか全く不明。折角見つけて画像に残しても読めないというのは、本当にフラストレーションが溜まります😣
不動堂の石段を降りて、境内の左手には『乃木希典』が揮毫した「表忠碑」。 国を想い国に殉じた人々を尊ばない国家は、いずれ無様に滅びてしまう・・と、私は思っています。
境内の案内、最期は「不動院」の扁額が架けられたお堂で、納経などはこちらで行われるようです。御朱印も多分こちらだったのでしょうが、なんだか酷くバタバタしていて、お願いしそびれてしまいました😥
参拝日:2019年3月10日
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