政・財界人の別荘が多く、また皇室の御用邸もあった事から「海の有る軽井沢」と謳われた沼津。沼津市下香貫島郷にある「沼津御用邸」は、明治26年(1893)に『嘉仁親王(大正天皇)』の御静養先として造営されました。
昭和20年(1945)7月の沼津大空襲で本邸を焼失、昭和44年(1969)12月に御用邸は廃止されて沼津市へ移管。翌年7月、残された東附属邸と西附属邸を中心として周囲の緑地と共に、沼津御用邸記念公園として開設。
記念公園入り口の左右に建てられた白塗りの門番所は、本邸正門前と併せて三か所あり、沼津御用邸のシンボル的存在として、菊の御紋と共に記念スタンプのデザインに採用されています。
友人Jさんが一緒の沼津御用邸スタートは、冒頭の「東附属邸の正門」を経て「西附属邸」の見学・・の予定でしたが、開館時間には間があるという事で、起破風(むくりはふ)屋根の玄関だけを画像に納めて、先に園内の散策へ。
西付属邸から離れた位置に「調理室」と並んで「湯沸所(ゆわかしじょ)」があり、案内には ここで沸かしたお湯を調理室や御料浴室に運んで用いたとあります。 御殿の中ではなるべく火気を使用しないようにとの配慮から、湯沸所は御殿の外なのだと聞いて「おお、なるほど!」「だよね~、何かあったら・・じゃすまないものね」とまぁ、賑やかなこと。気分は、まんま遠足。御亭主殿は完全に無視(笑)
湯沸所と道路を挟んで幾何学的な美しさを見せる「沼津垣」。駿河湾に面した沼津市付近は西風が強く、それを防ぐために古くから沼津垣が利用されてきました。使われる竹は「箱根竹」と呼ばれる東根笹(あずまねざさ)の一種で、箱根周辺に特に多く見られたそうです。細い雌竹を十数本ずつ束ねて杉綾模様に編み込まれた沼津垣、頑丈さだけではない美しさに思わず惚れ惚れ。
手入れの行き届いた園内を更に進み、見事な黒松の林に守られたような遊歩道を抜けて芝生広場へ。
芝生広場を抜けて更に千本松原に連なる広大な黒松の林へ。何しろ敷地面積は104,402.1平方メートル。とにかく広い。女二人のキャピキャピに文句も言わず付き合ってくれるご亭主殿、う~~んやっぱり良い男(^◇^)
耳をすませば、かすかに聞こえてくる潮騒。沼津の御用邸をこよなく愛されたと言う昭和天皇が、多分歩かれた筈の同じ道を私も歩いている・・正直言って感動してます。
そして運が良ければ北西の方向には富士山が見える・・富士山が見える、見える筈・・・でも見えない。
有刺鉄板の柵の中ではこれ以上体を乗り出せないし、どうしても富士山が見たければいったん外に出て改めてこの遊歩道を行くしかないみたい。
とぼとぼと引きかえす松林の中・・そこで見つけた謎のコンクリート蓋。もしかして汚水用のマンホールかもと思ったのだけど、どこにも手掛かりがない(-"-)
後ろ髪惹かれながら黒松の林を抜けて進むと「茶室:駿河待庵」が見えてきます。
「茶室:駿河待庵」は、日本最古の茶室建造物である「待庵(国宝)」の写しだそうです。
実はその「待庵」がある大山崎町に何度か行きながら、まだ一度も塀の内側の実物を見た事がありません。見学する為には、1か月前までに往復はがきでの予約が必要などとハードルが高く、いつかはと思いながらも・・・多分このままの気がする。と言う訳でこれは本当にラッキー。
そこから引き返し、流水池を見ながら園路を進んでいくと「東附属邸」の建物が見えてきました。今回こちらの見学は予定していないので、屋根だけでも見られてお得・・だったのかな?(笑)
訪問日:2016年12月9日
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