鳥取市青谷町鳴瀧に鎮座される「神前神社」。御祭神は『猿田彦命・天宇受売命』
社伝・青谷町誌に「慶長四年(707)、鳴滝村美古峯に鎮座。貞観十七年(875)、因幡国正六位上神前大明神に従五位下を授与。至徳二(1385)年鳴滝村亀山(現在地宮坂)に奉還。往古より武将の崇敬厚く、近隣城主からも寄進を受ける。元弘三年(1333)後醍醐天皇、船上山に還幸の際、帝位復興の代参祈願をする。明治元年境内末社「稲生神」を合祀。明治四十年神饌幣帛料供進社に指定。大正元年、山田字富貴谷の子守神社(猿田比古神,天宇受売神)。北河原字二本平の糟〇神社(保食神,倉稲魂命,天津羽原命,天津浦命)。吉川字屋敷廻りの菅田神社(大山祇命)。亀尻字下モ家ノ空の亀尻神社(与田別尊,倉稲魂命,竹内大臣,天照大神,保食神)。を合祀。」
境内まっすぐ、隋神門の右手・玉垣の中に「御神木・神前神社のケヤキ」。樹高・15m、目通り幹囲・5.6m、推定樹齢・300年以上。
大欅の前に建立された大灯籠。「文政十丁亥年九月吉祥日」「石工 靑屋 徳三郎」の刻。隋神門の左右より神域を守護されるのは構えタイプの狛犬さん一対。
「昭和天皇御大典記念」「昭和三年三月吉日」「平田 石義作」の刻。川六の狛犬に影響を受けながらも独自のスタイルを作り上げた『石工:石田義治』。こんな風に阿吽で並べると会話が聞こえてきそうな・・・
ここでは苔の生育がかなりはやいようで、時としてその表情を朧にしていますが、それでもじっと見ていると、やはり何やら楽しげな話し声が聞こえてくるのです。
巨大なエリンギを思い出させてくれた素敵な後姿に👏
三間社流造の本殿は文政六年(1823)、前本殿の部材を用いて建て替えられたもの。
入母屋造平入、軒向拝の拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「文政十丁亥年九月吉祥日」の刻。
通り過ぎてきた時代の長さが出雲丹後のきつい表情を消し去って、まるで道に迷った子供のようなあどけない表情・・
と思ったけど、横顔はやっぱり出雲丹後のお顔(^^;)
社殿の左に鎮座される「境内社:御霊の宮」
石段を登った奥に境内社
境内へ至る参道の右手に「天保十五甲辰三月吉旦」「石工 川六」と刻のある句碑。【 元日に 田毎の日こそ 恋しけれ 芭蕉 】訪問先リストのメモ欄からすっぽりと抜け落ちていた貴重な芭蕉さんの、しかも川六さんが制作した句碑!! 《 川六は 残せぬ物こそ こひしけれ 》です(T^T)
参拝日:2012年4月18日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます