宇部市野中・採炭の現場のひとつでもあったときわ公園の一画に、炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の「石炭記念館」があります。
「石炭産業によって飛躍的な発展を遂げた炭都・宇部。永年にわたって宇部発展の基盤となった石炭産業を後世に伝えようと、地元政財界と多くの市民の寄付によって、昭和44年(1969)11月1日に開館。翌年11月1日には炭鉱内部の様子を再現したモデル炭鉱が完成。館内には石炭の採掘・加工の様子を説明する模型や当時使用されていた器具類、採掘現場で発見された化石など3,000点を超える収蔵品が展示。屋外には矢弦車や坑内石炭運搬車、D51形蒸気機関車(18号)等が展示されています。」公式HPより
「D51形蒸気機関車-18号」
昭和45年(1970)10月から昭和47年12月1日まで厚狭機関区美祢線で、石灰輸送の貨車用として活躍。
美祢市にあった山陽無煙鉱業所で実際に使われていた「人車」。文字通り、労働者を運ぶ鉄道車両。
採掘した鉱石や石炭などを坑外に搬出する「坑内石炭運搬車」
蒸気機関の動力源として大きな役割を果たした「ランカシャーボイラー」。
ボイラー正面・・・鼻水垂らした眠たそうな宇宙人風味が「受けた(笑)」
「単胴コース巻き上げ機」
「試錐機(しすいき)」
竪坑のロープを巻き上げる「矢弦車」と思うが・・記録漏れ(^^;)
「宇部炭田発祥の地碑 記念碑」。江戸時代、石炭採掘の現場となった常盤湖は、採炭量の減少により元禄年間に潅漑用の貯水池となりました。近年になって炭田の遺構が発見され、ここが宇部における最初の採炭場所と判明した事から、1991年に記念碑が建立されました。
「抗夫」の象
明日は記念館内部~他の紹介です👍👍
訪問日:2015年11月13日
漢字の常磐はまさに永久不変の岩という意ですね。
ここで気になったのは宇部の常磐という地で石炭が採掘されたこと。
常磐は『じょうばん』とも読み、この場合は常陸と磐城=今の茨城から福島県浜通り一帯を指します。
でもってこの地に我が国屈指の炭坑が「常磐(じょうばん)炭坑」
これは偶然なんでしょうか?
永久不変の岩とはもしや石炭のことを指すのでは?と色々調べますが答えは見つからず。
一方でときわの名を関する会社について調べると、石炭商を起源にする会社が非常に多い。
日本屈指の炭坑であった常磐炭坑になぞらえてときわの名を冠したのか?
やはり常磐は石炭を指すのか?
答えはいかに?
「いは」は「磐」で、これもまた変わる事のない物。
永続的に変わらぬものに古代の人は神を見出し、磐座は文字通り神の座す場とされました。
石炭と常盤ですが、古代において巌が燃える様を見た人がいたなら、それこそ神の御業と畏れ敬ったのではないでしょうか。
石炭と言う言葉が一般となるのは明治以降の事で、かっては「もえるいし(燃石)」と称されていました。
燃える石が不変に永遠であるように、そんな思いを「常磐」の文字から感じます。
「常磐は石炭を指す」
その推論に深く同意します。