鳥取市行徳2丁目に鎮座される「聖(ひじり)神社」。御祭神は『邇邇藝命(ににぎのみこと)・日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)・事代主神』。御神紋は「五七の桐」、市民からは「聖さん」と呼び親しまれています。
「創建は不詳、棟札より宝永七年(1710)に本殿再建。その後寛政年間(1789 ~1801)に改築。拝殿は文化十二年(1815)の造営。「因幡志」に、「社伝に曰く、祭神は二座、吾勝尊・瓊瓊杵尊。行徳村の「聖大明神」が安永五年(1776)八月に正一位を授かった。」明治初期に恵比寿社を合祀。明治4年、郷社に列される。」
社殿の全景は2012年の参拝時、実はこの直ぐ後2012年6月から~2014年にかけて保存修理が行われています。もちろん、そんな事があると前もって知っていたわけでも無くその期間も知りませんでした。そういう意味ではとても貴重な一枚になりました。
こけら葺入母屋づくりの本殿は、正面1間向拝付、外壁全面に精緻な彫刻が施された建物で、棟梁は大匠『藤原十河彦太夫政次』。江戸時代中期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重なことから昭和32年(1957)に鳥取県指定保護文化財に指定。
参道真っ直ぐに入母屋造平入・銅板葺の拝殿は、正面に千鳥破風。文化十年(1813)の再建で正面に軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。拝殿右手に悠然とそびえるのは市指定保存樹林の大イチョウ。樹高・28m、樹齢は290年以上と言われており、大ケヤキと共に鎮守の森と仰がれています。
向拝虹梁には鯉に乗る「琴高仙人」。わずかしか見えていませんが破風には牡丹の彫刻。
向拝木鼻には、大きく身を乗り出して威嚇の姿勢をとる獅子一対。色の無い木彫りの獅子の口中は赤く、真っ白くギトギトに光る牙の間から覗く舌先。ランランと光る眼はしっかりと獲物の姿を捉えてハタと睨みつける!
静かに静かに・・捕らえた獲物ににじり寄る獅子の姿・・思わず後じさりしたくなるような、それでいて魅入られたかのように一歩も動けない。これほど迫力のある木鼻の獅子にお目にかかるなんて、滅多にありません。
側面の木鼻には・・・豹かそれとも虎? グイと顎を突き出した口元からは獲物を前にした歓喜が見えるような (゚Д゚il!)
真下で見るから迫力がありすぎるのだと、数歩退いて見上げれば・・ああ、お日様の光を顔に受けて獅子が笑って見える (*´꒳`*ノノ゙
木鼻の上にある屋根下の手挟みには竹林に潜む虎。
他にも反対側の手挟みや蟇股に気になる彫刻が一杯あったのですが、こういった手の込んだ細工を写すには、私たちのデジカメはお手軽すぎて・・・そんな訳で本殿彫刻もごく一部のみ。
「木鼻、肘木、尾垂木等に浮彫りを施し」・・豪華絢爛という形容がまさにぴったり当てはまる彫刻の数々・・
目を凝らせば随所に様々な神獣や神々の姿が見えてきて、あれこれと詮索し合う楽しさに夢中になり、いつの間にかカメラの存在も忘れてしまう(-_-;)
隅尾垂木は上から龍・鳳凰・象。
向拝の海老虹梁には荒波に潜む伊勢海老・・残せたものは本当に僅か。
胴羽目の彫刻「巨巌に波浪の図」「鷹と猪の図」
廻縁下。一番下には十二支の彫刻が施されています
境内末社:「稲荷社」、御祭神は『保食神』
2016年の再参拝、朱塗りの鳥居は塗りなおされ、沢山の幡が奉納されています。四年前に居た筈の神狐さんたちはどちらに納められたのでしょうか?
南参道から拝殿に向かう途中より神域を守護される昭和58年(1983)建立の機械彫り出雲構え狛犬一対。
2012年・2016年の二度に渡る参拝、それでもふり返ってみればあそこもここも画像に残し忘れたと悔やむことしきり。結局は余裕を持たない所為だと、本人が一番自覚しています(-_-;)
ラストは手水舎の隣に見つけた不思議な木。大きな木のコブ・・と言ってしまえば確かにそうなのですが
まるで小さな小さな赤子が、両手を母親の乳房に添えたまま眠ってしまったような・・そんな風に見えます。自然は時として本当に突拍子もない悪戯をして、私たち凡人を驚かせてくれますね。
参拝日:2012年4月16日&2016年10月20日
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御神名一口メモ
『日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)』、別称『山幸彦(やまさちひこ)&火遠理命(ほおりのみこと)&吾勝尊(あかつのみこと)』とも称す。『邇邇藝命(ににぎのみこと)』の第三子で『神武天皇』の父。
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