最後は「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首(柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首)」
【鴨山の 岩根しまける我れをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ】
(鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを、妻は何も知らずに待ち続けるのだろう) 巻2-223
【直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ 】
(直に逢う事はもう出来ないけれど、せめて石川に雲となって立ち渡って下さい。それを見て貴方を偲びます。)(依羅娘子)挽歌二首:巻2-225
【今日今日と 我が待つ君は 石川の峡に交りて ありといはずやも】
(今日か今日かと私が待つ貴方は石川の貝に交じって倒れているというではありませんか)(依羅娘子) 巻2-224
【荒波に 寄り来る玉を 枕に置き我れここにありと 誰れか告げけむ】
(荒波に運ばれて来る玉を枕のそばに置いて私がここにいると誰か妻に告げてくれるだろうか。)丹比真人(たぢひのまひと)人麻呂の死後、人麻呂の意を酌みて詠める一首 巻2-226
訪問日:2019年4月19日
万葉歌人として知られた『柿本人麻呂』、彼の痕跡や伝説は石見地方に特に多く見られ、日本に現存する最古の和歌集「万葉集」にも、長歌を含めて数多くの歌が残されています。
その万葉集の中に、『柿本人麻呂』の終焉之地を伝えるとされる歌が五首あり、そこから推定される終焉の地は、奈良県に一ヶ所、島根県石見に三ヶ所。そんな中、旧邑智町(現美郷町)鴨山のこの地こそ、『柿本人麻呂』の終焉地だと断定した人物がいました。
柿本人麻呂の研究に取り組み、その終焉の地を石見の国「鴨山」であると断言した人物の名は『齋藤茂吉』。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギ派の中心人物として活躍した著名な精神科医で歌人でもあった人物です。
柿本人麻呂の終焉地として挙げられる邑智郡美郷町。湯抱温泉入口にある「斎藤茂吉鴨山記念館」。玄関前に建立されているのは茂吉の歌碑。
【 夢のごとき 鴨山を恋ひてわれは来ぬ 誰も見しらぬその鴨山を 】
【むらさきの 藤の花ちる峡かいの みち女良谷川(めらだにがわ)に そひてわがゆく】佐藤 佐太郎
【年まねく われの恋ひにし鴨山を いめかとぞおもふ あひ対ひむかいつる】茂吉
最後の一枚は、車に乗って走り出した瞬間に見かけてシャッターを切ったもの。画像左【茂吉忌(き)の 雪ふる馬の 幻に・・・松村 明石】。画像右【夕顔の 終りし庭におりたちて われは何をか たのまむとする・・・苦木 虎雄】
最後は横道に逸れてしまいましたが、柿本人麻呂の繋がりと言う事で・・(歌碑は周辺や鴨山公園等に、合わせて11基が建立されています。興味のある方は是非!)
訪問日:2015年4月20日
こちらの公園にたぶん行ったことがあります。
記憶の中ではススキが綺麗だったような。本当にもう大昔の事なんですけど益田市だったのですね。思い出させてもらってありがとうございました😭
今年もどうぞよろしくお願いいたします🌼lily
万葉歌碑公園
しっとりと落ち着いた
穏やかな空気の公園、
雨もまた一枚の絵😊
同じ場所を歩かれた・・
そう思うだけで 何だか嬉しくて
幸せな気持ちになります
今年もどうぞよろしくお願いします🙏