車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

名和(なわ)神社 in 鳥取県大山町 

2017年06月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

山陰有数の桜の名所として知られる大山町名和に鎮座される「名和(なわ)神社」。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一つで、御祭神は『名和長年公』。合祀『名和一族以下四十二名』

由緒「承応・明暦の頃(1652~1658)『名和長年』の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡とされる場所に小祠を建立。延宝5年(1677)、名和邸跡の東方日吉坂の「山王権現」の社地に新たに社殿を造営して遷座し、「氏殿権現」と称した。明治7年(1873)「氏殿神社」となり、明治11年(1878)「名和神社」と改名。翌:明治12年、別格官幣社の中での名和神社の順序を湊川神社の次にすると定める。」

鎌倉時代末、隠岐国から脱出した『後醍醐天皇』を迎えて倒幕に力を尽くし「三木一草(さんぼくいっそう)」の一人として建武政権下で寵遇を受けた忠臣『名和長年』。鳥取県大山町には後醍醐天皇の御着船所、御上陸跡、御腰掛の岩等々・・いくつもの史跡が残されています。

一の鳥居から〆鳥居、正面に楼門。桜の名所として知られる名和神社境内。春には見事な枝垂れ桜が見られた事でしょう。

「楼門」、その先に「拝殿」

五尺の大太鼓が収蔵された「太鼓倉」

発起「鳥取縣教育會」。奉納「鳥取縣各學校職員生徒児童」。昨今の赤い教育者たちが見たら、間違いなく卒倒しそうな文言(^^;)

鳥居の刻「伯爵東郷平八郎・書」

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一口メモ

「三木一草(さんぼくいっそう)」、後醍醐天皇の建武政権下で重用された4人の寵臣『結城親光・名和長年・楠木正成・千種忠顕』の総称。「ゆう」「ほう(名和は伯耆守)」「くすの」「ちくさ」と4人の姓や官職の読みにちなんだ呼称。建武の乱の戦いで、延元元年/建武3年(1336)前半に相次いで没した。


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