郡山市麓山に建つ塔屋が美しい「郡山市郡山公会堂」。
鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺の建物は、郡山市制施行を記念して市中心部に建てられました。
連続半円アーチの柱廊と、窓台受。上げ下げ連窓などを丁寧にデザインした躯体の隅に、縦長ガラス面で垂直性を強調した塔屋。建設当時には塔屋に時計が埋め込まれていましたが、次第に時刻が狂うようになり、第二次世界大戦中に市民からの苦情で取り外され、代りに市章が埋め込まれていたそうです😅
1998年頃の改修で塔屋に再び時計が埋め込まれ、2002年、国の登録有形文化財に登録。2005年には改修工事が完了し、建設当時の御影石の外壁、ルネサンス様式の天井、ステンドグラスをはめ込んだ窓などが復元されました。
設計者は『矢橋 賢吉(やばし けんきち)』。明治建築界三大巨匠の一人とされた大蔵省営繕の妻木頼黄の右腕で、国会議事堂・旧総理大臣官邸・枢密院庁舎 (皇宮警察本部) などを手掛けた人物。
と珍しく、詳しく紹介した理由は、彼の先祖が平安時代初期から前期にかけて実在した『嵯峨天皇』の第12皇子『源融(みなもとのとおる)』まで遡れる事。ちなみに『源融』って誰?と思う方もいるでしょうが、何と!あの源氏物語の主人公「光源氏」のモデルと云われている人物なのです。まぁ、光源氏と矢橋氏とは全く無縁ですが😅
公会堂の敷地内にあった『内海久三』氏の「郡山市民の歌 ボクの街 郡山」。市政30周年を記念し、一般公募により昭和29年に制定。
【恋とは楽しく 悲しいものと 龍山の松風 ささやいた 泣くのはおよしと 弁天池で 優しく微笑む お月さん ああ思い出の 夢が住んでる ボクの街 郡山】
ネオ・ルネサンス様式を基調とするモダンな外観には、開拓の意気込みが壮麗に表現され、郡山の飛躍的発展の象徴ともなりました。2017年、「郡山市郡山公会堂」は、日本遺産「未来を拓いた『一本の水路』」の構成文化財として追加認定を受けました。
訪問日:2015年6月25日