兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地「灘五郷(なだ ごごう)」は、神戸市に位置する「西郷・御影郷・魚崎郷」、西宮市に位置する「今津郷・西宮郷」で構成されています。
日本酒造りに適した上質の酒米と、ミネラルが豊富な上質の地下水:宮水に恵まれ、寒造りに最適と呼ばれる六甲颪(おろし)が吹き、そして何よりも製品の水上輸送に便利な港があったことから、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷。
西宮市今津地区の酒蔵地帯:今津郷。「大関」・「扇正宗」・「金鹿」などの銘柄が醸されています。甲子園にほど近い「今津港」、ここに「大関」の醸造元『長部家五代目長兵衛』によって文化七年に建之・安政五年に再建された市指定重要有形文化財の「今津灯台」があります。
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西宮市浜脇・用海地区の酒蔵地帯・西宮郷。「白鹿」・「日本盛」・「白鷹」・「喜一」・「金鷹」・「灘一」・「寶娘」・「島美人」・「徳若」などの銘柄が醸されています。
西宮市鞍掛町にある、辰馬本家酒造「白鹿記念酒造博物館」。「生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に正しく伝える」ことを目的に、昭和57年に設立された酒ミュージアムです。
博物館施設となった酒蔵館は、明治25年に建築された旧辰馬喜十郎内蔵、旧辰馬喜十郎住宅、旧辰馬喜十郎店から成り立ち、入り口近くの轍の上には、酒樽が積み込まれた大八車が展示されています。
立てかけられた道具の数々
酒蔵館には、昭和46年に西宮市指定有形民俗文化財に認定された灘の酒造用具一式517点、 酒造用桶・樽づくりの道具一式167点が展示。
酒樽づくりの様子を再現したコーナー
平成7年の阪神淡路大震災で全壊し、甚大な被害を受けた旧酒蔵館。破壊され散乱する収蔵品の数々・・・・・。
当時、大阪在住であった我が家も、人的被害こそ無かったものの・・あの日の記憶は生々しく鮮明で、今でも何かの瞬間に、砕け散ったコレクションの数々・・お気に入りの食器の破片で流した血の色を思い出してしまいます。様々な痛みにどう自分で折り合いをつけたのか・・・言葉に出来ない多くを飲み込んで、結局、建て替えたばかりの我が家を売却し、新たな終の棲家を今の地に求める事になりました。
再建された「明治の酒蔵・酒ミュージアム」の近くにある、県指定文化財「旧辰馬喜十郎住宅」。
Wikipediaによると「日本人大工、山下某に神戸旧居留地の英国領事館を模すように命じたと伝わる1888年(明治21年)築の擬洋風建築。木造総2階建の母屋(外壁2面は煉瓦積)と木造平屋建の附属屋で構成される。列柱を配したベランダや両開き鎧戸など北野町異人館群と同様のコロニアルスタイル建築の特徴を有す。」
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西宮市用海町、日本盛の工場敷地内にある「日本盛酒蔵通り煉瓦館」。日本酒をテーマとし、日本盛のアミューズメントスポットとしてオープンした、ちょっとおしゃれなレストラン兼日本酒のミュージアムです。
ガラスで作る酒器・オブジェなどの制作過程を見学。あれ?酒蔵見学の筈なのに・・・(^^;)
訪問日:2006年8月13日
(※)山田錦の誕生は大正期であるとのご指摘を頂き、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷の酒米「山田錦」の固有名詞を削除いたしました。ご指摘、感謝いたします。
酒米に粒が大きくて丈夫な米が重用された理由は「米を磨く」事が最大の理由だったのではと思います。米粒の30~最大60%を磨く(削る)為には、より大粒で丈夫で無ければ、砂粒状態になってしまいかねません。
専門的な話になると、正直、正確に伝えられる自信がありませんが・・(^^;)
神様って目に見える訳でも無いし、声がきけるわけでもない。でも確かに存在する。ではどこに?
神様がおいでになると思う人の心に・・と、私などは思っています。
形あるものは壊れる、奪われる、失くする。でも自分の心にあるものは、多分誰にも壊せない、奪われない、失くさない・・自分がそう望まない限りは。
阪神大震災に未だに記憶が傷つくのは、自分の心にあるかけがえのない気持ちを傷つけられ失いかけたから・・とだけ、せめてまかろんさんには知ってて欲しいと思ってしまいました。
でも多分、今は丁寧に整地されたと思います🌸 心の整地って言い方、変ですね(笑)
本棚にはもう何十分の一程しか残っていませんが、どうしても捨て難い本というのが有って・・ちなみに吸血鬼ハンターDも・・多分、全巻持ってます (#^^#)
👍 握手して貰えるかしら・・
六甲山系の北部地域で栽培された大粒品種の酒米が「山田錦」になるまでには、「山田穂」の前世代、さらに前世代と遡ることになります。
飲めない酒の、歴史と謎に嵌り込んで、すっかり酔っ払った気分です。
これだから、調査不足で落ち込んでも、何かを調べるのは楽しくてやめられません。
・・したことがない身です!😆
>日本酒造りに適した上質の酒米:山田錦と、
そうか、お酒に適した米、というものがあるのだな、
と初めて気がつきました。
ということは、食べると、ん?って味なのでしょうか。
製菓に適した紅玉(りんご)は、そのまま食べると酸っぱい😖、みたいに。
>寒造りに最適と呼ばれる六甲颪(おろし)が
六甲おろし、ってあの六甲おろしですか??!!
あの、阪神の応援歌で名高い!!!
お酒に寒風が使われるって知りませんでした!!
なんだっけ、イタリアの生ハムにも一部地域で
そういう製法があるらしいですよ。
あ、日本酒の寒風の使い方とは違うでしょうけど。
お酒は一切呑まない身ですけど、
何故だかお酒造りにまつわる話はワクワク✨しますねー。
昨日いただいた返信の、
>「酒造りをする時には、常に神が傍にいて、 その心を見ている。 酒は人が神に仕えて造るもの。」
感激しました、ってtibinekoさん書かれてて、
私も感激しました!
(たぶん、直に聞いたらもっと感激できただろうなーと思います😆)
この言葉に感激されたtibinekoさんと、握手がしたいです。
神がいるのか知らないし、神がお酒を好きなのか
本当には知らないけど、
神が見ておられると思う心・・
この一工程一工程を神に捧げるという心は・・
きっと聖なる供物として天に届くはずです。
尊いです。
>阪神淡路大震災で全壊し、
破壊された収蔵品をそのまま展示されているのですか?
珍しい展示の考え方だと思いました。
それだけ深い傷となって残っているのですね。
これも酒造の歴史の一幕だ、と・・?
阪神淡路大震災が西の人たちに残した影響を、
垣間見る思いがいたしました。
こちらでは東日本大震災が衝撃となって
人々の心に爪痕を残しました。
被災された方の実質的な被害もさることながら、
軽微であった地域(東京など)の動揺を今も思い出します。
自分たちの平和がいかに崩れやすいか・・。
物はなくなるものなのだということ・・。
たまたまですけど、昨日お話したディオゲネスは
その観点からホームレスになったのだと思います。
でも私はこの人は行き過ぎだと思うし、
ちょっといけすかないなと思いますけどね!!
大切なコレクションが砕け散った衝撃・・・。
東京では幸い何も壊れなかったし、
つねづね父親にお前なんかいつだって追い出してやると脅されて生きてきて、
失くして困る物をあまり持たないできたので、
(だから私は作品を書くのです。物でないものは誰も私から奪えないから)
tibinekoさんの衝撃を正しく思えるか自信はないです。
でも、想いが人よりも深いtibinekoさんが
どれほどショックに思われたかと・・。
ぽっかり心に恐ろしい穴が空いた心地をしたのでは、
そう思います。
今は・・他のことで埋められていることを・・
いや無理かな・・ 願います。
>私の本棚を見たら、
って書かれてましたけど、出されたタイトル、
どれもワクワクしました!!😆
ここでも思わず握手の手を出したくなりました😊
すみません、長くなりました。
酒を呑んでもいないのに、お酒の文化に酔っぱらってしまったようです。😅
呆れないでくださるなら、またお話を聞かせてください💦
ということは山田錦があるから江戸期以降灘五郷が日本酒の名産地として栄えたという表現は齟齬が生じます。
酒米についても調べてみると、育成に適しているのは少雨で温暖、山越えの乾燥した風が入る土地、つまり瀬戸内海沿岸の盆地。
山田錦の誕生は大正期ですが、それ以前から当地では酒米作りが盛んでいい水と最適の米、そして水運の利があったことは間違いないようです。
当所のイメージでは酒米についても越後や東北などコメどころがその中心かと思っていたら大外れ、酒どころの一つ新潟はむしろ冬場の出稼ぎによる杜氏を集めやすいという地理的条件が大きいようです。