岐阜市加納天神町に鎮座される「加納天満宮」。御祭神は『菅原道真公』
「文安2年(1445)、『斎藤利永』が加納の東南に加納城を築き、その守護神として天満宮を勧請した。記録によれば創始は更に古く、それより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀せられていたという。その後、『城主:斎藤利政(道三)』が稲葉山城に移り加納城は廃城となったが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されていた。慶長5年(1600)関ケ原戦後、『徳川家康』は凱旋の折、稲葉山城を廃し、加納城を構築した。その際に天満宮が城廓内に入ったので、新しい加納城鎮護の神として、慶長6年(1601)これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座し奉った。」公式HPより
木肌もまだ新しい社殿は、2003年・菅公ご神忌千百年、加納天満宮ご鎮座四百年記念として新たに築造。
新しい拝殿前より神域を守護されるのは大正9年11月建立の岡崎型狛犬さん一対。木影が邪魔をして阿形さんの姿はかなりあやふや・・・
文化七年(1810)建立の神楽殿は堂々とした佇まいで、境内でも一際存在感を放っています。明治35年(1902)に一度大修理が施され、その後の戦災を逃れた唯一の建造物です。
鳥居の内にて神域を守護されるのは、明治35年3月25日建立の狛犬さん一対。浪花系か出雲丹後系か・・議論の分かれるところですが、安定の顔立ちと体つきは出雲系に軍配が上がりました。
手水舎近く、高い台座の上より神域を守護されるのは、昭和32年(1957)3月建立の鈴しょうわ狛犬さん一対。
天満宮と言えば「座牛(臥牛)」。勿論こちらにも、明治27年・28年の戦役戦勝記念として明治33年(1900)に奉納された座牛さんがおいでです。顎の上下で阿吽を表現するという、何とも奥ゆかしい手法。本殿前には、社殿の造営に併せて奉納された青銅の「座牛像」もあります。
「境内社・津島神社」、御祭神は『素戔鳴命』と思われます。
玉垣内の小さなお社を守護されているのは、仔狛を手の下に抱く吽形さん一体のみ。お顔が欠けているのは何らかの災害があった所為かもしれません。
「境内社・福寿稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』
「一心龍王」と書かれた碑があるお社、こちらに関しての記載はHPに見当たりません。
一つ一つお名前のわかる御社以外にも、境内には「八幡神社・春日神社・出雲神社・神明神社・市神神社・白太夫神社・御鍬神社・事代主神社・老松神社・紅梅神社」と多くの神々が各地域より合祀され、鎮座しています。
「御神木:楠」 樹齢推定三百五十年以上
境内の一角に建立されていた「岐阜県ボーイスカウト運動発祥之地」碑。
参拝日:2012年5月14日
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