三島駅から程近く、三島市一番町に緑豊かな森に囲まれた三島市立公園「楽寿園」があります。 自然林と富士山の雪解け水が湧き出す庭園は、昭和29年に国の天然記念物・名勝に指定。2012年には「伊豆半島ジオパーク」のジオサイトとして認定されました。
園内の森の面積は約5ha。ちなみにですが、森の一帯は溶岩層の上に生育している為、樹木は密で生存競争が激しく、各樹木とも下部の枝は、順次枯れ落ちてしまうそうです。職人の手が入ったのかと思った見通しの良さは、樹木の生存競争の結果だったんですね・・・・
「楽寿園」の由来は、明治23年に『小松宮彰仁親王』の別邸として建てられた「楽寿館」から。
「邸宅は、江戸時代に完成した数奇屋造りの様式を備え、京風建築のすぐれた手法を現在に伝える明治期の代表的な建造物であり、庭園と一体化するように構成されています。」公式HPより
「楽寿館」の前面に広がる「小浜池」。三島湧水群を代表する水量を誇った池で、満水時には2m前後の水量が有ったとか。 池の水位は季節によって変化し、降水量の多い夏期に増加し、冬季に減少すると説明にあります。それにしてもこの荒涼とした池の様子は、減少などといった生易しい光景ではありません。
実は小浜池の湧水は、昭和37年頃から枯渇が続いているそうで今回も見事に渇水状態。 池の底に延々と広がる黒い岩肌は、富士の噴火のすさまじさを私たちに語り掛けてきます。
園内のもう一つの湧水池「中の瀬」は小浜池より標高が低いので、園内で最も早く湧水を始めます。ここは細かい砂礫に被われていて溶岩は見えません。
日本人の心の拠り所と言っても過言でない「富士山」。その神秘な美しさの向こうには、人智の及ばぬ「破壊」の恐怖があります。 庭園内に残る約1万4千年前の「縄状溶岩」。それは遥か太古の昔、すべてを焼き尽くした灼熱の「溶岩流」の跡。おだやかな日差しの下でねじれ曲がったその部分が、大地を襲った事実を語り続けています。
「縄状溶岩」の痕跡の近くでひっそりと存在を主張する「鞍馬燈籠」。鞍馬山で産出される「鞍馬石」で作られた灯篭で、希少性が高く非常に高価な物。私なんぞはお値段の高さに驚愕するばかりで、侘びも寂びも程遠い世界で生きています(笑)
「小浜池」の周囲に沿って設けられた散歩道の一角、緑の葉を茂らせるのは、齢約350年のアカマツ「いこいの松」。三島市内に数ある代表的な名木の一つとして知られているそうです。
さらに遊歩道を進み「小浜池」の外れ近くまで来たところで、紅葉した木々を背景に風情のある石橋が姿を見せます。橋の向こうには小さな祠。燃えるような紅葉の中、降るような日差しの下で見る古い石橋。まるでそこだけが別世界のように、時間の流れさえもゆっくりと過ぎてゆく不思議な空間。
「小浜池」とは対照的に水をたたえている「あやめ池」。木々の影を縫うように遊ぶ鴨の群れが本当に気持ちよさそうで・・・。こんなにも満々と溢れそうな水面を見ていると、自然湧水の小浜池が錯覚のように思えてきます。
ついつい駆け足っぽくなってしまった「楽寿園」。最期は昭和9年に「菩提樹」を創刊・主宰した歌人『大岡博』の歌碑。
訪問日:2016年12月8日
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