車泊で「ご当地マンホール」

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堀田(ほりた)稲荷神社 in 愛知県武豊町川脇

2016年10月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

武豊町川脇に鎮座される「堀田(ほりた)稲荷神社」。御祭神は『倉稻魂命』

一の鳥居前より神域を守護されるのは、宝珠を片足の下に置く神狐さん、巻物を咥える神狐さんの一対。大正三年十月の建立です。

首に掛けられた太い注連縄、少ない稲荷神社参拝の経験から言えばかなり珍しいのですが、何か謂れが有るのでしょうか?

由 緒「天文5年(1536)創建と伝えられ、延享3年(1746)の棟札には稲荷明神、嘉永3年(1850)には堀田稲荷大明神と書かれており、江戸時代中頃以降から現字名川脇の旧称堀田を用いたものと思われる。もともと稲荷は農耕の神ですが、江戸時代には商売繁盛、渡海安全、豊漁の守護神としても信仰され、対岸の三河や遠く美濃からも多くの参拝者があったと言う。」

拝殿蛙股彫刻。鍵を咥える白狐

境内社「堀田天神社」

堀田天神社の神使い・撫で牛

「県指定有形民俗文化財:堀田天神社の算額」

「江戸時代初めに伝わった算盤を含む中国数学を土台として、約200年の短い間に日本の数学である和算は急速に広がった。江戸時代後半の和算は、その広がりと内容の高さにおいて、世界の数学史上でも特異な存在となっていた。和算の愛好者たちは、神仏に問題の解決を感謝し、近くの社寺に勉強の成果を書いた算額(絵馬)を奉納した。多くの人が、社寺に奉納した算額を見て学習したことも、和算の普及につながったという。
堀田稲荷神社の算額は、文化7(1810)年に布土(ふっと)村(現美浜町)の稲生新助が奉納している。佐藤正興が寛文6(1666)年に書いた「算法根源記」に掲載された3題を解いて、全文ほとんどを解読している。」文化財ナビ愛知より

堀田天神社内の奉納絵馬

社殿西側に祀られる「奥の院拝所」

(右)境内社「多賀社」、(左)境内社「山神社」

手水舎

参拝日:2011年9月25日

 


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