車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

物部(もののべ)神社 in 島根県大田市川合町

2018年04月21日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

大田市川合町川合、八百山の麓に鎮座される「物部(もののべ)神社」。旧國幣小社で石見國一宮。御祭神は『宇麻志摩遅命(うましまぢのみこと)』相殿神:右座に『 饒速日命 布都霊神』 左座に『天御中主大神 天照大神』。

由緒「神武天皇の時代にご活躍になり、その後各地の兇賊を平定されて、最後に神社近くの鶴府山に鶴に乗って降臨された。国見をされた時に神社の裏山「八百山」が天香具山に似ていることから、宮居を築き鎮座された。時が過ぎ、継体天皇八年(513)天皇の勅命により社殿を創建、修理を経て安政三年(1856)に宝暦(1751~1763)時の規模で改修されている。」

県内では出雲大社に次ぐ大きさ。春日造では全国一の規模とされる御本殿(島根県指定文化財)。

参道左右より神域を守護されるのは明治32年(1899)4月建立の浪花狛犬さん一対。拝殿と一緒の画像は「物部神社創建千五百年祭」のポスターを真似て。

この当時の浪花さんは、全体的に穏やかな顔立ちが多いように思います。

祭神が鶴に乗って降臨したという由緒より、御神紋は日負鶴(ひおいづる)」

「勝石」「『宇摩志麻遅命』が石見の地に降臨された際にお腰を掛けられたと言われる岩で、触れると御祭神の勝運の御神徳にあやかり全ての願いに通じる勝運を授かれると言われています。」公式HPより

迫力満点の吐水龍。「物部神社創建千五百年祭」のポスターを真似て。

「児守祭」が執り行われる「夜泣き椨(たぶ)」「聖天社」「古来より子育ての御神木として有名な「夜なき椨」は夜泣きをする子をこの木の空洞に一晩寝かせておくと夜泣きがなおると伝えられています。 その夜なき椨の中に縁結び・安産の神とされる大聖歓喜天を祀っています。」公式HPより

神職が神事の時に身の穢れを祓い清める「禊石」

「パーソロン号御神馬像: モデルとなったパーソロン号は七冠馬シンボリルドルフの父馬でその血統で一時代を築いたサラブレッドです。 馬主である和田共弘氏が当社の氏子だったご縁から御奉納頂きました。」 公式HPより

参拝日:2015年4月20日

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『宇麻志摩遅命(うましまぢのみこと)』、邇芸速日命の第二子。神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県大田市

2018年04月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

大田市(おおだし)は島根県中部、石見地方の東部(石東地域)に位置する市です。日本海に面しており、市の東部に位置する三瓶山は、古くは「佐比売山」と呼ばれ、「出雲国風土記」の国引き神話において「火神岳(大山)」とともに島根半島を引き寄せて繫ぎ止めた杭であると云われています。また、2007年に世界遺産に登録された「石見銀山遺跡」を有する事でも知られ、市の中心駅となる「大田市駅」の記念スタンプは、大森の町並みと龍源寺間歩がデザインされています。「市の木:梅」「市の花:レンゲツツジ」「市の魚:ヒラメ」を制定。

キャッチフレーズは「自然・歴史・ひとが光り輝く だれもが住みよい県央の中核都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により安濃郡大田村・刺鹿村・波根西村・川合村・鳥井村・長久村・波根東村・佐比売村・朝山村・富山村が発足。
邇摩郡久利村・静間村・大森村・水上村・五十猛村・大屋村が発足。
簸川郡山口村、邑智郡祖式村が発足。

1903年、安濃郡大田村が町制を施行、安濃郡大田町となる。邇摩郡大森村が町制を施行、邇摩郡大森町となる。

1937年、安濃郡刺鹿村、波根西村が合併、町制を施行し安濃郡久手町が発足。

1951年、邇摩郡大森町、水上村が合併し、改めて大森町が発足。

1954年、安濃郡大田町、久手町、川合村、鳥井村、長久村、波根東村、邇摩郡久利村、静間村が合併、大田市が発足。

1954年、大田市が安濃郡佐比売村・朝山村・富山村大字山中・才坂地・神原、簸川郡山口村を編入。

1956年、邇摩郡大森町・五十猛村・大屋村、邑智郡祖式村大字祖式を編入。

1957年、邑智郡川本町大字新屋・大家本郷を編入。

1958年、邑智郡川本町大字北佐木を編入。

2005年、邇摩郡温泉津町・仁摩町と合併、改めて大田市が発足しました。

マンホールには「三瓶山」「市の木:ウメ」「市の花:レンゲツツジ」がデザインされています。

昭和29年6月30日制定の市章は「旧大田市制時のものが継承されました。「大」の字を円と矢印で図案化して、円は団結、矢印は進歩・向上を示しています。」公式HPより

市のキャラクター『らとちゃん』がデザインされた仕切り弁

排泥弁

空気弁

電気

量水器

「市の花:梅」の側溝蓋は「世界遺産センター」の敷地内に設置。

「市の花:梅」のカラータイル

「螺灯(らとう)」と鉱夫の衣装がモチーフの、大田市公式キャラクター『らとちゃん』 。恥ずかしがり屋さんだけど、いったん「火」がつくとソコヌケに明るい性格。頭に揺れる小さな炎で、人々の心や地域の未来に明かりを灯します。(螺灯は、石見銀山の坑道で使われていた、サザエの殻に油を入れて火を灯す明かり)。

訪問日:2011年5月15日&2013年5月23日&2019年4月16日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「大田市」のマンホールカードは、「仁摩サンドミュージアム」でいただけます。

2003年に設置開始されたマンホールには「琴ヶ浜」と「琴姫」「仁摩サンドミュージアム」がデザインされています。

「砂浜を歩くとキュッ キュッ と琴の音のように鳴る琴ヶ浜がある大田市 仁摩町馬路(まじ)には、ある言い伝えがあります。”壇の浦の源平の戦に破れて流れ着いた平家の姫は、村人に助けられ、お礼に毎日琴を奏でておりました。姫が亡くなり村人たちは大いに悲しみましたが、なんと砂浜が琴の音のように鳴くようになりました。”この琴姫伝説を基にマンホール蓋をデザインしました。世界最大の1年砂時「砂暦(すなごよみ)」がある砂博物館 「 仁摩サンドミュージアム」 のピラミッドも描きました。下水道は国指定天然記念物でもある琴ヶ浜を守る為に、重要な役割を果たしています。」

訪問日:2019年10月8日

 

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寄江(よりえ)神社の鏝絵 in 島根県江津市

2018年04月20日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

江津市浅利町、岩肌を背にして鎮座される「寄江(よりえ)神社」。御祭神は『事代主大神』

こちらの拝殿内に龍の鏝絵が奉納されていると聞いて来たのですが・・・残念ながら外からでは拝見出来ません。 

社務所もなく、拝殿は施錠されており、私たちはガラス戸にしがみついて鏝絵を見せて頂きました(^^;) それでもこれだけ見られる事は充分な配慮だと思います。

帰宅後にネットで調べたところ、作者は大阪、福岡で活躍した名人『高田初造氏』。江津市の海沿いの町、浅利町の出身で、彼が19歳の昭和2年3月に奉納したものと有りました。屋内のガラスケースの中なので、当然状態は完璧、真っ白な龍の随所に見える朱が鮮やか。

すっかり順番が後回しになってしまいました・・(ーー゛); 拝殿前左右より神域を守護されるのは大正12年10月建立、形としてはいわゆる浪速型狛犬さん。 口元とか、顔全体の感じとかから親しみをこめて「ひげおやじ」タイプと呼んでいます。

拝殿彫刻は珍しく翼竜。しかも滅茶苦茶にご機嫌な様子(笑)

そうそう、そう言えば拝殿内の龍の鏝絵と並んで奉納されていた、長い白髪白髯の異形の面。 寄江神社の秋季例大祭前夜祭では、何と夜9時~朝6時頃まで15演目程度の神楽が奉納されるとか。これはその神楽の演目の一つなのかしら?・・・・見た~~~い!!

石見左官の鏝絵、まだまだ自治体を跨いで続きます。ちなみに私たちが知っていた鏝絵の第一人者といえば、静岡県松崎町の『入江長八』、富山県小杉の『竹内源造』。この旅の後、私たちは両方の県に赴き、まさに至宝ともいえる両者の鏝絵を見てきました。が、その話はいずれ別の機会に。

参拝日:2011年5月15日

 

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小田八幡宮 in 島根県江津市桜江町

2018年04月19日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

江津市桜江町小田に鎮座される「小田八幡宮」。主祭神は『誉田別尊』。木々に遮られる鎮守の杜の参道を進み、石見では珍しい両部鳥居を潜ります。

境内には由緒書等は無く詳細は不明。鎮守の神様として大切にされているようで社殿の辺りは清掃が行き届き、思わず深呼吸をしたくなる気持ちの良い空気。

境内入り口にあって神域を守護されるのは、昭和九年生まれの典型的な後期石見系狛犬さん一対。何と言うか・・非常にユニークなお顔(^^;) ご亭主殿いわく「狛犬の材質は「福光石」で、雨の後とかに見ると綺麗なんだよ」だそうです。

大きく突き出した拝殿の照り屋根、おそらく奉納神楽の観客席を兼ねているのかも。

拝殿内部は僅かな明かりに照らされて幽玄な雰囲気。 この神社でも毎年秋の例大祭に神楽が奉納されるそうで・・ああ、生で見たい!

拝殿前より神域を守護されるのは、入り口のものよりも少し古く、全体的に少年のような顔立ちの大正六年建立の狛犬さん一対。

拝殿正面の立派な一枚板の龍の彫刻、その上には神紋「三つ巴」の鏝絵

神社の龍の彫刻といえば「向拝」か「虹梁」と思っていたので、照り屋根の上というのは新鮮な驚き。それにしても何と緻密に彫り込まれているのだろう。

逆巻く波さえもゆりかごの様に、ゆったりと向き合う阿吽の龍

これほどの彫刻が見られただけで、充分に御利益いただきました。

境内摂社、社名は不明。一対の神狐が奉納されているので一社は稲荷社と思われますが・・むろん確証はありません。

御神木でしょうか?小さな祠が祀られています。

参拝日:2011年5月15日

 

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願寿寺(がんじゅじ)の鏝絵 in 島根県江津市

2018年04月18日 10時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

続いて向かったのは江津市波積町に門を構える「浄土真宗本願寺派・願寿寺(がんじゅじ)」。『阿弥陀如来』を本尊とします。

本堂の正面には、年代による色褪せはあるものの、美しい三枚組みの鏝絵が奉納されています。

向かって左から、見返りながら波間を行く神亀。神亀は「霊亀」とも呼ばれ、古来より四霊とされる神獣。

蔵などの鏝絵の題材として良く用いられる「波ウサギ」。波は水であり、火防・火除けを象徴。 また月の精である兎は、古くより「子孫繁栄・豊穣」をもたらす、めでたい瑞獣とされています。

見返りながら波間を跳ね飛ぶウサギ、追いつこうと波の上を飛ぶウサギ、これも阿吽の一対です。

右端は、見返る神亀を追うのか、それとも楽しげに飛ぶ波ウサギを追っているのか。 一生懸命に水を掻く姿は四霊ながらもユーモラスで、名も知らぬ作者の遊び心が感じられる楽しい構図。

拝殿貫には一対の象。耳の穴が見えていないから象と判断していますが、一般的な象の観念が覆りそうな不思議な表情。こんな素敵な作品(神獣)に出会えるのも、寺社参拝の醍醐味。

参拝日:2011年5月15日

 

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大詔刀命(ふとのりとのみこと)神社の鏝絵 in 島根県江津市

2018年04月17日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

江津市桜江町川戸に鎮座される「大詔刀命(ふとのりとのみこと)神社」。御祭神は『太詔刀命(ふとのりとのみこと)』

境内には由緒書等が無く詳細は不明。 唯一分かったのは、国の重要無形民俗文化財に指定されている「大元神楽」がこの拝殿で催される事。

拝殿正面には立派な奉納絵馬額。

武者同士の一騎打ち・・赤馬に乗るのは? 黒馬に乗るのは?

でも・・お目当てはそれじゃなく、目線をずっと上に・・、拝殿屋根の下、漆喰部分に向かい合う白い双龍が見えます。 作者は『三浦又吉』。石見の古い寺社仏閣の鏝絵には珍しく、作者が判明している数少ない例。

かなり広い範囲一杯を使って生み出した阿吽の白龍。細かい髭の部分、鋭く曲げられた爪に左官の力量が感じられます。

拝殿前より神域を守護されるのは、大正十二年建立の狛犬さん一対。久しぶりの出雲構え型。

境内の一角、日当たりの良さそうな場所に鎮座される「摂社:春日神社」

何故か春日神社の社殿横で御祭神を守護をされる石見焼のライオンさん。確かにライオンは獅子ですが・・(-"-)

境内の一画だったと思う山際に「忠魂碑」。下の囲いは防空壕的なものだったのだろうか・・埋めた土が崩れ出したように見えます。

参拝日:2011年5月15日

 

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渡津(わたづ)天満宮 in 島根県江津市渡津町

2018年04月16日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

島根県江津市渡津町に鎮座される「渡津(わたづ)天満宮」。御祭神は『菅原道真公』

由緒「御鎮座の由来は不詳成るが、万寿三年(1026)京都北野天満宮よりの勧請と伝えられる。」境内由緒碑より

石段の先、正面に拝殿

江津市渡津町の家並みを見下ろす高台より神域を守護されるのは丹後構えの狛犬さん一対。顎から下がたてがみに隠れて見えない程、高く尾を上げて参拝者を出迎えます。

境内社「稲荷神社・神社・恵比寿神社」

境内は何らかの整備中らしく、赤土がそこかしこに盛り上げられ作業車の車も見受けられます。参拝中にお声をかけてくれた方と、少しお話をさせて頂きました。神社の祭礼の話だったと記憶していますがそれ以上の事は記憶の彼方(-_-;) でも改めて見る狛犬さんと二人の写真・・ちょっと笑えます(笑)

参拝日:2011年5月15日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧桜江町(江津市)

2018年04月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧邑智郡桜江町(さくらえちょう)は島根県の西部に位置した町です。地名の由来は、古代の地名「桜井郷」+「江」の川よりと云われ、「桜井」は、「迫らゐ」の変化したもので、(河谷に立地する)丘陵地の間の田、あるいは井戸や泉のあるところだと言われています。「町の木:モミジ」「町の花:ツツジ」を制定。

桜江庁舎前に置かれていた「地籍調査完了記念碑」。地籍調査とは、市町村が主体となって、一筆ごとの土地の所有者、地番、地目を調査し、境界の位置と面積を測量する調査だそうで、江津市となる以前の1998年に実地されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により邑智郡長谷村・市山村・川戸村・谷住郷村・川越村が発足。

1954年、長谷村、市山村、川戸村、谷住郷村、川越村が合併、邑智郡桜江村が発足。

1956年、桜江村が町制を施行、邑智郡桜江町となる。
2004年、江津市に編入、江津市桜江町となりました。

マンホールには「えんこう(河童)」と、「町の花:つつじ」がデザインされています。(旧桜江町庁舎付近に設置。)

昭和31年(1956)1月制定の町章は「「さくらえ」のサを図案化したものです。」

昭和5年、三江線開業当初の南の終着駅として設置された「川戸駅」。2018年4月1日の三江線廃線に伴って、この駅も廃止予定と知りました。 電車が入ってくるところ・・見たかったけれど・・2019年に訪問したときに立ち寄った「川戸駅」。近在の方が毎日手入れをされているとかでホームも線路周辺も驚くほど清潔で、とても廃駅とは思えませんでした。

撮影日:2011年5月15日&2019年4月20日

 

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三佛寺&清泰寺の鏝絵 in 島根県江津市

2018年04月14日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

甍街道を後にして次に向かったのは、江津市松川町市村に門を構える「浄土宗寺院:三佛寺(さんぶつじ)」『阿弥陀如来』を本尊とします。

山門を潜り本堂の前に立てば蛍光灯の真下に、鮮やかな色彩の「龍の鏝絵」。 青い波間から上半身を持ち上げる龍がじっと見ているのは、白い雲の上に乗っている宝玉。

あれを、あれさえ我がもの出来れば、龍は海の中から遥かな天空の高みに昇り、さらに彼方に飛べるのです。

「三佛寺」を後に続いて向かったのは、江津市松川町市村に門を構える「臨済宗東福寺派寺院・清泰寺」

本堂正面には、昭和18年に製作された「鏝絵」ならぬ「鏝字」。二つの扁額に書かれた文字は「萬安山」「清泰寺」。絵では有りませんがこれはこれで素敵。

本堂と向かい合う位置に鐘楼があり、寄り添うようにこじんまりとした羅漢堂。

お堂の中には、菩薩や御仏と共に、幾人かの羅漢さんがそれぞれの姿で座しています。 昔から、羅漢さまを見る時に会いたい人の顔を捜せば、必ず願う人の顔が見つかるといいます。

参拝日:2011年5月15日

 

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円覚寺(えんかくじ)の鏝絵 in 島根県江津市

2018年04月13日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

【鏝絵(こてえ)とは、日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。 左官職人が左官ごてで仕上げていくことから名がついた。題材は福を招く物語、花鳥風月が中心であり、着色された漆喰を用いて極彩色で表現される。】Wikipediaより

島根県の石見地方には、寺社などに種々の鏝絵が沢山残されていると小耳にはさんでしまったご亭主殿。今回の旅の楽しみは石見の鏝絵めぐり。まずは天領江津甍(いらか)街道沿いに境内を構える、浄土真宗 本願寺派寺院「円覚寺(えんかくじ)」

山門を潜り、人気のない本堂の前に行くと・・・・正面の壁に、お目当てのものが!!

題材は「牡丹に唐獅子」。作者は不明ですが、おそらくは本堂建築に関わった左官の誰かと思われます。そんな事はどうでも良いとばかり、一生懸命デジカメを向ける御亭主殿 。

満開の牡丹の上を飛び越えながら、対であろう獅子を見返る姿は喜びに満ちて軽やかに。

遅れまいと追う獅子の顔も歓喜に満ちて軽やか

獅子といえば、きつい顔立ちを想像しがちですが、ここに描かれた獅子は本当に優しいのです。 何かに似ていると思っていたら、ああ、我が家の物凄く可愛い愛猫に似ているんです(*^^*) 特に下半身のもっちり具合とか(笑)

横長の鏝絵なので、継ぎ目部分を中心に牡丹の花をアップで。

今回は素晴らしい鏝絵についつい目を奪われがちですが、貫や梁に施された彫刻も実に見事。

定番の貫の獅子は大きな目を見開き、本堂の鏝絵に見とれる御亭主殿を(多分)優しく見守っています。

吽形さんは・・・あきれ顔(-_-;)

虹梁の下の持送りに施された彫刻は大輪の菊花。

たわわに実った小枝の間を走り回るリスたち。 

明日へと続く石見の鏝絵巡り、鏝絵師の技の数々、お楽しみに(*^^*)

参拝日:2011年5月15日&2019年4月16日

 

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