車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

浜田八幡宮 in 島根県浜田市蛭子町

2018年08月23日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市蛭子町に鎮座される「浜田八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』 それほどの距離ではなかったと思うのですが、この石段を登るには体力不足と判断されて(-_-;) 参拝は鳥居から。

境内の御由緒によれば【創建は天正二年八月吉日、京都の岩清水八幡宮よりの勧請。浜田築城にさいし守護神として、寛永十三年に現地に御換座された】と記されています。

鳥居の左右より神域を守護されるのは「狛犬見聞録筆者:永井先生」の一覧によれば「異型狛犬座型:文化五年(1808)戊辰 石工:大森藤助俊明」

笏谷石の狛犬さんを思い出させるようなたてがみの流れ。角を持つ吽形さんの表情は、狛犬と言うよりも人の顔に似て・・まさしく「異型」

狛犬さんが奉納された文化五年は、長崎に侵入したイギリス軍艦によるフェートン号事件があった年。この事件の責任をとり、長崎奉行松平康英公が自刃するという・・そんなきな臭い時代の中でも、石見の国の狛犬さんはしっかりと大切な神域を守っておいでです。

明和元年(1764)奉納:石水鉢

参拝日:2012年11月9日

 

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須賀(すが)神社 in 島根県浜田市松原町

2018年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市松原町に鎮座される「須賀(すが)神社」。御祭神は『健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)』

境内に貼られていた御神徳は「身体強健・防疫・病魔退散」。他に由緒の類は見当たりません。

拝殿前左右より神域を守護されるのは阿吽ともに額に枝角をもった珍しい形の狛犬さん一対。鼻筋の通った丸い大きな目。前から見れば、羽団扇のように大きく開いた尾。足先の毛はまるで上等のアンクレットのような・・何ともお洒落で愛想の陽お顔。「大正二年五月 石工:寺道徳槌」の刻。

阿吽祖rぞれに少し角度を変えて

綺麗に編みこまれたような尾

台座には鮮やかな牡丹

波に洗われて丸くなった自然石を刳り貫いた手水鉢

参拝日:2012年11月9日

 
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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県浜田市

2018年08月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

浜田市(はまだし)は島根県西部の日本海を望む位置にあり、東は江津市、邑南町、西は益田市、南は広島県に隣接しています。中国山地が日本海まで迫り、また、切り立ったリアス式地形と砂丘海岸の織り成す海岸線は、優れた自然景観と天然の良港をもたらし、山陰有数の水産都市として知られています。「市の木:桜」「市の花:ツツジ」「市の魚:ノドグロ」を制定。

キャッチフレーズは「青い海・緑の大地 人が輝き文化のかおるまち」

市の伝統芸能「石見神楽」が有名で、市内の各所では通年を通して神楽が演じられ、浜田駅前に設置された「どんちっち神楽時計」が観光客を出迎えてくれます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、那賀郡浜田町・石見村・長浜村・美川村・周布村・井野村・大麻村・三階村、伊南村・大内村・漁山村(いさりやまむら)・周布村(すふむら)・上府村・下府村・国分村が発足。

1923年、那賀郡石見村が三階村、伊南村大字後野と合併、改めて石見村が発足。

1935年、那賀郡大内村、漁山村が合併、美川村が発足。

1940年、那賀郡浜田町・石見村・長浜村・美川村・周布村が合併、浜田市が発足。

1941年、那賀郡上府村、下府村、国分村が合併。国府村が発足。

1951年、国府村が町制を施行、那賀郡国府町となる。

1955年、那賀郡国府町と有福村が合併、改めて国府町が発足。

1955年、浜田市が那賀郡井野村の一部・大麻村の一部を編入。

1958年、浜田市が那賀郡金城村の一部を編入。

1969年、浜田市が那賀郡国府町を編入。

2005年、旧浜田市、那賀郡三隅町、旭町、金城町、弥栄村が合併、改めて浜田市が発足しました。

マンホールには、海洋館アクアスの「シロイルカ」と、「浜田マリン大橋」が描かれています。

「浜田マリン大橋」

消火栓には、石見神楽の代表的な演目である「鍾馗」がデザインされています。

「鍾馗より、玄宗皇帝と疫病神」

仕切弁には、これも石見神楽の最も代表的な演目である「八岐大蛇退治」がデザインされています。

「須佐之男命の八岐大蛇」

2006年2月23日制定の市章は、「波頭の図案が「浜」を、中央の十字星は輝く未来を表し、同時に全体として里山にある「田」の文字を表徴している。」HPより

中央に「浜田ガス社章」のハンドホール蓋

撮影日:2012年11月9日&2019年4月17日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「浜田市」のマンホールカードは、「浜田市役所西分庁舎3階 下水道課」でいただけます。

2001年に設置開始されたマンホールには「浜田マリン大橋 」「 石見畳ヶ浦 」と「 シロイルカ 」がデザインされています。

「このマンホール蓋のデザインは、合併前の旧浜田市において、下水道をより身近なものとして関心と親しみを持っていただくため、広く市民の皆さんからデザインを公募し、2001年から旧 浜田市 のマンホール蓋として採用しています。 マンホール蓋の中央には 、浜田市 の市章が大きく描かれ、その外側に日本海をイメージした波の模様、内側には浜田市を代表する観光名所の一つであり、国指定文化財の「石見畳ヶ浦」、中四国最大級の水族館しまね海洋館アクアスの「シロイルカ」、県内唯一の特定第3種漁港の指定を受けた浜田漁港に架かる「浜田マリン大橋」が描かれています。」

訪問日:2019年4月19日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧頓原町(飯南町)

2018年08月20日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

旧飯石郡頓原町(とんばらちょう)は島根県の中南部、広島県三次市との県境に位置し、大国主による出雲の国創りの原点「琴引山」で知られた町です。また古くから出雲大社の大しめ縄がこの地で制作され、「日本一・大しめ縄誕生の地」としても知られています。町域花栗地区にある「大しめなわ創作館」では、代々受け継がれたしめ縄づくりの技術と伝統を学ぶことが出来ます。「町の木:赤松」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡頓原村・志々村が発足。

1949年、頓原村が町制を施行、飯石郡頓原町となります。

1957年、飯石郡志々村と合併、改めて頓原町が発足。

2005年、飯石郡赤来町と合併、飯石郡飯南町となりました。

マンホールには「琴引フォレストパークスキー場」と、「頓原川の山女魚」がデザインされています。

昭和33年制定の町章は「「ト」と「志」を「四」に読み替え、円形に組み合わせたもの」です。

中央に「甲」の文字があるハンドホール。

撮影日:2015年4月22日

 

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ご当地マンホール in 島根県飯南町&旧赤来町

2018年08月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

飯石郡(いいしぐん)飯南町(いいなんちょう)は島根県の中南部、広島県との県境と中国山地の脊梁部に位置し、町内の約9割を山林・原野が占める町です。 2005年1月1日に、飯石郡頓原町・赤来町が合併して発足しました。
平坦地の標高は約450mで、県内でも代表的な高原地帯であり、町全域が豪雪地帯となっています。「町の木:ブナ」「町の花:ボタン」を制定。

キャッチフレーズは「小さな田舎(まち)からの「生命地域」宣言 ”いのち彩る里 飯南町”」

飯南町下赤名、備後・石見・出雲三国境の683メートルの山頂に位置する赤穴瀬戸山城(あかなせとやまじょう)登山道案内図。

町章は2005年元旦の制定で、「飯南町の頭文字である「i」(人間)をモチーフに、赤来と頓原のふたつのまちがしっかりと腕を組み、和と団結を図ると共に、自然と人間味の溢れるみずみずしい「いのち彩る里」を作っていこうとする姿勢を表しています」HPより

飯南町マスコットキャラクター『い~にゃん』は、飯南町の森に暮らすメタボ気味の猫君。ナ行の発音が苦手なせいで、話す時に「~にゃ」を多用する為、特に猫好きから愛されているそうです(笑)

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旧飯石郡赤来町(あかぎちょう)は島根県の中南部、山間部に位置した町です。町域には、島根県一の栽培面積を誇る「赤名観光ぼたん園」があり、季節には多くの観光客で賑わいます。

明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡赤名村・来島村が発足。

1934年、赤名村が町制を施行、飯石郡赤名町が発足。

1957年、飯石郡赤名町、来島村が合併、飯石郡赤来町が発足。

2005年、飯石郡頓原町と合併、飯石郡飯南町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ボタン」が描かれています。

昭和34年5月制定の町章は「頭文字の片仮名「ア」を図案化したもの」です。

撮影日:2015年4月22日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧瑞穂町(邑南町)

2018年08月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧邑智郡瑞穂町(みずほちょう)は島根県の中部に位置し、全域が豪雪地帯に指定された町です。町域には「オオサンショウウオ」が今も生息しており、上亀谷地区の「ハンザケ(オオサンショウウオ)観察舎」で、その生態が観察できます。「町の木:桜」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡出羽村(いずわむら)高原村・田所村が発足。

1955年、邑智郡出羽村と高原村、田所村が合併、改めて邑智郡出羽村が発足。

1957年、出羽村が町制を施行・改称して邑智郡瑞穂町となる。

2004年、邑智郡羽須美村・石見町と合併、邑智郡邑南町となりました。

マンホールには「町章と稲穂」、「町の花・サツキ」が描かれています。(邑南町立 瑞穂小学校近くの歩道に設置。)

昭和39年8月19日制定の町章は「中心の「円」に「稲束」で生産性を表しています。」

撮影日:2015年4月18日

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旧邑智郡羽須美村(はすみむら)は、JR西日本三江線沿いに位置した村です。 村名は、合併した二つの村名からそれぞれ一文字を取り、「美」を加えました。

明治22年(1889)、町村制の施行により邑智郡口羽村・阿須那村が発足。

1957年、邑智郡口羽村、阿須那村が合併、邑智郡羽須美村が発足。

2004年10月1日 - 邑智郡瑞穂町・石見町と合併、邑南町となりました。

(※)旧邑智郡羽須美村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

 

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断魚渓(だんぎょけい) in 島根県邑南町

2018年08月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

島根県邑南町旧石見地区、県中部を流れる江の川支流「濁(にごり)川」の上流、約4キロメートルにわたる渓流「断魚渓(だんぎょけい)」。流紋岩を浸食して形成された渓流の間には、千畳敷という名の岩盤があり、自然の摂理による水路、岩樋川が通っています。断魚渓の名は、下流の神楽淵にある断魚の淵にちなんでおり、鮎の遡上を遮ることから名付けられました。

断魚渓駐車場の対面に整備された「公園コース入り口」からの周遊ルートは、中国自然歩道のひとつとして整備されています。私の足では不安がありますが、ご亭主殿がサポートしてくれるというので降りてみることに。

結局、遊歩道をほんの少し歩いたものの、更に続くこの坂を見てあっさりギブアップ (^^;) 。長い人生の中では、いくら気力を振り絞っても、どんなに努力しても、無理なものは無理と思い切ることも必要なのです(笑)。

そこで断魚トンネル入り口まで引き返し、道路上から「断魚渓(だんぎょけい)」を見る事に。この渓谷は、濁川が於保知(おおち)盆地を貫き、石英斑岩をうがって形成されたもの。国道から枝分かれした渓谷沿いの車道からその絶壁の渓谷を眺めることができるのです。画像が不鮮明で迫力に欠けますが、実際はすごい眺め。

眼前に聳え立つ絶景に見惚れ、ふと我に返って改めて周囲を見渡せば、自分が立っている場所がとてつもない高所だと再認識。 高所は嫌い!高所から下を見下ろすなんて無謀もいいとこ・・そんな私がこんな写真を撮っている。人間、切羽詰ると何をやらかすかわからない・・と言うか、何が私をそうさせた?!(笑)

ありったけの根性を振り絞っては見たものの、私では遠目の全体像を捉えるのが精一杯(^^;) と言うことで、ご亭主殿にお願いして岩盤が露出した様子をズームしてもらいました。この程度なのは、その程度のデジカメ故と言う事で・・

自然が生み出した絶景、本当はもっと凄い景色が見られるのですが、私にはこれで十分。本音を言えば「断魚渓二十四景」を制覇したかったのだけど、欲張ると罰が当たります(笑)

訪問日:2015年4月18日

 

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ご当地マンホールin島根県邑南町・旧石見町

2018年08月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

邑智郡邑南町(おおなんちょう)は島根県の中部、広島県との境に位置する町です。県内で最も面積が広い町ですが、全域が豪雪地帯に指定されています。2004年10月1日、邑智郡石見町・瑞穂町・羽須美村が合併して発足しました。「町の木:赤松」「町の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「夢響きあう 元気の郷づくり」

2004年10月1日制定の町章は、「邑南町の漢字の『邑』をモチーフに、町づくりのテーマ「和」から輪がふれあい、大きな輪を創っていくことをイメージしたデザインです。」HPより

邑南町マスコットキャラクター『オオナン・ショウ』。邑南町だけの固有種「オオナンショウウオ」の男の子。「久喜・大林銀山」で発掘された銀の王冠と、邑南町の刀工「出羽直綱」が作った刀を持って、町のPRに励んでいます。で・・・・これがどうしても某有名キャラ「な○こ」に見えてしまう事は、内緒です(笑)

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旧邑智郡石見町(いわみちょう)は島根県の中部に位置した町です。江川水系県立自然公園の「断魚渓(だんぎょけい)」に代表される豊富な自然に恵まれており、江津市桜江町とに跨った「千丈渓(せんじょうけい)」は国の名勝にも指定されています。「町の木:赤松」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により邑智郡井原村・中野村・矢上町・日貫村・日和村が発足。

1955年、邑智郡井原村、中野村、矢上町、日貫村、日和村が合併、邑智郡石見町が発足。

1958年、瑞穂町大字上田所高水地区を編入。

2004年、邑智郡羽須美村・瑞穂町と合併、邑智郡邑南町が発足しました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:赤松」「町の花:菊」、周囲には江の川がデザインされています。

昭和32年7月26日制定の町章は「頭文字の「い」を図案化したもの」です。

撮影日:2015年4月18日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧邑智町(美郷町)

2018年08月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧邑智郡邑智町(おおちちょう)は島根県の中央部、中国山地を北流する江の川が大きく湾曲し、西流する地点に位置した町です。石見ワイナリー株式会社が運営する複合施設「ゴールデンユートピアおおち」や、亀村にあるアウトドア体験施設「カヌーの里おおち」などが知られていました。「町の木:カシ」「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡粕淵村・吾郷村・君谷村・沢谷村・浜原村が発足。

1947年、粕淵村が町制を施行、邑智郡粕淵町が発足。

1955年、粕淵町、吾郷村、君谷村、沢谷村、浜原村が合併、邑智郡邑智町が発足。

2004年、邑智郡大和村と合併、邑智郡美郷町となりました。

マンホールには「江の川のカヌー」と「ゴールデンユートピアおおち」が描かれています。(ゴールデンユートピアおおち付近に設置)

舗道タイル「ゴールデンユートピアおおち」

舗道タイル「江の川カヌー」

昭和33年10月制定の町章は「「邑」を図案化し、周囲の円は融和と発展を表したもの」です。

舗道タイル「町の花:シャクナゲ」

舗道タイル「江の川とカワセミ」

撮影日:2015年4月20日

 

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ご当地マンホール in 島根県美郷町&旧大和村

2018年08月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

邑智郡美郷町(みさとちょう)は島根県の中央部に位置する町です。町の中心地である粕渕は中国山地を北流する江の川が大きく湾曲し、西流する地点にあって、江の川舟運の要地として栄えてきました。2004年10月1日、邑智郡邑智町と大和村が合併して発足。町名は、自然豊かな美しい故郷をいつまでも残しておきたいとの願いから決められました。「町の木:梅」「町の花:シャクナゲ」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑 いきいき輝く 夢あふれる協働のまち」

2004年10月1日制定の町章は「みさとの「み」の文字をモチーフに、いきいき輝く人とまちの姿を、両翼を広げ力強く飛ぶ鳥の姿で表現したもの。青と緑で水と緑の「豊かな自然」を、赤い円は夢あふれる「希望」を象徴している。」公式HPより

美郷町マスコットキャラクター『みさ坊』は、永遠の生後2カ月のイノシシの子ども(うり坊)。特産品の「山くじら(イノシシ)」をモチーフに誕生しました。「山くじら」にちなんで鯨の吊りズボンを履き、帽子には、町を流れる「江の川」と「信喜橋」がデザインされています。

訪問日:2015年4月20日

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旧邑智郡大和村(だいわむら)は江の川と、今は廃線となった三江線沿いに開けた町でした。「町の木:梅」「町の花:藤」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡都賀村・都賀行村・布施村が発足。

1957年、邑智郡都賀村、都賀行村、布施村大字村之郷・宮内・比敷が合併、邑智郡大和村が発足。

2004年、邑智郡邑智町と合併、邑智郡美郷町となりました。

(※)旧大和村は未訪問の為、マンホール等の画像は未確認です。

 

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