車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 島根県旧横田町(奥出雲町)

2018年08月13日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧仁多郡横田町(よこたちょう)は日本で唯一、「玉鋼(たまはがね)」を製造する「日刀保たたら」を擁した町です。1992年に開通した三井野原と坂根の間を結ぶ「三井野原道路」にある「奥出雲おろちループ」は、ちょっとした観光名所として知られています。「町の木:キャラボク」「町の花:シャクヤク」を制定。 画像は横田の中心地区にある「登録有形文化財:横田相愛教会」、すっきりと美しい建物でした。

明治22年(1889)、町村制の施行により仁多郡横田村・鳥上村・馬木村・八川村が発足。

1941年、横田村が町制を施行、仁多郡横田町となります。

1957年、仁多郡鳥上村、馬木村・、八川村と合併、仁多郡斐上町が発足。

1958年、仁多郡斐上町が改称、再び仁多郡横田町となります。

2005年、仁多郡仁多町と合併、仁多郡奥出雲町が発足しました。

マンホールには「船通山」「斐伊川」と、ここで退治されたと云う「八岐大蛇」がデザインされています。

農業集落排水のマンホールには「雲州そろばん」と「町の花:シャクヤク」が描かれています。横田町は「現代日本そろばん発祥地」だそうで、雲州そろばんの生産額は全国シェアの70%を占めています。

昭和34年7月制定の町章は「「よ」を鳩の形に図案化したもの」です。

撮影日:2011年5月16日

 

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ご当地マンホール in 島根県奥出雲町&旧仁多町

2018年08月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

仁多郡奥出雲町(おくいずもちょう)は島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県に接する町です。2005年3月31日、仁多郡仁多町と横田町が合併して発足しました。山間に位置しながらのどかな田園地帯が広がる山里の風景。それはこの一帯でたたら製鉄に必要不可欠の良質な砂鉄がとれた事に起因します。砂鉄を得るため山を削った採取跡地は棚田として活用され、「仁多米」というブランド米を生み出しました。「町の木:もみじ」「町の花:しゃくなげ」を制定。

キャッチフレーズは「心豊かで潤いと活力のあるまちづくり ようこそ奥出雲町へ! 神話とロマンの里」

2005年11月21日制定の町章は「 4つの輪は、「人・自然・伝統・未来」の融合をイメージし、集まってくる輪は、「人の和」と「自然の力」を表現しています。ここに住む人が和となって協力し、わき 立つ雲のごとく豊かな自然と歴史ある奥出雲町が、未来に向かって伸びゆく町で あるようにとの願いが込められています。」公式HPより

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旧仁多郡仁多町(にたちょう)は島根県の東南端、斐伊川(ひいかわ)の源流部近くに位置した町です。幻の黒毛和牛「仁多牛の里」として知られ、全国最良の肉用牛「第七糸桜号」が誕生したことでも知られています。「町の木:ケヤキ」「町の花:シャクナゲ」を制定。

旧キャッチフレーズは「神話とロマンの里 仁多町」

明治22年(1889)、町村制の施行により仁多郡三成町・阿井村・亀嵩村・三沢村・布勢村が発足。

1955年、仁多郡三成町、阿井村、亀嵩村、三沢村、布勢村が合併、仁多郡仁多町が発足。

2005年、仁多郡横田町と合併、仁多郡奥出雲町が発足しました。

マンホールには、国天然記念物の「鬼の舌震」と「町の花:石楠花」が描かれています。

昭和30年制定の町章は「「仁」を円形と三角形にして図案化したもの」です。

斐伊川の上流、大馬木川の2kmにわたる大峡谷「鬼の舌震(したぶるい)」は、出雲国風土記の一文にある「和仁の慕(した)ぶる」が転訛したものといわれています。美しい『玉日女命』を慕い日本海から斐伊川を遡って夜な夜な通って来た「和仁(鮫)」。ワニがどのような経緯でオニになったのか・・ちょっと気になりますね。

撮影日:2011年5月16日

 

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