車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社~其の二 in 静岡県下田市

2018年11月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

二日目は「伊古奈比咩命神社」の拝殿向拝・唐破風に施された素晴らしい彫刻の紹介。

破風 (はふ) の下の懸魚は、瑞雲の中で大きく羽を広げる鳳凰が華麗に刻まれています。

位置的に風雨により晒される場所のせいでしょうが、破風屋根の彫刻は常緑の松も番の鳥の形も年月の分だけ丸くなっています。

向拝の上段には子鶏を間に向き合った一対の神鶏。下段は琴を奏し龍を従える三嶋神でしょうか。

頭貫から木鼻まで一体化した彫刻は、宝玉を掴んで今まさに天に昇ろうとする一対の阿吽の龍神。

それぞれの龍の下には、逆巻く荒波にもまれながら戯れる一対の海亀。

波間を飛ぶ鳥たちを護るのは、研ぎ澄まされた龍の鋭い爪。

貫を支える美しい花の中で鳴くのは白雉(はくち)だろうか・・

逆巻く波間で遊ぶ鶴

懸魚に刻まれた鳳凰と対を成すかのように、艶やかな羽を見せつける火の鳥。

木鼻に彫刻された阿吽の獅子は、社殿彫刻の中でも一番に目がいくもので、今回もまた秀逸。 互いに振り返るその視線を追うのも、木鼻獅子のだいご味・・それにしても何と美しい姿。

脇障子は一方だけしか撮影できなかったのですが「馬上の三嶋大明神に供物を捧げる人」

拝殿の屋根の上には、それぞれ「鯛」と「海亀」に乗った『三嶋大明神』の留め蓋瓦。『三嶋大明神』とは、噴火や造島を神格化したとされますが、また海神であるともされます。

海亀の背に乗る「三嶋明神」。まるで『浦島太郎』のようですが、太郎は客人(まろうど)。海神は迎える側で、風格の違いが見事に表現されています。

参拝日:2011年11月10日

 

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伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社~其の一 in 静岡県下田市白浜

2018年11月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

下田市白浜に鎮座される「伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社」。式内社(名神大社)で、通称の「白濱神社(白浜神社)」は、鎮座地の地名に由来。 白浜海岸北側に突き出た岬の丘陵「火達(ひたち)山」に位置し「伊豆最古の宮」とされます。

主祭神は『伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)』相殿神に『三嶋大明神』『見目』『若宮』『剣の御子』。 

社伝に【まず『三嶋神』は南方から海を渡って伊豆に至った。そして富士山の神・高天原の神から伊豆の地を授けられ、白浜に宮を築き、『伊古奈比咩命』を后に迎えた。さらに、『見目・若宮・剣』の御子の3柱や、竜神・海神・雷神などとともに伊豆諸島の島焼き(造島)を行なった。島焼きによって、初島に始まり神津島・大島・三宅島・八丈島など合計10の島々を造り、自身は三宅島に宮を営んだ。その後しばらくして、白浜に還ったという。その後、伊豆国一宮の「三嶋大社」へと遷座したとも伝える。】

朱の神橋が架かる入り口から神域を守護されるのは、見返り江戸流れの狛犬さん一対。「石工・下田町 山岸又助 昭和十年(1935)四月十七日」の刻。

吽形さんは見事な七宝の毬を手にしています。

丘陵の下に建てられた拝殿は入母屋造、向拝唐破風付で、万延元年(1860)の造営。

拝殿前より神域を守護される狛犬さん一対。「石工・土屋善兵衛 寛政十二年(1800)九月」の刻。

狛犬さんなのに何というお優しいお顔をされているのでしょう。やはり姫神様をお側近くで護る神獣はこれくらい穏やかで優しい顔立ちをされているものなのでしょうか。

さらに、拝殿の玉垣には、まるでここを守るのは自分たちだと言いたげな小さな狛犬さんがいます。うっかりすると見過ごしてしまいそうなほど小さな狛犬さんですが、これがまた良い姿。

「下田石工  小川清助 万延元年(1860)九月吉日」の刻。もしかしたら拝殿の建築と同時に作られたのかも知れません。

何となく悲観的に見える吽形さんに対して、あどけない子供のような笑顔の阿形さん。相方と言うよりも兄弟と言った感じ。

神社のあらましと、神域を守護される狛犬さんたちの紹介は終わりました。明日は美しい社殿彫刻の数々を紹介します。

参拝日:2011年11月10日

 

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波布比咩命(はぶひめのみこと)神社 in 静岡県下田市東本郷

2018年11月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

下田市東本郷、下田駅近くに鎮座される「波布比咩命(はぶひめのみこと)神社」。御祭神は『波布比咩命(はぶひめのみこと)』

由緒に【この社は田圃の中にありましたが、古代下田港は奥深く入り込み、この境内の辺りは小島だったと伝えられていました。鎌倉時代は『船戸明神』が祀られ「船戸の宮」と呼ばれ、後、「波布比咩命神社」となりました。 又、安政の津波には付近に大船が押し流されて来ましたが、この地は浸水せず「浮島様」とも呼ばれています。近年付近の試錐で、砂や貝殻が出て周囲が海だったことが確かめられています。 御祭神の『波布比咩命』は『三島の神(事代主命)』が大島に置給ふ后で、大島町野増の「大宮神社・ 阿治古命」大島町泉津の「波知加麻神社・波治命」の母神とされています。】

海に深く関わり、波を御名に冠するご祭神が鎮まる社の拝殿には、見事な波の彫刻。

拝殿の木鼻には、まるで今にも泣きだしそうなお顔の獅子が参拝者を見下ろしています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、天保十五年(1844)十一月吉日建立の狛犬さん一対。お顔の輪郭が、海中から引き上げたばかりのサザエのようにデコボコなのが、私的にはツボ(笑)だってとっても可愛い。

阿形さんは頭に角を

吽形さんは頭に宝珠を戴いています。

境内の一角に鎮座される「境内社:天神社」、御祭神は『菅原道真公』

参拝日:2011年11月10日

 

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下田八幡神社 in 静岡県下田市

2018年11月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

下田市1丁目に鎮座される「下田八幡神社」。御祭神は『誉田別命(八幡神社)、素戔嗚尊(八雲神社)、天照皇大神宮(神明宮)』

由緒【創建時期は不詳、正応年中(鎌倉後期1288年頃)には既に鎮座していたと伝えられる。裏山から発見された鰐口に「下田村若宮」と刻まれており、下田の地名が出てくる最初のものと思われます。縁起書によれば永正4年(1507)建立の社殿は、享和2年(1802)失火により焼失、文化4年(1807)再建された。その後、朝比奈家二代が下田領主であった時、「正八幡宮は下田の鎮守本社である。」と定め、以来、下田の総鎮守として崇敬されている。】

参道入り口、神橋の左には、イナバウアーも真っ青の見事に幹をしならせた「迎神の松」

参道途中に建つ二の台輪鳥居の内側が駐車場になっており、ここに車を止めてから参道入り口まで戻り、改めての参拝。

「菊薫る」季節の「下田八幡神社」の御神門、左右には見事な懸崖つくりの菊が奉納されており、門をくぐるときにふわっと香る菊の匂いに癒されます。

神門の先より神域を守護されるのは、明治41年(1908)10月吉日建立の江戸流れの狛犬さん一対。

阿形さんは大切そうに仔狛を胸前に。

仔狛さん、口一杯に毬を咥えて遊んでいる姿が・・悶絶しそう(笑)

そして吽形さんは毬を手に。実は江戸流れの狛犬さんはご亭主殿のお気に入り。写しては背中をなで、また位置を変えてデジカメを向けては、綺麗な毛先を撫でています(笑)

鎮守の緑を背景に、一段高い位置にある美しい佇まいの拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは文化元年(1804)四月建立の狛犬さん一対。吽形さんのかしげた首が・・とってもチャーミング(笑)

この形は江戸流れに至る以前の造詣でしょうか? 太い眉に大きな鼻と歯並びの良い口は、いわゆる「御獅子」の顔だちを連想させます。

参道途中に見かけた「鐘楼」

神社で良く見かける「力石」。その昔の氏子さんたちの力自慢に使われたものですが、他と比べて随分と大きいような・・

樹齢四百年余「御神木:びゃく槙」

参拝日:2011年11月10日

 

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下田市内~あちこちウォッチ in 静岡県下田市

2018年11月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「了仙寺」と「ペリーロード」で下田の観光終了!何て言うと、観光協会からクレームきますね(^^;)。 歴史のある町には、特に「○▲○」なんて名称が無くても、実は見所はいっぱいあります。
「了仙寺」の近くに「御獅子神社」という、とても小さな神社を見つけました。

祠の中には御神体である一対の獅子頭が奉納されています。この獅子頭様、何と岩戸隠し所縁の木で彫らせたもので、霊験あらたか!! その為、町内住民の信仰を集める事となり、現在の場所に鎮座された旨、傍らの案内に記されています。

ところで、下田で一番有名な外人と言えば『ハリス』『ペリー』それに『プチャーチン』。三人の似顔絵は「道の駅:開国下田みなと」で見たのですが、『ハリス』以外が怖すぎ(笑) きっと当時の日本人の目には彼らはこんな風に見えたんでしょうね。

ほぼ無理やり(笑)、武力行使をちらつかせて鎖国を解かせ開国に持ち込んだ上記の三人。「下田開国博物館」では、日本開国に係る約1000点もの資料が常時展示されています。

全く興味ないかといえば・・・・なのですが、それよりも興味を引いたのはこの建物の外観。松崎町で、あれだけのなまこ壁造りの土蔵とか見てきたのに、やっぱり良いモノ、美しいモノは見飽きませんね。

さて『ペリー』と言えば、幕末期に活躍した「吉田松陰:ペリー艦隊密航未遂事件」。 弁天島に身を潜めた『吉田松陰と金子重輔』はそこから「ポーハタン号」へ小舟をこぎつけます。しかし『ペリー』に密航を断られた二人は、下田奉行所に自首、奉行所の命により拘禁されました。 下田市立中央公民館の一角には、「吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)」の碑が残されています。

伊豆急下田駅前のロータリーにある、漆喰壁が美しいとてもエキゾチックな土産物屋。なまこ壁の町並みが素敵な下田らしい佇まいに、塔屋の時計台がさらに色を添えています。

下田温泉の看板近くに手湯らしきものを発見!。手をかざすとほんのりと温かい・・そうか、この辺も温泉地なんだね。

駅前の下田観光案内所に立ち寄り、そのまま香煎通りの路地を進むと「喉の神様:香煎塚」。喉の病を癒す術を知っていた「こがせん(はったい粉)好きの老婆」が亡くなった後、懇ろに塚に葬られた経緯が、香煎通り・名前の由来に記されています。

観光案内所近くには、ペリー艦隊「サスケハナ号」の模型と、可愛い龍馬君。別に良いんだけど・・なぜ吉田松陰にしてあげなかったのしら・・・

黒船と言えば、下田港にはこの艦を模した遊覧船「黒船サスケハナ」が就航していますが・・昔、遊覧船に乗って乗り物酔いした前科があるので、潔く回れ右(笑)。

下田湾の間戸ケ浜に浮かぶ毘沙子島(みさごじま)」。ペリーたちの乗った黒船はこの近くに停泊し、島々の詳細な記録を残しているとの事。その当時に朱の鳥居が有ったか否か・・どうなんでしょうね?

「道の駅:開国下田みなと」の敷地内。まるで沢山の鳥がとまっているような景色に思わず立ち止まって見上げた「ジャカランダ」の木。初夏に桐の花に似た青紫色の花を咲かせるそうです。

市街地を抜けて丁度目についた「フェニックス広場」に停車。フェンス越しの海風にあおられてザンバラ髪のまま(笑)見下ろす海岸線。打ち寄せる波は白く泡立ち、風は雨の湿気をはらんでより強くなってきました。

下田市最後の見所ウォッチは、白浜海岸に建立された『北原白秋』歌碑。

【砂丘壁に 来ゐる鶺鴒(せきれい)晝(ひる)久し 影移る見れば 歩みつつあり】

訪問日:2011年11月10日

 

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ペリーロード in 静岡県下田市

2018年11月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

時の江戸幕府に対し、開国を(強制的に)求めて黒船でやってきた『マシューペリー』。 下田港に上陸した『ペリー』は、300人の部下を引き連れて、「了仙寺」まで行進したといいます。

今、平滑(ひらなめ)川沿いの路は、「ペリーロード」の愛称で、観光客の人気を集めていますが・・当時の日本人にとってペリーとはどんな存在だったのかを考えると、過去を根に持たない日本人らしさと言うべきか(笑)

川風にゆれる柳の並木に誘われるように、ゆっくりと歩いていけば、そこかしこに顔を覗かせる洒落た風景。

明治時代に遊郭だった建物は、窓にステンドグラスが埋め込まれた、何とも艶めかしい佇まい。

一階の屋根の上からこちらを睨んでいる「鍾馗」は、さしづめ、「骨董店:風待」の用心棒かな。

赤い欄干の「柳橋」のたもとにあるのは、安政元年(1854)に建てられた廻船問屋「土佐屋」。二階の腰壁一面に貼られた白と黒の「なまこ壁」が、ひときわ存在感を主張。 

こんな町並みには、やっぱりガス灯のオレンジ色が良く似合う。

逢坂橋のたもとにある美しい佇まいの古民家と、伊豆石造りの蔵は大正3年(1914)の建造。 現在はギャラリーアンドカフェ「草画房(そうがぼう)」として、街ゆく人の憩いの場になっています。

伊豆石造りの蔵は、書家の『竹澤尚生(たけざわひさお)氏』のアトリエ。(伊豆石は「室岩洞」に代表される、伊豆の山から切り出された石材の総称。)

蔵と隣接して建つ、緑の窓枠が可愛い石造りの洋館は、築150年のイタリアン・レストラン。 この画像では石造りの蔵のほうが存在を主張して、レストランは半分しか写っていませんでした(^^;)

ペリーロードを歩いていると、石畳の道にとてもユニークなデザインのタイル。洋服の男性は黒船の乗組員のようで、商人から樽に満たされた酒のようなものを買い求めています。

明治・大正の浪漫漂うペリーロードも、この「1829年製30ポンド:カロネード砲」が設置された場所で終わり。 ここから開国記念碑まではそんなに遠くなかったらしいのですが、うっかり見逃してしまったようです(笑)

ガス燈の向こう、なまこ壁と伊豆石が美しいお屋敷は、1918年に建築された「旧澤村邸」。なまこ壁の建物って、本当に歴史を思わせる町並みにはぴったりの佇まいですね。

訪問日:2011年11月10日

 

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了仙寺(りょうせんじ) in 静岡県下田市

2018年11月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

寛永12年(1635)、下田奉行『今村伝四郎正長』によって下田市七軒町に創建された「了仙寺」。参道から境内にかけて数百株のアンリカジャスミンが植えられており、「ジャスミン寺」の別名を持ちます。

下田の「了仙寺」と言ってピンと来ない人も、「下田条約」が締結された寺と言えば「ああ!」と頷かれるかも。
嘉永6年(1854) 、黒船という圧倒的武力を誇示して浦賀に現れた『ペリー』率いるアメリカ艦隊。 開国を迫るアメリカに対し、時の幕府も遂に折れ、そのうねりは大きく日本を変えていきました。
嘉永7年(1854)3月、横浜村(現・神奈川県横浜)に於いて「日米和親条約」が結ばれた二ヵ月後、再び来日した『ハリス』との間に、先の条約の付属協定として「日米下田条約」が結ばれました。
「了仙寺」は、『ペリー』が来航して以降、彼らを応対する場所として使われていた処です。

ハリスの名前が先に登場したのが私としては少々不本意ではあるのですが、境内の一画に「お吉塚」が祀られています。ハリスの接待役として召し抱えられた事で「唐人お吉」と後ろ指をさされる人生を余儀なくされ・・どこまでいっても、何年たっても付きまとう唐人の名に身も心も疲れ果て、角栗の淵に身を沈めた悲しいお吉さん・・・願うのはただ一つ・・安らかに。

境内墓地の入口に立つ三基の五輪塔は、二代・四代・五代の下田奉行の墓とされています。 正面からではないので認識できる「五輪塔」は一基のみ、どの下田奉行のものかは不明(^^;)。 これらの「五輪塔」は江戸時代初期の物で、下田市史跡として、また「了仙寺」は国史跡に指定されています。

伊豆半島に位置するこの場所は、古くから人々が住み着き、集団での生活が営まれていたと云われています。 了仙寺の境内にある横穴遺跡は、1300年以上前の古墳時代に作られた横穴墓と推定。

発掘調査のさい、人骨と共に出土した装飾品の規模から見て、被葬者は地元の長のような存在ではないかと云われています。穴は約10m程で、先は浸食により反対側へと抜けているとか。興味はありますがさりとて、潜ってみたいとは思いません(笑)

ぼんやりと明るく見える竹簾の向こうはどことつながっているのでしょうね。いずれにしても、古墳時代の遺物と、近代日本の幕開けとなった歴史が同居なんて、理屈抜きに感動です。

「了仙寺宝物館/黒船美術博物館」には、黒船・開国の資料などが展示されているそうです。興味がない訳ではありませんが、それよりも私たちの興味はどうしても寺社彫刻に・・(^^;)、この獅子と獏、凄いでしょう。赤く彩色された口をあけて参拝者を見下ろす姿、異人さんたちの目にはどんな風に映ったのでしょうね。

本来であればもっと歴史あるお寺の佇まいを画像に残したかったのですが・・観光バスでの来場者に二人とも圧倒されて(^^;) 団体さんに慣れていない二人。遂に待ちくたびれて、早々に参拝を切り上げてしまいましたとさ(笑)

参拝日:2011年11月10日

 

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ご当地マンホール in 静岡県下田市

2018年11月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

下田市(しもだし)は静岡県の東南部、伊豆半島の南部東側に位置する町です。南伊豆町、河津町、松崎町と、また海上を隔てて東京都大島町と隣接。
天城山系の南端から太平洋に至る豊かな自然に恵まれた都市で、江戸時代には江戸・大坂間の風待ち湊として栄えてきました。 幕末期という激動の時代、日本最初の開港地となった事から、市内には関連する様々な史跡が数多く残され、多くの観光客を集めています。「市の木:大島桜」「市の花:紫陽花」を制定。

また下田港は、高級魚で知られる金目鯛の水揚げが日本一と言われ、年間の水揚量は1000トン以上。下田で水揚げされる八割がキンメダイだそうです。

キャッチフレーズは「自然と歴史を活かし、やすらぎと活力のある美しいまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、賀茂郡下田町・稲梓村・稲生沢村・浜崎村・朝日村が発足。

1896年、賀茂郡浜崎村より、白浜村が分立。

1955年、賀茂郡下田町、浜崎村、白浜村、稻梓村、稻生澤村、朝日村が合併、賀茂郡下田町が発足。

1971年、賀茂郡下田町が市制を施行、下田市となり現在に至っています。

マンホールには、下田市の市章をつけた「黒船」がダイナミックに描かれています。(下田駅付近の商店街などに設置。)

「名古屋市上下水道局・下水道科学館」展示マンホール。

「ペリーロード」のとある場所で見つけた黒船ですが、なんかイメージ通り(笑)

昭和33年12月22日制定の市章は「町章として制定されていたもので下田市制施行後に継承されました。 四つの「下」と、中心に「田」の字を作り、全体で開国の港となった下田港を表しています。」公式HPより

撮影日:2011年11月10日

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「石廊崎灯台」を後にした私たちのその日の車泊地は、「道の駅: 開国下田みなと」。華麗な建物に圧倒されつつ(笑)、雨の夜を無事に過ごす事ができました。車中泊で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました m(__)m

 

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石廊埼(いろうざき)灯台 in 静岡県南伊豆町

2018年11月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

ワイワイと取り留めないお喋りをしている間に、車は石廊崎遊覧船発着場の駐車場に到着。 駐車料金500円也を支払ったら、いよいよ本日最後の立ち寄り地「石廊埼灯台」へ。
右側手前に見えている白い手すりの所が結構急な石段で、まずはここが灯台へ向かう最初の難関。

階段を登り切った先も、当然ながら容赦ない坂道・・歩いても歩いても目の先には坂道(;_;) やっぱり諦めたほうが良かったかも・・と、胸の中で弱音を吐きつつ、それでも振り返った先に見える坂道をここまで歩いて来たのにと、ありったけの負けん気でひたすら歩き続けます。

眼下に見える「石廊崎漁港」がどんどん小さくなってゆきます。もう少し・・・多分・・あと少し・・ガンバレ!ワタシ!(笑)

時々ご亭主殿が下の方を指さし「あれは何だろう?」と尋ねてくれる。多分気持ちをリラックスさせようという思いやり。で、前のめりの体を起こし、指さす方を見れば・・「ああ、あれは多分鳥の巣。そうだね鷲か・・トビかな?」

ふっと見上げた岩山の上、あそこに鷲がいるよ!」、どれ?あ、本当だ。巣から離れているという事は、警戒しているのかな?襲ったりしないか?」丈夫、よほど近づかない限りむこうもじっとしてるよ。」漁師だった父が教えてくれた昔々の話を、私が貴方にするなんてね(^-^)

暫く進むとごつごつした岩に囲まれた、エメラルドグリーンの海がさっきよりも大きく見えてきました。 このあたりの岩場は、約40万年前の海底火山の噴火によって形成された溶岩流で出来ているとか。 さらっと40万年とか書いてますが、北東シベリアでマンモスが誕生したとされてる頃の話(笑)

ああ、ねぇ、灯台が見えて来たよ!!ほらあそこ!!

すれ違う人たちの「もう少しですよ」の声。やっと石廊埼灯台まで3分の道導が見えてきました。

灯台の事務所らしき建物は「石廊埼特別地域気象観測所」

平坦な場所に出たところで息を整え、ともかくも「石室神社」の鳥居に一礼し先に進みます。

細い路地のような道を抜けて・・・目の前に見えるのは間違いなく海!

伊豆半島の最南端「石廊崎」に立つ白亜の「石廊埼灯台」。感動的なシチュエーションです(笑) 目の前に広がるのは壮大な太平洋、孤高の戦士のように、ただ静かにそこに存在する一基の灯台。

妄想の中で物語りはどんどんと進んでいき、いつしか足の痛みも忘れて最高にご満悦(笑) あいにくと灯台の敷地内への立ち入りはできませんが、元々その美しい外観が見たいだけなので私にはこれで充分。

柵で囲まれた灯台の右手に、海に向かって進むかなり急な遊歩道が見えています。 どうやら、海蝕洞窟に建てられた「石室神社」への参道らしいのですが、流石にこれ以上は(^^;)

行きは良い良い帰りは・・・人間なんでも引き際が肝心(笑)欲張っても良い事はありません。それよりもほら、ここから見る海と岩山の素敵なコラボ、もう次々と物語が生まれてきそうじゃない(⌒∇⌒)

角度が見せた面白い悪戯・・さてさて、これを何と説明しよう(笑)

端っこ大好き二人、伊豆半島最南端の灯台も無事に見ることが出来、後は下って帰るだけ。 名残惜しさを捨てきれず最後にもう一度と振り返えれば、まるで待っていたように漁船が一艘。

楽ではなかったけれど、その分満足感は最高!いつかまた・・そう、いつかまた来れたら良いね。

訪問日:2011年11月9日

 

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R136号~県道16号ちょっとドライブ in 静岡県南伊豆町

2018年11月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

R136号線をひたすら走り、南伊豆町に突入してすぐに「待ってました」と言わんばかりの「夕日ヶ丘休憩所」。駐車場が整備されており、高所なので海岸線の眺めも良かろうという事で急遽、休憩。

案内板によると、11月から1月の間、突き出した「波勝崎(はがちざき)」の左に夕日が沈み、それはそれは非常に美しい眺めだと書かかれています。

夕日ヶ丘休憩所から見た妻良地区の海岸線。左手の海に突き出しているのは「二十六夜(にじゅうろくや)山」。妻良湾から程近い海上に見えるのが太平洋に浮かぶ無人島「宇留井(うるい)島」

案内通りだとすれば 右手に見えるのが「波勝崎かな。

そう言えば波勝崎には、日本猿300匹が生息する野猿の楽園「波勝崎苑」なる場所が在るそうです。 もしかして、この休憩所にある「五猿(ごえん)の像」も、その関連から作られたのでしょうか?。

でもって、「五猿」は「御縁」に通じるとして、縁結びのご利益?も有るとか・・・(^^;) みなさん、色々と考えますなぁ(笑)

そこから先はご勘弁を!!と泣きだしたくなるU字S字カーブの連続で県道16号線に入り、妻良地区に到着。思ったよりも広い妻良漁港。何とも言えない懐かしい潮の匂いが幼い昔を思い出させて大きく一息。

再び県道16号線沿いをひたすら走り、味のあるトンネルを抜けた所で都合よく現れた「あいあい岬P」で一休み。

ここから見える奇怪な形の岩山。これを何と形容したら一番しっくりするのだろうかしら。たとえば昔ご亭主殿が嵌っていたRPGのゲームの世界に、こんな岩窟があったような・・うっかり足を踏み入れたら即死パターンだったような・・

この光景だけで幾通りの物語が作れるだろうと、またしてもおバカな妄想をさく裂させて・・・。大きく口を開けた岩穴・・ねぇ、よく見たら鋭い歯が・・・・(◎_◎;) あれはただの岩なんかじゃないよ!!・・・なんてね(笑)

瀬戸内の海辺に育ってきた私には、こんな風に穏やかな海の景色はとても懐かしく思える。もちろん・・・水平線なんて見えるような大海では無かったけれど、それでもこの穏やかな島影がとても心地よい。

何時まで見ていても見飽きない風景だけど、時間は限られているのだから、いい加減に腰を上げないとね。今日最後の立ち寄り先に行けなくなっちゃうよ。

訪問日:2011年11月9日

 

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