車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

岩科学校~其の二 in 静岡県松崎町

2018年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

昨日に続いて、今日も「岩科学校」の超個人的(笑)必見ポイントを紹介していきます。 疑洋風建築「岩科学校」のメインといっても過言でないのが、玄関上部のバルコニー。
この山深い小さな村に現れた真っ白い円形のバルコニー。人々の目にはどう映ったのでしょう。 たとえばそれは帝都のどの建物よりも素晴らしく、それを作ったのは自分たちだという誇らしさ。

バルコニーから室内を見れば、色合いも優しい欄間、部屋を仕切る清楚な障子戸。

奥の部屋に見える太鼓は、子供たちへの授業の合図。そして村人への時告げの報せでもありました。

天井には彩りも鮮やかに、爛漫の花を咲かせるランプ掛け。 深い青の真ん中に、わずかに朱を帯びて咲くのは「花中の王」「花神」とも呼ばれる「牡丹」

欄間には向かい合う「鳳凰」の一対。天上界の生き物はかくも美しいのかと目を見張らずにはいられない。これらの華麗な鏝絵も、一階欄間の製作を担当した『佐藤甚三』の手によるもの。

流れるような尾羽の輝き。朱は炎に焼かれて蘇る色、青は深い水底から天上へと至る空の青。 ここに来るまで一度も耳にした事のなかった『佐藤甚三』、改めて探し訪ねたい人物になりました。

正確な升目の障子の桟、そこから入る明かりは、実はとても目に優しいのだと知ってますか? 紙と木材と漆喰で作られた空間は、しばしの間、日常の喧騒を遮断してくれる気がします。

二階・西の間は主に客室として使用されましたが、作法や裁縫の授業にも利用されていました。 鮮やかな色彩に満たされたこの部屋については、次の項目でしつこく(笑)紹介したいと思います。

そろそろこの感動的な「岩科学校」から出て、庭内にあるこれも由緒ありげな建物に向かいます。 現在は休憩所として利用されている「開花亭」は、明治8年に「岩科商社」として建築されました。

後に「岩科村役場」として使用、やがてその役目も終え、この地に移築・復元。 建物内では、伊豆独特のみやげ物や、開校当時使われていた教科書等も販売されています。

玄関を入ってすぐ、天井のランプ掛は、周囲に十二支を配した龍が漆喰鏝絵で描かれています。 製作者は、岩科学校の欄間などを制作した『佐藤甚三』、又してもの登場ですね(*^^*)

すっきりと弧を描く竹は、旧西座敷の天井に描かれたもので、これも『佐藤甚三』の鏝江。 右側の二つの穴は、ランプ用の掛け釘があった場所でしょうか?

最後は、体操選手っぽい少年が右手を高く挙手し、左手に梟を止まらせている銅像。 銅像はさて置き(笑)、その台座に刻まれた「岩科起て」が気になって、少し調べてみました。
詳細は長くなるので省きますが、要するに【岩科村のみんな、負けるんじゃない!!】。実際はもっと長い経緯があるので、どうしても気になる方は「岩科起て」でググってください。

訪問日:2011年11月9日

 

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