車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県南伊豆町

2018年11月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

賀茂郡南伊豆町(みなみいずちょう)は静岡県東部、伊豆半島の最南端に位置する町です。海岸地形は複雑で小規模なリアス式海岸になっており、また伊豆半島最南端の「石廊崎」などの景勝地を有しています。市街は青野川流域の下賀茂温泉地区と弓ヶ浜温泉地区に形成。青野川の下流には奄美大島から移植したマングローブ植物のメヒルギの群生があり、定着の北限とされています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:マーガレット」を制定。

キャッチフレーズは「次世代(みらい)につなぐ 光と水と緑に輝く南伊豆町~ひとにやさしく 自然にやさしく 未来につなぐまちづくり~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、賀茂郡南中村・南上村・三坂村・三浜村・竹麻村・南崎村が発足。

1955年、賀茂郡南中村、南上村、三坂村、三浜村、竹麻村、南崎村が合併、賀茂郡南伊豆町が発足。

マンホールには、町章と「石廊崎灯台」、周囲に「町の花:マーガレット」がデザインされています。

伊豆半島最南端に建つ「石廊埼(いろうざき)灯台」。

日本の渚百選に選ばれた「弓ヶ浜」で、ビーチパラソルを立てて日光浴を楽しむヤドカリのカップル。

「伊豆3大美浜」「日本の渚100選」にも選ばれた「弓ヶ浜」。

「国姓翁(こくせんや)合戦」の一部を舞にした「小稲の虎舞」と「伊勢えび」が描かれたマンホール。 南伊豆町のデザインマンホールは2011年の時点で4種類ですが、個人的にはこれが一番好きかな。

最後は妻良(めら)地区に設置されているマンホールで、「花火と無形文化財・妻良の盆踊り」。

昭和45年7月21日制定の町章は、「円は、合併した6ケ村の和を、V型は町の限りなき発展を表徴する。」HPより

撮影日:2011年11月9日

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マンホールカード、いただきました。

2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(計109自治体120種類)のマンホールカードの配布が開始されました。南伊豆町のマンホールカードは「南伊豆町観光協会」で頂けます。

2007年に設置されたマンホールには、「青野川の河津桜:下賀茂温泉の湯けむり」がデザインされています。

【南伊豆町は、伊豆半島の最南端に位置する温暖で自然豊かな町です。 下賀茂地区のマンホール蓋には、名湯・下賀茂温泉の湯けむりと早咲きの河津桜をデザインしました。 下賀茂温泉の始まりは室町時代。 傷ついたトビが湯で体を癒しているところを発見されたのが起源とされます。 泉質は塩化物泉で温度が高く、源泉井から立ち上がる湯けむりが温泉情緒を感じさせます。 また、南伊豆のもう1つの自慢が河津桜です。 毎年2月10日から3月10日まで開催される「みなみの桜と菜の花まつり」は、下賀茂地区を流れる青野川沿いを2kmにわたって咲き乱れる約800本の河津桜が見どころ。 一度は目にしたい絶景です。】

 

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R136号~ふらり寄り道 in 静岡県松崎町

2018年11月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「岩科学校」を後にこれから南伊豆に向かうのですが、そこで見かけたのがこのなまこ壁の土蔵。思わず車を止めてと叫びそうなのをグッとこらえて(^^;)

「岩科川」沿いに田園風景が広がる道を松崎方面に向かい、そこから136号線へと進路をとり南伊豆に向かいます。

途中「室岩洞」と書かれた標識を見つけ、急遽路肩の広い場所に車を止め、近くまで行く事に。 案内板に「江戸城の石垣に使われた石切り場と伝えられており、切り出された石を運ぶため千石船がこの海を往来した。「室岩洞」は石切り場跡の洞窟で、内部には清水が沸きコウモリが生息している」

行けるものなら・・・と思いましたが、崖下へと続くこの通路は流石に自分でも無理と判断。 何しろ朝一番で松崎の町歩きをし、美術館・岩科学校と歩き回ったので、太い足が更に倍に(笑)

断崖から覗き見たエメラルドグリーンの海。まるで山々が一緒になって掬い上げ、大切に抱え込んだ宝石みたいにに、すっぽりと収まって見える。

ダメなものはとっとと諦めて再び136号を進み、今度は「駿河湾展望スポット」に寄り道。 俯瞰図によれば、あの島のどれかが「三四郎島」で、どれかが「堂ヶ島」らしい。 で、島の向こうには、お天気が良くて更に運が良ければ、「富士山」が見えるらしい(^^;) 

続いて立ち寄った「雲見の湾口」からは、「牛付岩」と呼ばれる大きな岩が見えます。 二つに割れた岩には注連縄が張られ、左手の大きい方の岩上には赤い鳥居があるとか。

しかも運が良ければ岩の間に富士山も見える・・・そんな素敵なツーショット画像・・あ・・・代わりに船が(-_-;)

奇岩が並ぶ海岸線、まるで獰猛な獣が足を踏み出して、鋭い爪を見せ付けているみたい。

湾になった海の色はここでもやっぱりエメラルドグリーン

そこからさらに進み、「石部(いしぶ)棚田」の看板を見つけて、またまた寄り道(笑)。標高120~250mの斜面に広がる、約370枚の石積みの「石部棚田」。

眼下に駿河湾を一望でき、晴れた日には「富士山」を望むことができる絶景の棚田なのですが・・まぁ、今更ではありますが富士山は見えるはずも無く、でもそれは絶対に私達のせいではなく、お天気のせいなのです。

訪問日:2011年11月9日

 

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伊豆の長八と岩科学校 in 静岡県松崎町

2018年11月08日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

「岩科学校」の紹介は昨日であらかた終わりましたが、もう一つ、絶対に外せない素晴らしい物を最後に紹介します。 それは、学校の建設に当たり、名人と謳われていた「伊豆の長八」に依頼した鏝絵装飾の話。三回に分けた「岩科学校」、ラストの〆は「伊豆の長八と岩科学校」としました。

まずは正面、唐破風屋根の兎の毛通しの「龍」は、長八が、棟梁の「鑿(のみ)」を借りて彫ったもの。 頭の中に、長八が鑿を借りる場面が、ついでに渋い声で、「棟梁、ちょいとあたしにその鑿を貸しておくんなはい。」「外ならぬ長さんのこった。構わねえがなにをするんでい?」・・・なんてやり取りまで聞こえて・・ああ、重症です(笑)

お馬鹿な妄想は置いといて、何と言っても「岩科学校&入江長八」と並べば、鏝絵ファンならずとも必見の「鶴の間」
本来は二階:西の間と呼ばれる日本間で、「作法」や裁縫の授業にも利用されていたそうです。 今どきのお子様には「お作法」なんて言葉は死語かも知れませんが、当時は学問と同等に大切なことでした。

正面の床の間は、昇る太陽を表現した紅の壁。太陽そのものでなく色のみで表現しています。

床の間から続く脇床には緑を配し、「常盤木(ときわぎ)」とも呼ばれる「松」を表します。一見、書きなぐりの幾何学模様のようにも見えますが、これもすべて鏝で丁寧に描かれています。

高さの異なる「床脇棚」には、それぞれの杉戸に趣向をこらした絵が書き込まれています。 画像では見え難いですが、「山水図」は、木地に金砂子を撒いた上に、山水の線描を鏝で描いたもの。
少し背の高い「床脇棚」には、鮮やかな色彩を駆使して、唐国の美女と取り取りの蓮の花。 いずれも長八の手になるものですが、それにしてもその多才さには心底驚嘆させられます。

江戸に出た長八は、21歳の折に『谷文兆(たに ぶんちょう)』の高弟、『喜多武清』に付き、狩野派の絵を学んでいます。
唐の佳人が蓮の花を観賞する様を描いた「美人賞蓮(しょうれん)の図」。これが鏝絵とは、言われて説明されなければきっと「素敵な絵」として見逃していたかも。もっとも、長八美術館であれだけの鏝絵を見た後なら、あえて驚くほどではありませんね。・・ってやっぱり驚愕しますよ(^^;)

床の間の端に置かれた地味な二つの壷は、漆喰粘土を使って作った長八作の花瓶。 さすがにこういった渋い作品は、骨董に造詣の無い凡人の私には、本当の良さなんてよくわからないのが本音(^^;)

そして、紅の床の間中央には、いずくかの寺社の懸魚(げぎょ)にあった、長八作の「鶴」。 大きく羽を広げた姿は、鶴の間の置物としてはこれ以上ふさわしい題材は無いかもしれません。

さらに・・・部屋を取り囲む欄間には、一羽一羽形を変えて描かれた138羽の鶴。 鶴の間と名づけられた由来は、名工・入江長八の最高傑作と称されるこの鶴の鏝絵ゆえなのです。

鶴たちが目指す先は紅に染まる日の出の空。大空高く飛翔する姿は、ここに学ぶ子供たちの姿。 138羽の鶴は、当時の生徒数に相当するそうで、そこにも長八の想いが籠められているようです。

その美しさに感動し、しばし熱に浮かされたような気持ちで、鶴たちの行方を追い続けました。 青い空の高みを目指し飛翔する鶴の姿に、目を輝かせて学びの道を行く子供たちの姿が重なり・・いつの間にかこぼれた涙にあわてて顔を振り、はるかな時代に思いを馳せ、鶴の間を後にしました。

叶うことならいつか再びこの地を訪ね、青空の中を飛翔する138羽の鶴にもう一度会いたいと願いながら。

訪問日:2011年11月9日

 

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岩科学校~其の二 in 静岡県松崎町

2018年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

昨日に続いて、今日も「岩科学校」の超個人的(笑)必見ポイントを紹介していきます。 疑洋風建築「岩科学校」のメインといっても過言でないのが、玄関上部のバルコニー。
この山深い小さな村に現れた真っ白い円形のバルコニー。人々の目にはどう映ったのでしょう。 たとえばそれは帝都のどの建物よりも素晴らしく、それを作ったのは自分たちだという誇らしさ。

バルコニーから室内を見れば、色合いも優しい欄間、部屋を仕切る清楚な障子戸。

奥の部屋に見える太鼓は、子供たちへの授業の合図。そして村人への時告げの報せでもありました。

天井には彩りも鮮やかに、爛漫の花を咲かせるランプ掛け。 深い青の真ん中に、わずかに朱を帯びて咲くのは「花中の王」「花神」とも呼ばれる「牡丹」

欄間には向かい合う「鳳凰」の一対。天上界の生き物はかくも美しいのかと目を見張らずにはいられない。これらの華麗な鏝絵も、一階欄間の製作を担当した『佐藤甚三』の手によるもの。

流れるような尾羽の輝き。朱は炎に焼かれて蘇る色、青は深い水底から天上へと至る空の青。 ここに来るまで一度も耳にした事のなかった『佐藤甚三』、改めて探し訪ねたい人物になりました。

正確な升目の障子の桟、そこから入る明かりは、実はとても目に優しいのだと知ってますか? 紙と木材と漆喰で作られた空間は、しばしの間、日常の喧騒を遮断してくれる気がします。

二階・西の間は主に客室として使用されましたが、作法や裁縫の授業にも利用されていました。 鮮やかな色彩に満たされたこの部屋については、次の項目でしつこく(笑)紹介したいと思います。

そろそろこの感動的な「岩科学校」から出て、庭内にあるこれも由緒ありげな建物に向かいます。 現在は休憩所として利用されている「開花亭」は、明治8年に「岩科商社」として建築されました。

後に「岩科村役場」として使用、やがてその役目も終え、この地に移築・復元。 建物内では、伊豆独特のみやげ物や、開校当時使われていた教科書等も販売されています。

玄関を入ってすぐ、天井のランプ掛は、周囲に十二支を配した龍が漆喰鏝絵で描かれています。 製作者は、岩科学校の欄間などを制作した『佐藤甚三』、又してもの登場ですね(*^^*)

すっきりと弧を描く竹は、旧西座敷の天井に描かれたもので、これも『佐藤甚三』の鏝江。 右側の二つの穴は、ランプ用の掛け釘があった場所でしょうか?

最後は、体操選手っぽい少年が右手を高く挙手し、左手に梟を止まらせている銅像。 銅像はさて置き(笑)、その台座に刻まれた「岩科起て」が気になって、少し調べてみました。
詳細は長くなるので省きますが、要するに【岩科村のみんな、負けるんじゃない!!】。実際はもっと長い経緯があるので、どうしても気になる方は「岩科起て」でググってください。

訪問日:2011年11月9日

 

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岩科学校~其の一 in 静岡県松崎町

2018年11月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

なまこ壁の町並みを後にし田園風景を見ながらしばらく走ると、「それ」は唐突に姿を現します。松崎町岩科に残る重要文化財「岩科(いわしな)学校」。伊豆地域最古の小学校校舎であり、日本では甲府の「旧睦沢学校」、松本の「旧開智学校」に次ぐ古い校舎として知られています。

明治12年4月に着工し、明治13年9月に完成。総工費は二千六百三十円六十六銭。 校舎の設計・建築にあたったのは、岩科村大工棟梁『菊地丑太郎』『高木久五郎』の二人。更に、当時、漆喰名人と謳われた「伊豆の長八」に、室内の鏝絵装飾を依頼。

なまこ壁をいかした社寺風建築に、円形のバルコニー。一見相反する様式が見事に調和した玄関。 建物は左右対称で、大きく張り出した「コ」の字部分が生徒たちの教室として使われました。

冒頭に書いた総工費:二千六百三十円六十六銭、さて現在の実質的な価格で言えば幾らでしょう? 当時の物価から換算すれば一億と言ったところ・・人件費で考えればもっと高いかもしれません。この莫大な金額の実に4割が、決して裕福ではなかった村民の寄付によって賄われたといいます。
明治の黎明期、教育こそが新しい日本の礎になると考えた人々の、その切なる思いの深さ・・その事実を思う時、胸の奥深くに熱くこみ上げる泣きたいような感動を抑えきれなくなります。 正面玄関上の「岩科学校」の扁額が、時の太政大臣『三条実美(さねとみ)』の書と言う事にも感動。

額装された『三条実美』実書。

アーチ型の玄関上部に設けられた欄間には、極彩色の鏝絵で、中央に雲龍、左右に一対の麒麟。 これらを手がけたのは、当時棟梁として活躍しながら、入江長八の弟子となった『佐藤甚三』

龍が雲に乗って昇天する姿は、学問によって力を身につけた子供たちが世界に羽ばたく姿を・・

そして、見開いたその目で世界を見すえ、この日の本の国礎(こくそ)たれと。

走り見返る麒麟、追う麒麟の一対は、秀でた才を示し、世にいでて優れた人物となるように・・そしてその後に続くように・・
一つ一つの作品に込められているのは、切ないほどに胸を打つ、大人たちの子らに託す願い。

コの字に張り出した校舎には、学年ごとの教室が並び、廊下は中庭に面した窓際に沿っています。

教室の幾つかには、明治時代の学校の様子が再現されており、当時の授業風景を垣間見ることができます。幼い弟妹の子守をしながら授業を受ける子の姿も・・

おやおや、あんなに言われていたのに宿題を忘れるなんて!授業が終わるまでそこで反省するように!(笑)

庭に面したアーチ型の窓から見えるのは、穏やかな秋の日差し・・目を閉じれば、瞳を輝かせ、頬を紅潮させて校門をくぐる子供らの姿。家の手伝いをしていたのだろうか、額に残る汗をぬぐう手が少し荒れているのは・・

二階への階段は、当時の服装から考えて本当に大丈夫なのかと心配になるほどの急傾斜(^^;) ご亭主殿に背中を支えてもらって登ったのはいいけど、振り向いた瞬間、足の裏がムズムズ(笑)

たどり着いた二階の窓から見た教室棟は、白漆喰の壁に障子の窓。そして腰壁にはなまこ壁。すべてが上質な佇まいは、まるで高級和風旅館の離れのようにも見えてきます。

で・・・・ロケーションの良さに気を良くしたご亭主殿のリクエストにお応えし、こんな事をやってしまう私(^^;) それ、絶対に学校の風景じゃありません!

紹介し始めるとあれもこれもと、ついつい欲張ってしまいたくなる「岩科学校」・・侮れません。という事で、続きはまた明日(・・・・って、なんか毎回同じ事を言ってる気がします)

訪問日:2011年11月9日

 

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なまこ壁の町・伊豆文邸~夢の蔵 in 静岡県松崎町

2018年11月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

昨日のラストだった「長八の宿」の向かいに建つのは、明治43年に呉服商の店舗兼住居として建てられた「伊豆文邸」

2005年、所有者からの建物寄贈を受け、明治時代を代表する貴重な歴史建物として内部を改修。現在は無料休憩所として利用されています。

なまこ壁の修復なども往時の様式が忠実に再現され、ほぼ建てられた当時のままとか。 見上げるような高さの壁一面を埋め尽くす白と黒のコントラストは、まるで異空間への入り口。あの升目のどこかを押せば・・・なんて(^_^;)

映画やドラマのワンシーンを思わせる家具や調度品が置かれた建物内。隅の「衣桁(いこう)」に掛けられた着物と帯は、かって商いに使われた名残かしら? 呉服屋さんのイメージで見るなら、もう少し派手目の着物でも良かったかも (^^)!

母屋のあがりがまち、木製の火鉢の向こうには「おざぶ(座布団)」が二枚。 奥の座敷は大事なお客様を迎える為の別室だったのかしら?建具越しに見える光の繊細さが目にこの上なく心地よい。

建物の裏手に設けられたなまこ壁造りの土蔵。どうですこのロケーション!! 遠くに見えるのは「牛原山」?。まるで絵葉書のような光景に二人(主に私)のテンションは上がりっ放し(^_^;)

次から次へと出現するなまこ壁、自分たちの日常にない景色の中を歩いていると、これは現実ではない・・・もしかしたら全く別の世界に迷い込んだのかもしれない、そんなバカげた考えが現実に思えてきます。

角を曲がるごとに出現する非日常、見慣れた鮮やかな紅葉もここでは全く違った表情を見せて旅の思い出を彩ってくれる特別ゲストに変身。

「長八美術館」前にある「夢の蔵」が見えたところで、松崎の町歩きもそろそろ終わり。

「伊豆文邸」のなまこ壁修復作業の経験を生かして計画されたなまこ壁「夢の蔵」の新築事業。 驚くべきことに、なまこ壁の本格的な蔵が作られたのは実に70年ぶりの事だったとか。(建築過程は「松崎蔵つくり隊「なまこ壁の土蔵造りプロジェクト」に掲載されています。)

夢の蔵の随所に施された漆喰鏝絵の数々は、先人たちが職人としての粋を競った結果の産物。 それぞれが独自の工夫で作り上げた技の世界が、今こうして新たによみがえり、形となって生み出されました。

「夢の蔵」のなまこ壁には、解体された古民家から譲り受けた瓦が使われているといいます。積み上げられて大切に保管されている古い瓦、もしかしたら夢の蔵のように、どこかでなまこ壁の新たな顔になるのかもしれません。

訪問日:2011年11月9日

 

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なまこ壁の町・中瀬邸~ in 静岡県松崎町

2018年11月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

ときわ大橋の袂、不思議な時計塔の傍にひときわ目を引くなまこ壁と土蔵のお屋敷。

こちらは、明治20年(1887)に呉服問屋として財を成した豪商『依田直吉』の邸宅(依田直吉呉服店)として建てられたもの。屋号が「中瀬」であった事から「中瀬邸」と呼ばれています。

とりわけ見事な鏝絵が施された土蔵に、ご亭主殿は大興奮(笑)。竹林の猛虎(もうこ)は金色の眼をらんらんと光らせ、龍は雲間を貫き天へと駆け登る。

母屋や土蔵など七棟からなる中瀬邸は、昭和63年に町が買いとり現在は総合案内所として活用されています。建物は木材から細かな彫刻、金物に至るまで贅が尽くされており、当時の豪商の生活の様子を垣間見ることができます。

中瀬邸から川沿いの道を行くと、たぶん個人所有であろうと思われるなまこ壁の土蔵が現れ、町歩きの目を楽しませてくれます。特に観光名所としての固有名詞はなくとも、ここは本当に「なまこ壁」の町なんだと改めて実感。

那賀川の河口近く、「はまちょう橋」の袂に見かけた群を抜く規模のなまこ壁の屋敷。張り巡らされたなまこ壁の塀の長さにまずは驚きのため息。

「依田家」の住宅と言うことだけ確認しましたが、個人のお屋敷かもしれないので静かに見学。屋敷中を取り囲むなまこ壁の塀、突き抜けて見えるなまこ壁の土蔵。 何もかもがスケールが大きすぎて、ここまで立派だと、やっぱりため息しかでてきません(^^;)

記事の再編集の為にマップの確認をしたところ「 松崎町地域交流館「浜丁」(旧依田四郎邸)」の表示。色々変わっていても不思議ではない年数が流れて行ったのだと改めて歳月の流れに想いを馳せています。

「はまちょう橋」を渡って振り返った先、那賀川に映る「なまこ壁のお屋敷:旧依田邸」。

至る所で目にするなまこ壁の塀・土蔵、それは古いものだったり最近の施工だったりと様々。新旧いずれにしても、そのどれもが町並みにしっくり溶け込んで、何度でも訪ねて歩きたくなる景観を作り上げています。

広いなまこ壁を背景に、季節の花が彩りよく活けられた様子はそのまま一枚の写真アート。 花台になった荷車は、自分が舞台の引き立て役であることをしっかりと承知しているかの如く、出しゃばらず無骨に。

「松崎温泉 長八の宿・ 山光荘」。ここは伊豆の長八の作品が刻まれた「長八の間」が人気だとか。 泊まりはよほどの事情が無い限り、車中と決まっている私たちには、たぶん縁のない場所(^^;)

松崎町の町歩き、まだまだ見所いっぱいなので続きは明日d(-_^)  

訪問日:2011年11月9日

 

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なまこ壁の町・近藤平三郎邸~時計塔 in 静岡県松崎町

2018年11月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

松崎町を代表する景観としてパンフレットや公式サイトにも頻繁に登場する「なまこ壁通り」。撮影スポットとして知られる「近藤平三郎邸」のなまこ壁、その長さ実に数十mにも及び、規模の大きさは群を抜いて際立っています。

松崎町を代表する「なまこ壁通りの景観」=「近藤平三郎邸」と言っても過言では無く、松崎町を訪れた人は、よほどのへそ曲がり(笑)で無い限り、「ここ」で記念写真を撮るようです。時間が早かったおかげで貸し切り状態、随分と沢山の記念写真が残っていました(笑)

建物は薬学界の最高権威とされる『近藤平三郎』博士の生家で、かっては薬問屋を営んでいたとか。 内部は当然非公開ですが、外観だけを見ても当時どれほどの分限者だったか容易に想像できます。

続いてペディメントの上にステンドグラスの飾り窓がおしゃれな「松崎町観光協会」。実はここ「旧松崎警察署」

その隣、やはりペディメントの玄関を持つお宅は「旧松崎銀行」。下見板張りの外観に、両端につけられた漆喰の装飾が銀行らしい重厚感を感じさせます。

楽しい趣向が凝らされた何方かのお宅(^-^)

かすかな気配に足元の格子を覗き込めば・・忍び足の猫さん。狙っているのは一つ向こうの格子の中に居た大きなネズミ(^^;)

しばらく歩いて那賀川に架かる「ときわ橋」の袂。ここの橋は全体に漆喰の装飾が施されていて、水に映る影と相まってとってもロマンチック。

うす青を背景に一本のしだれ桜が枝いっぱいに花をつけ、まるでそこだけ春爛漫の風情。 こぼれんばかりの花の間を縫って遊ぶ鳥たち・・耳を澄ませばほら、可愛い鳴き声が・・

ときわ大橋を渡りきった先に突然姿を現すのは、異空間の世界から抜け出したような時計塔。 おとぎの国への入り口を思わせる屋根に刺さった大きな触覚、塔の天辺にいるのは、ねぇ、あれは何?!

漆喰で作られた異国風の不思議な時計塔は、昭和62年に「伊豆の長八美術館」の設計・監修を行った『石山修武氏』により造られたもの。

中央の天井には極彩色の不可思議な鏝絵があり、じっと見上げていると軽い眩暈を覚えるような・・。 青い球体の真ん中に描かれている真っ赤な尾羽を広げて高く遠く飛び立つのは・・・あれは鳳凰?それとも火の鳥?

不思議といえばもう一つ、この時計塔には12と1の下に、何故か13の文字が刻まれています。 文字盤に描かれた鳳凰の赤い尾羽は、13の文字を跳ね上げるようにして、下の文字に沿います。何かいわくがあるのか、単なる遊び心なのか・・・いずれにしても記憶に残ったことは確か。

松崎町の町歩き、まだまだ見所はいっぱい・・ですが、続きは明日(*^^*)

訪問日:2011年11月9日

 

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伊豆の長八美術館~其の二 in 静岡県松崎町

2018年11月02日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

引き続き「長八美術館」の収蔵作品(の、ごく一部)の紹介。迫力満点の漆喰の龍が元いた場所は天井。頭の近く、爪の間に見える黒いものはランプ用の鍵釘。

それにしても・・気の弱い小さい子供が跳ね返るランプの明かりの中にこの龍を見たら・・・ いやいや、もしかしたら不思議の世界へ導く、壮大なプロローグになったかもしれませんね。

『長八』66歳の作品は、径約33cmに焙烙に描かれた「静御前」。あでやかな姿にはほのかな憧れさえ見て取れますが・・ふと・・「静御前」のモデル、『長八』の中に大切に仕舞い込まれていた誰かだったのかも・・

『長八』73歳の作品は、径約27cmの焙烙に描かれた「おかめ」、別名「お多福」とも呼ばれます。 このおかめさんは『天鈿女』がモデルだと言われますが、だとしたらちょっと素敵かも。何しろ一目見た瞬間に、ものすご~~~い親近感を覚え、女同士なのに一目ぼれしました(笑)

ではでは、漆喰で作られた塑像の『天鈿女命』。明治9(1876)年 62歳の作。  一部分のみ色が変わっているのは沢山の人の手が触れたから、どこに飾られていたのか不明ですが・・・今も昔も男って~~~(^^;) 

同じく塑像の「天神」。節句の飾りなどに使われたのか天神社に収められていたのか。 そういえば、『長八』は『清水の次郎長』とも懇意だったといいます。かって『次郎長』が心酔していた『山岡鉄舟』の塑像を、彼に贈ったというエピソードもあるそうです。

向って左:塑像「千利休象」。右塑像「達磨大師」

「森家の家族」は『長八』62歳の作品。 三人ともに紋付の着物を召し、家長を中心に、むかって左横に妻女、そして反対側にいるのは多分家長のご母堂。家長の膝の前には煙草盆が置かれています。

美術館の展示は一階と二階がフルに使われており、非常に見ごたえのある内容。展示方法にも様々な工夫が凝らされ、その一つ一つが足を引き止めて離しません。二階へといたる階段の上にある大きな衝立、ここではひときわ異彩をはなっています。

「御結納」と題された作品は、尾を合わせた二匹の鯛が、阿吽の形で左右に跳ねています。部分的な画像しか鮮明なものがありませんが今にもギョロッと動き出しそうな眼。

刺さったら痛そうな胸鰭・・・

勢いよく水をはじき飛ばして跳ねる・・見事な尾頭付きの鯛です(^-^)

最後の紹介は、左官職人が使用した鏝を奉納し、そのの労をねぎらい、感謝の意を表するためにつくられた「鏝塚」。鏝塚の文字は小泉元総理の揮毫だそうです。

鏝塚内部に描かれた薄青色の地色に散らした飛鶴の図、着物の裾模様にしたいような美しいデザインですが、この後思いもかけない場所で再開することになります。

訪問日:2011年11月9日

 

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伊豆の長八美術館~其の一 in 静岡県松崎町

2018年11月01日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

昨日参拝した「浄感寺」とは目と鼻の先にある、入江長八の作品約50点を展示した「伊豆の長八美術館」。公式HPに「長八美術館の生みの親『石山修武氏』この町との出会いを「奇跡的な出会い」と話し、伊豆松崎出身の入江長八という鏝と漆喰の名人職人を知り、建築家として伝統の左官技術のすばらしさを一般の人に知ってもらいたい。 その心が松崎町活性化事業と共鳴し、長八美術館が誕生した。」とあります。

全国から腕に覚えのある左官職人たちが伝統の技を競って作り上げたという白くモダンな外観。監修にあたったのは、そのモダン&奇抜な建築で数々の賞を受賞した建築家『石山修武氏』。中央エントランスの両側に伸びる壁の仕上げは、耐久性の高さで知られる「土佐漆喰」を使用。

建物の前庭に造られたハスの噴水は、淡路の瓦職人『山田脩二氏』の作品。

エントランスの天井には、昭和を代表する左官職人『手塚忠四郎氏』の「花を持った天女」。 真っ白い世界の中で、天女の体が生み出す陰影はどこまでも神秘的。

いよいよ憧れの伊豆の長八の鏝絵と対面できる・・二人ともまるで憧れのスターにでも会うようなドキドキ感で胸が一杯。

一般的に鏝絵というと、蔵の扉とか壁など、建物の外観を装飾する目的のものが主流ですが、その鏝絵に日本画の技法を取り入れ、一つの芸術品にまで昇華させたのが『伊豆の長八』。「富嶽旅愁」の繊細で緻密な日本画が、実は鏝絵ですと言われて、そうなのかと思いながら見ても、にわかには信じがたい程。

「黄金に染まる霊峰富士」。金泥をあしらった富士山を包み込む光も黄金色に輝き、まさに霊峰の名に相応しく・・。 ルーペで見ると、確かに漆喰の盛り上がりがわかる・・緻密という言葉でも足りない・・表現する言葉が浮かばない。(ルーペは受付で貸し出ししてくれます)

掛け軸に描かれた「青不動明王」は、長八:七十四歳の時、精魂を傾けて描いた作品と云われています。実際はもっとたくさんの神仏・人物が描かれているのですが、映りこんだ光が邪魔をして白くぼやけてしまい、部分的な紹介となります。

不動明王の最上位にある青不動に詣でる母子。揃えた青の着物は明王への帰依の証・・・・

大数珠回しを見守るのは不動明王に仕える童子なのか・・

白いハス花のうてなに立つのは「白衣観音」。もちろんこれも、漆喰で描かれた鏝絵です。

天岩戸開きで大活躍をした『天鈿女命(あまのうずめ)』。目を合わせた瞬間に自然と頬が緩んで笑顔になれる・・・そんな眼差しに出迎えられます。「古事記:岩戸開き」の記述に【胸乳をあらわにし】の場面。ちなみに天鈿女様は神楽・芸能、さらにストリ(二文字自粛)の祖神とされています(^^;)

「黄鶴楼(こうかくろう)」。おそらく『李白(りはく)』の詩の一節を題材とした漆喰鏝絵かなと・・・ふとそう感じただけで確証は全くありません(笑)。

まだまだたくさんの作品が展示されているのですが、写真に残せたのは十数点のみ。 当然ですが、どの作品もガラスケースに収蔵されており、そこに館内の灯りが写りこみ画像で見るにはかなり無理が・・。 とはいえ、これだけの作品の撮影がOKだと言う事に対して、何をおいても感謝しかありません。たとえ光の反射に邪魔されようが、目を細めないと判らないピンボケだろうが、実際にその作品を見てきた私たちには、ぼやけた画像の向こうに鮮やかな姿が見えるのです。

明日は、そんな保存画像から、まともに見える数少ない残りの画像を紹介しようと思います。

訪問日:2011年11月9日

 

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