車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

岩科学校~其の一 in 静岡県松崎町

2018年11月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

なまこ壁の町並みを後にし田園風景を見ながらしばらく走ると、「それ」は唐突に姿を現します。松崎町岩科に残る重要文化財「岩科(いわしな)学校」。伊豆地域最古の小学校校舎であり、日本では甲府の「旧睦沢学校」、松本の「旧開智学校」に次ぐ古い校舎として知られています。

明治12年4月に着工し、明治13年9月に完成。総工費は二千六百三十円六十六銭。 校舎の設計・建築にあたったのは、岩科村大工棟梁『菊地丑太郎』『高木久五郎』の二人。更に、当時、漆喰名人と謳われた「伊豆の長八」に、室内の鏝絵装飾を依頼。

なまこ壁をいかした社寺風建築に、円形のバルコニー。一見相反する様式が見事に調和した玄関。 建物は左右対称で、大きく張り出した「コ」の字部分が生徒たちの教室として使われました。

冒頭に書いた総工費:二千六百三十円六十六銭、さて現在の実質的な価格で言えば幾らでしょう? 当時の物価から換算すれば一億と言ったところ・・人件費で考えればもっと高いかもしれません。この莫大な金額の実に4割が、決して裕福ではなかった村民の寄付によって賄われたといいます。
明治の黎明期、教育こそが新しい日本の礎になると考えた人々の、その切なる思いの深さ・・その事実を思う時、胸の奥深くに熱くこみ上げる泣きたいような感動を抑えきれなくなります。 正面玄関上の「岩科学校」の扁額が、時の太政大臣『三条実美(さねとみ)』の書と言う事にも感動。

額装された『三条実美』実書。

アーチ型の玄関上部に設けられた欄間には、極彩色の鏝絵で、中央に雲龍、左右に一対の麒麟。 これらを手がけたのは、当時棟梁として活躍しながら、入江長八の弟子となった『佐藤甚三』

龍が雲に乗って昇天する姿は、学問によって力を身につけた子供たちが世界に羽ばたく姿を・・

そして、見開いたその目で世界を見すえ、この日の本の国礎(こくそ)たれと。

走り見返る麒麟、追う麒麟の一対は、秀でた才を示し、世にいでて優れた人物となるように・・そしてその後に続くように・・
一つ一つの作品に込められているのは、切ないほどに胸を打つ、大人たちの子らに託す願い。

コの字に張り出した校舎には、学年ごとの教室が並び、廊下は中庭に面した窓際に沿っています。

教室の幾つかには、明治時代の学校の様子が再現されており、当時の授業風景を垣間見ることができます。幼い弟妹の子守をしながら授業を受ける子の姿も・・

おやおや、あんなに言われていたのに宿題を忘れるなんて!授業が終わるまでそこで反省するように!(笑)

庭に面したアーチ型の窓から見えるのは、穏やかな秋の日差し・・目を閉じれば、瞳を輝かせ、頬を紅潮させて校門をくぐる子供らの姿。家の手伝いをしていたのだろうか、額に残る汗をぬぐう手が少し荒れているのは・・

二階への階段は、当時の服装から考えて本当に大丈夫なのかと心配になるほどの急傾斜(^^;) ご亭主殿に背中を支えてもらって登ったのはいいけど、振り向いた瞬間、足の裏がムズムズ(笑)

たどり着いた二階の窓から見た教室棟は、白漆喰の壁に障子の窓。そして腰壁にはなまこ壁。すべてが上質な佇まいは、まるで高級和風旅館の離れのようにも見えてきます。

で・・・・ロケーションの良さに気を良くしたご亭主殿のリクエストにお応えし、こんな事をやってしまう私(^^;) それ、絶対に学校の風景じゃありません!

紹介し始めるとあれもこれもと、ついつい欲張ってしまいたくなる「岩科学校」・・侮れません。という事で、続きはまた明日(・・・・って、なんか毎回同じ事を言ってる気がします)

訪問日:2011年11月9日

 

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