金沢行きの旅で間違いなく「老い」が襲いかかってきていることを実感
先週末、加賀百万石・金沢に行ってきた。東京からの新幹線が入ってきたことで、金沢のまちは大きく変わっている。写真の空港のカウンターと見間違うかと思うのは、観光客用の案内カウンター。とりわけ広いスペースは、外国からの旅行者用。
その金沢行きの旅は一泊二日だったが、最早一人旅は難しいことを実感した。まだ介護認定をもらってないので、付き添いは難しい。さりとて、私と一緒に旅をしてくれる女性とていない。
私は47都道府県全てに、ともあれは降り立っている。稚内空港など幾つかを除いて、地方空港もほとんど利用してきた。
そんな私だが、今回の旅で間違いなく「老い」が襲いかかってきていることを実感した。う~む、悩ましい。
第二の終活の一環で金沢へ、お目当てはおでん屋さんと石川近代文学館
今回の金沢行きは、第二の終活の一環。「行けるときに行きたいと思うところへ」の実践。
今回金沢で行きたいと願ったのは、新幹線工事前に駅地下にあったおでん屋さんと石川近代文学館の二つ。21世紀美術館はある女性との深い思い出があるが、今回のスルー。
さて、おでん屋さん(お店の名前は記憶していない)は、スジおでんがとろっとろでしゃもじですくって出され、その美味しさに驚嘆しお替わりもした。新幹線の乗り入れ前に地下にあったお店は、駅改装後に訪れた時に探すと、駅構内の飲食街の一角にあり、懐かしく楽しませてもらった。
そのおでん屋さんのスジおでんを、生涯最後になるであろうから食べておきたいと願って、金沢に行った。まさに、終活。しかし、しかし、そのお店を見つけることはできなかった。寂しかった。
もう一つの石川近代文学館、金沢に行く度に訪れていた。これも最後と思い、行く予定とした。駅観光案内所で金沢マップをいただいてみると、その石川近代文学館は見当たらない。案内所で伺うと、「金沢四校記念館の中に確かにありますよ」と教えていただいた。
行くと確かにあった。看板もあった。しかし、市内の案内板などどこにも「石川近代文学館」の看板は見当たらなかった。展示も、寂しかった。記憶にだけ留めておけば良かったかなと思ったり。
次に「終活」で訪れる予定地は、まだ心に浮かんでいない。
今回、金沢のまちを散策していて、五木寛之文庫が「金沢文芸館」の中に開設されていた。
五木寛之さんとは、私が坪田譲治文学賞の事務局を担当していた際に、その選考委員会で、5年間お目にかかるなどご縁をいただいてきた。また、そのご著書も、とりわけ初期の頃の作品は全て購入し読んでいる。
五木寛之文庫に身を置き、そんなことをしばし思い出したりもした。
今回の金沢行きは、実は「全国民医連監事研修」が目的。この年になって、研修に参加させていただくなんて感謝しかない。これまで数知れず研修には参加してきたが、多分今回が生涯最後の県外での研修参加だと思いつつ参加した。
研修参加はできなくとも、年令は重ねても自己研鑽に励まなければと思ったりもした金沢行きだった。
生麩のしぐれ煮に初めて出会った、幸せな気分になった
金沢の食文化は素晴らしい。私が好きなのは嘉永2年創業の落雁の「諸江屋」さんと、慶応2年創業の加賀麩の「不室屋」さん。
その「不室屋」の尾張町店でお昼をと思ったが、3000円を超えるので貧しい私には無理。そこで、お隣の茶寮で生麩汁粉とした。箸休めに出された生麩のしぐれ煮がとても美味しく、生麩と一緒に買って帰った。
この生麩のしぐれ煮、初めて出会った。美味しいものと出会えると幸せな気持ちになる。