拘りの方々との「雑談会」、我が精神を刺激し感性の水やりもできた充実の時間
外山滋比古がその著書『「いつ死んでもいい」老い方』を読んで、「朝食会」ような四方山話をする「おしゃべり会」を始められないかと、昨年来考えていた。そして、今年の賀状を読んでいて、こだわりの人生を送られている方々がたくさんいることを実感し、そうした方々のお話を聞きたいとその思いはより強くなった。今年に入って話は、一気に前進した。
そして、昨日そのことは現実となった。幾人かの方にお声かけをさせていただき、ありがたいことにみなさんともあれは賛同していただいた。約90分の時間はあっという間に過ぎた。こだわりの、そして豊かな人生の過ごし方を語り合い、私的には期待した以上の充実の時間を過ごすことができた。
ところで昨日は会の名称として「モーニングだべろう会」→「もうたべ会」→「もうダメ会」はどうだろうと考えて提案した。しかし、当然と言えば当然だが、「もうダメ会」の名称はネガティブすぎると即座に却下された。名称問題は次回以降へと持ち越しとなった。
ともあれ、日頃「自堕落」を絵に描いたような暮らしであり、ご参加いただいたみなさんに大いに刺激をいただくとともに、感性の水やりもできた。開催の思いは十分に満たされた。
そして、お開きの際には、次回の開催日も決まった。ありがたいことだ。ただ、他のみなさんはどのような思いであっただろうかと、少しだけ心配している。
ところで、外山滋比古がその著書では「おしゃべり会」では何の決まりもないが参加しているめいめいが心がけていることの一つの、「『だった』ではなく『である』という話をする」と書いてあったが、昨日の参加者が語ったのは、今と明日だった。もう次回の開催日が楽しみとなっている。
この企画・・ホームランですよ
絵馬を買わない仙人ですが、楽しく拝見致しております。
絵馬は美しいのですが、ブログに貼る場合にはいささか主張が強い感じがしています。カット代わりなので、お花は主張しないので最適だと思うのですが、絵馬は難しいです。
ただ、この季節にはお花が咲いていないので、当分の間絵馬をアップする予定です。よろしくお願いします。