21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

帯封ゲット物語

2020-08-17 22:45:03 | ヨレヨレ競馬ライフ

 競馬にハマってかれこれ45年、たぶん家一軒分はどぶに捨てたと思う。もちろん、家を建てる達成感には到底及ばないのだろうが、他では味わうことのできないハラハラドキドキ満載の物語を編んできたことに自己満足している。

 そんな競馬ドラマを振り返る中で、最高に興奮したのが、一度っきりの帯封ゲットだ。

 古い話だが、忘れもしないあっと驚くダイユウサクがマックイーンを破った有馬記念の日にそのドラマは生まれた。

 そんなドラマの一週間前、私は何をとち狂ったか100万円の大勝負をした。世はバブルの末期で、私の周囲でもババを引いた会社がぶっ飛び始めた頃だった。当時、私は30歳そこそこで仲間三人で会社を興し、バブルに乗じてそこそこ金回りが良かったが、そろそろバブルに踊ったツケが回ってきて、取引で焦げ付きが出始めていた。

 一方で、遊びでやっていた競馬は、大勝ちもしないが負けてはいなかった。金さえあれば競馬なんか負けないとうそぶいていたものだ。もちろん、小遣い銭で遊ぶレベルの勝負だ。そんな時、200万の売り上げが焦げ付いた。今すぐ会社がダメになるという状況ではなかったが、大きな損失であった。そこで、思いついたのが競馬で回収できるんじゃないかというおバカな発想だった。100万円を持って、同僚と二人で勝負に出た。もちろん会社の金である。経営者だから誰も文句は言わないが、厳密に言えば横領、着服、犯罪行為である。

 結果は土日で80万円の負け。さすがにやばいと思ったが、幸い今日明日会社がどうなるという状況ではなかったので、大いに反省し、今後は真面目に仕事で穴埋めしよう二人で誓い合った。

 そして、一週間後、私は財布の中を覗いてこう誓った。これが最後だ、この2万円が消えたら、もう競馬は辞める。こうなるとほとんど病気である。その日、有馬の日曜、私はなけなしの2万円を持って、すすきのウインズに赴いた。

 ついてすぐのレースに1万突っ込んで、あっさり外した。のこり1万、有馬まではまだ3レース、有馬の前にオケラじゃシャレにならんと思い直し、次のレースは3千円で馬連3点に千円づつ投資し、それが的中しなんと6万が返ってきた。有馬の前のレースの馬柱を眺めていると、この馬が絶対に来るとなぜか確信を持った。たぶんダイナバトラーだったと思う。ダイナから相手は忘れたが、馬連1万一点勝負に出た。オッズは10倍。当たれば10万、外してもまだ5万、有馬は勝負できると考えたのだ。結果、見事に的中、手持ちが16万になった。

 いよいよ有馬である。最初はマックイーンから全額勝負する気になったが、何気なく最終レースの馬柱をみて、ひっかるものがあった。ダイナバトラーの時に感じたひらめきをアスリートワンという馬に感じたのだ。こいつ来る。そんなひらめきがあったおかげで、全額勝負を辞めて半額勝負にした。それがあっと驚くダイユウサクである。馬券は見事に外したが、半額勝負に変更したことから、まるで馬券を取ったかのような錯覚に陥った。今日の俺はまだツキがある。

 有馬のどよめきはさっさと忘れ、最終レースの予想に没頭した。その結果、アスリートワンから4点に流すことにしたが、問題は配分である。一番気が合った7-15のオッズを見ると丁度20倍をしめしていた。えっ、そんなにつくのかよ。5万買えば100万じゃん。決めた、何の躊躇もなく7-15に5万、後は抑えで1万づつ3点に流した。

 その年を締めくくるレースがスタートした。実況を見ていて、思った通りの展開によしよしと独り言ちる。やがて直線、興奮は最高点に達し、背中がピーンと張りつめ痛い。そのまま!と叫んだあとは、精根尽き果てて、その場にしゃがみこんだ。背中がめちゃくちゃ痛い。いままで、これほど興奮したことがあっただろうか。7-15、2150円ついていた。

 馬券は換えずに、家に帰った。翌日、百万を着服した仲間に馬券を見せたことは言うまでもない。二人で狸小路ウィンズに行き、払い戻しを受けた。わかってはいたが、払い戻し機に馬券を入れると「この投票券は払い戻しできません。窓口にご提示さい」と案内があり、戻ってきた。ニンマリして、窓口に出すと、帯封が戻ってきた。ちなみに帯封はJRAのロゴ入りではなく、バブル破綻の象徴「たくぎん」の帯だった。バブル時代のバブルな競馬、今思えばシャレがキツイ。

 それから、二度とバブル馬券は買わず、本来の小遣い競馬に徹している。長く競馬をするには、それに尽きる。

 

 

 

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