21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

錆びついた伝家の宝刀

2020-09-23 20:30:28 | 政治にモノ申す

 解散を称して伝家の宝刀といわれた時代が懐かしい。緊迫した場面で抜く刀こそまさしく伝家の宝刀であって、小泉政権以降、果たしてそんな場面があっただろうか。言い換えれば郵政解散以降、国民に信を問う解散はなかったのではないか。今回だってそうだ。黙っていても来年は改選になるのだから、五輪もあるし、人気があるうちにやっちまおう、てな具合である。

 議事堂の売店で菅ちゃん饅頭がいくら売れても、国民の政治離れは相変わらずだ。一時より、投票率は上がる傾向にあるが、このまま緊張感のない政権が続けば、自民独裁時代の低投票率がぶり返すのは必然だ。

 その責任は、野党の不甲斐なさによるところが大きいが、それ以上に国民の関心の無さによるところが大だ。いったいいつまで、稚拙でわがままで愚かな政治家を国会に送り出すのか。決して人材難なのではない。政治家を志す優秀な人材が少なくなっているのは間違いないが、せっかくの人材を送り出す土壌がこの国にはないのだ。

 投票年齢を下げてはみたものの、若者の政治熱などはしかみたいなもので、SNSで選挙は盛り上がらない。どうせなら、立候補年齢を20歳に下げるとか、供託金をなくして、学生でも国選に打って出られる状況をつくればいいと本気で思う。

 結局は、学校教育のみならず、社会全体の教育が、長年にわたり政治と国民のかかわりを無視してきたことが国民の政治離れを定着させてしまったのだ。政治家のせいなどではない、社会が子供たちの政治家を選ぶ大切さを説いてこなかったことがすべてなのだ。

 そんな教育の犠牲者たる大人たちが今この国を支える立場にいるのだから、どうしようもない。

 いったいどうすればいいのか。伝家の宝刀がすっかり錆びついてしまった今、老い先短いだけに、痛切に感じる。

 

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