こんばんは。新3年生スナイプクルーの高畑彩葉です。
ブログめっちゃ久しぶりです。今回のテーマは「部員の知らない私」。ここまで全員のブログを読んできて、やっぱり良いテーマだと思います。りょうすけバッチグーです。
私は、オープンで分かりやすい方なのでしょうか。逆に、部員のみんなに聞いてみたいです。どれだけみんなは私のことを知ってくれているのか。
部活のみんなには陽キャだとかコミュ力あるだとか言われますが、そりゃあ君たちに比べればっていう程度で、どんな人と仲良くなれるわけでも誰に対しても心を開けるわけでもありません。というか、自分でも私がどんな人かなんてわからないし説明できません。結局はそのときの環境や一緒にいる人や気持ちの状態などに依る気がします。ということで、可変的な私の内面を語るよりも、過去にがんばってたことを振り返ろうと思います。(成人式のあとに懐かしい話で盛り上がったので)
私は川崎市のちょっとやんちゃな中学校に通ってました。(近くの中学校にいたシマセくんの言うことは気にしないでください。悪口しか言わないんだから)アメリカから帰ってきたばかりで、部活がどんなものなのかも川崎がどんな場所なのかも知らずに、ノリで女子バレーボール部に入ってしまいました。川崎は工業地帯だったからなのかわかりませんが、スポーツがガチで、特にバレー界には古い体制が根強く残っていました。
土日はどちらも毎週午前7時くらいから午後6時ぐらいまでが当たり前で、平日は月曜日がオフだけど自主練という名の朝練が週2回ありました。(小学校の体育館借りてたんで、毎日練習できたんです…)アップのはじめにいつも15分完走っていうのがあって、冬にはなぜか全員で陸上部の駅伝チームの練習に重りをつけて参加してました。練習に対する姿勢も徹底してて、だらだら準備してたら、決められた時間でコートが立てられるまで何回もやり直しました。(ポールとかネットとかすべて倉庫のなかに戻して、体育館に入るとこからやってました泣)練習試合の最中に顧問の先生が怒って帰ってしまって、みんなで「お願いします」といいながら追いかけるみたいなこともちょくちょくありました。髪も暗黙のルールで全員ショートにしてました。一回美容院に行ったら切られすぎたけど途中で言えなくて、猿みたいな頭になっちゃって、泣きながら自転車こいで家に帰ったのはいい思い出です。
↑引退前の市大会で初めて市で一番になったときです。いろはってわかるかなあ。
最後の年とかは本当にやめたかったです。(後輩が退部届を出しに行ったら破られたらしいのでそもそもやめられないんですけど)結局、春季の県大会で優勝したものの、一番の目標だった夏の大会で県のシードを取って関東大会に行くことはできませんでした。
いろいろ愚痴りましたけど、今振り返ると本当に良い3年間だったと思ってます。というか、バレーしか頭にない生活をしているときも、苦しかったけど楽しかったです。いろいろ学びもありました。勝負事には流れが全てと言っても過言ではないことやがんばったからと言って結果が出せるわけではないこと、工夫して練習することで苦手な部分を克服したときの達成感や本当にほんとうに悔しい気持ちなど。間違いなく青春でしたねえ。
なにかしんどいことがあっても、中学のときのありえんほどのしんどさよりは辛くないなと励ましになったりもします。(強風のハーバーバックのハイクアウトの瞬間的なしんどさはこれまでを更新しちゃうときありますね)逆に、ほんとうはもっとがんばれるはずなのになと落ち込むこともあって、一種の呪いのように感じることもあります。
中学の時はやらされてるという側面が大きかったのですが、大学ではそれぞれが自由というのが新鮮です。あまり周りや過去の自分と比較することなく、楽しくヨットをしたいです。
長くなってしまいました。読んでくれてありがとうございます。残りの課題を早く終わらせて心置きなく春合宿に突入したいです。
PS りなぽんに便乗。わかる撮っちゃうよね。