東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

託された想い

2019年11月19日 19時33分48秒 | 全日本インカレ2019

3年470クルーの天木です。 

自分にとって出場するのは初めてとなる全日本インカレが終わりました。

 

思ったのは、もっと上に行ける。

 

一昨年、昨年と、4年生たちは本当にやりきれない表情で部を去っていきました。全日本の舞台で何もできなかった、と。

今年。4年生は晴れやかな表情をしていました。

4年生引退のハーバーバック。昨年は涙をこらえ、無言で帰りました。関東で終わってしまった悔しさから、西坂さんとは何も話せませんでした。着艇後、自然と涙があふれてきました。

今年はいつも通り。小野さんと笑いながらレースの反省やら振り返り。想像と違うなと思いながらも、なんかしっくりきました。自分たちのペアは、2Rを除けば1上は全て10番代。西宮のような風のフレや強弱が激しい海面でしっかり風を掴んで1上の順位を上位で安定できたのは、自信になりました。

これはコースを引いているクルーの特権なのですが、西宮のようなフレ海面はとてつもなく楽しいです。いくらでもフレで挽回できます。3Rはスタート直後ケースを起こして2回転。ほぼドベからのスタートでした。しかし、海面を見て左と決めていたので、大ブランケの壁の中、ひたすら左に突っ込むと、1上はいつの間にか17番でした。2人で半ば呆れながら、フレの怖さ、何より楽しさを痛感しました。

しかし、2Rはスタートに失敗して叩き、他のレースも1上の順位をキープできませんでした。10番代で安定することを自らに課していたのに、程遠かったです。悔しさと手応えの入り混じる全日本。

 

何もできなかったわけではありません。もちろん47013位という順位に満足しているわけでは全くないです。でも、前を走る力はある、それを証明することはできました。

469231308は順位を上げてシングルでフィニッシュしました。

課題は山積み。ケースの多さ。スタートで失敗した際の対応。順位をキープする力。挙げればキリがないけれど、前に顔を出すことが多くなってきました。

前を走る経験。前を走ったという自信。

これほど貴重なものはありません。積み重ねていけば、いつのまにか前を走るのが当たり前になります。後ろからの巻き返しや順位をキープすることもできるようになります。

 

一昨年33年ぶりに両クラス全日本に進出した時から部に在籍していた私たち。ついに我々が幹部。全日本に行くことが当たり前の我々なら、何か起こせると思っています。

 

七大戦優勝。全日本インカレ入賞。

 

高い目標かもしれません。でも、後輩には夢を持ってほしいです。やるからには日本一を。先輩方は私たちに「全日本」という32年途切れていた夢の舞台を見せてくれました。我々は、後輩にどんな夢を与えられるのでしょう。

後輩が全日本優勝という夢を持てるように。その夢を持っても恥ずかしくないように。

夢を現実に。

 

全日本入賞は、決して高い目標ではありません。 

去年まで一緒に全日本の枠を争っていた明治470の全日本入賞、めちゃめちゃかっこよかったです。

推薦を取っていない、始まりは同じはずの国公立スナイプの躍進。京大スナイプの優勝、九大、広島大の入賞。

夢をもらいました。

 

次は我々の番。

今年だけでなく数年後、さらにその先を見据えたチーム作りを。

我々が結果を残すのはもちろん、次やまたその次、チームの水準がどんどん上がっていけるように。

今まで先輩方がやってきたことは間違っていない、それを証明します。後輩がやってくれたよと、先輩方が自慢できるような成績を。賞状持つ準備して待っていてください。

 

数年前、部員数5人、470級片クラス2艇しか出せず廃部の危機だったチームから、両クラス全日本出場が当たり前のチームになりました。LBの皆様方のご支援、先輩方の紡いできた努力。先輩方がこれまで紡いできたものがなければ、我々は今ここにいません。我々が今、さらなる高みを目指せることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

東大は、もはや全日本出場で満足するようなチームではありません。

次は全日本入賞が当たり前のチームに。

 

史上初の470級全日本入賞。

そして、(現行の制度になってからは)初の全日本総合入賞へ。

 

記録を遡ると、

 

最後に全日本で入賞したのが、1990年江の島インカレでのスナイプ級6位。2021年のインカレは江の島。二年生に期待ですね。

さらに遡ると、1978年津インカレのスナイプ級6位、1969年西宮インカレのA級5位。ということで、来年2020年のインカレ開催地、西宮にも縁があるようです(少々強引ですが笑)。

 

最後に優勝したのは、1946年琵琶湖インカレ。2022年のインカレは琵琶湖…

こちらは70年以上途切れています。2022年、最後に優勝した琵琶湖で76年ぶりの全日本覇者に返り咲くか。一年生に期待です。

 

 

幸い最高の環境は整っています。あとは努力するのみ。

ラスト1年間。後悔はしません。

想いは託された。

西宮で賞状片手に笑って引退します。

 

東京大学運動会ヨット部

3年 470リーダー 天木悠太


来年もまた。さらば西宮。

2019年11月18日 17時08分07秒 | 全日本インカレ2019
どうも。470クルー2年の齊藤です。
パッと書いて一番早く投稿しようなんて思っていたんですが、なんか書きたいことがまとまらずにグダグダしていたら結局締め切り近いというね。全日本、振り返ります。


まずはなんといっても第3レースを語らずにはいられないですな。
シングルフィニッシュ。あのレースは終始気持ちよかった。楽しかった。
2週間経った今でも鮮明に覚えていますよ。

スタートは、ラインが低く、加速に早く入ることで上手く出られました。
左海面に異常なブローがあったので飛び込んで、他の船団を見てへダーを予知してタック。
この時点でかなり右海面との差があったみたいです。

ここからはずっと抑えでした。後ろの艇団に合わせるように。ブローをつかむことも忘れずに。

特に嬉しかったことはリーチングやランニングで抜けたこと。
リーチングホイストも、自分を疑うくらい落ち着いてましたし、ランニングでも大幅に下して走ることで、前の船を抜くことができました。

こういう瞬間に、順位が上がることもそうなんですが、今までの練習してきたことが存分に発揮できているなあと身を以て実感できて。

この経験は来年度の練習の励みになるな、と確かに思いました。。


全日本インカレ、上手くいったことだけではもちろんありません。自分に足りないものを実感させられる場でもありました。


それは、ノーレースになった3日目のレース。上レグの中盤。順位は大体30くらいで、真ん中の海面をスタボで走っていた。
そこでマークアプローチの選択を迫られました。左に行くか右に行くか。

右海面は角度もよく、風が強くスピードも望めそうだが、大幅にオーバーセールをしている。左海面はその逆で艇数は少なくフレッシュを楽につかめそうだが、風はあまり望めない。このジレンマに囚われたわけです。

ここで自分は選ぶことができなかった。終始迷ってしまっていました。選ぶことができなくてズルズルとスタボでポートレイラインまで行ってました。

結果的には、そこまで悪くなかったのかもしれません。順位はそれほど落としませんでした。

でも、そのコース引きは極めて積極的なものでなく、スキッパーを不安にさせるものでした。

自分の経験が浅い故のいい意味での大胆さというものを失っていた気分でした。

スパッと決めていたら、どれほどスキッパーが安心して走れることか。もっとスマートであればなぁ。と後になってネチネチと悔やみました。

積極性、すなはち、周りの艇に動かされるのではなく、自分で船を動かせるようにしなければいけないなと深く思った経験でした。そうしないとそのレースで得られるものも随分と変わってくるし。


6位フィニッシュの経験なり、こういった反省なり、この他にも本当に数多くのものを持ち帰って西宮をさりました。実に充実したインカレだったなとつくづく思います。


幸いにも自分はあと2年も残っています。全日本での経験を噛み締めながら、先輩、同期、今年からは後輩とも、チームとしてまた高め合っていければと思います。

そんな中で自分が今年1年個人として立てた目標は、先ほどの反省に大きく影響を受けているのですが、

「頼れるクルーになること」

天木さんが東大ヨット部はクルーが動かすと言っていますが、本当にそう。
特に今年からは未経験者スキッパー3人がレースに出る。常に冷静でいなければいけないクルーの自分が、スタートやコース引きで迷ってあたふたしていては、スキッパーも安心して走れない。

どんな事が起きようととクルーだけは自信を持って、冷静かつ毅然とした態度でレースに臨まないといけない。自分の性格上難しいですけど頑張ってみます。


あと、言わなければいけないことがあるんですよね。塚本さんにこの場を借りて感謝を伝えたいです。
思えば、約1年間一緒に乗ったことになるんですね。

塚本さんはストイックでした。
彼のヨットに対する意欲や、470チームのトップである責任感は、実に練習やミーティングに現れていたので、多くの部員はわかっていると思いますが、自分は今まで彼の一番近くにいた者として、他の人以上に思うことがありました_____


自主練で自分たち1艇だけ出るとなって、1日に50回もお互い苦手なリーチングホイストの練習をしたことは今でも忘れられません。

他の船を待つようなちょっとした空き時間にも加速練習やサークリングを欠かしませんでした。

秋イン前には小松さんからのアドバイスを聞いて、真摯に受け止め、ああでもないこうでもないと、最後の最後まで試行錯誤して強風のクローズを走らせていました。

そんなバカがつくほど真面目で塚本さんとこの一年お互い高め合って、強くなっていくことを実感できることが何よりも嬉しかった。

最後まで練習もレースも本当に楽しかった。
今まで、自分を成長させてくれてありがとうございました。


最後になりますが、4年生の先輩方5人で、今や50人越えとなる部をまとめるのはさぞかし大変だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。

LBの方々、陸でも海上でも、ご声援や激励の言葉頂戴して、レース中とても励みになりました。ありがとうございました。


随分と長くなってしまいました。ここら辺で失礼させていただきます。

寒さに負けないよう冬も頑張ります。



東京大学運動会ヨット部 2年 齊藤崇



粋な漢

2019年11月16日 21時24分00秒 | 全日本インカレ2019

お久しぶりです、スナイプティーム1年の古山です。

全日本インカレ本番の前入りとして東大ヨット部は27日に西宮入りをしましたが、古山は全日程参加しました。練習ではVSRだかVHSだかなんだかのレスキューボートに乗り、練習をサポートしながら、風や雲の様子を記録していました。そしてレース当日には、崇carさんをお借りして、車の中で珠屋番に徹しました。今大会は風待ちの時間が多かったため、隙あらばマリンショップへ行っていました。足繁く通い、悩みに悩み、2回ほど試着をして、最終的に上半身3mm、下半身5mm、すなはち3×5=15mmのウェットスーツを購入させてていただきやした。そんなことはおいておきましょう。今回はレース期間中のことはあまり書きません。

 

11月4日、全日本インターカレッジトーナメント最終日、西宮の地で4年生の先輩方は引退されました。積み込みに時間がかかり、最後に全体ミーチングで直接言葉をいただくことはできなかったけれども、引退ブログで4年生が東大ヨット部に入ってから引退までの道のりをどういう思いでどのように歩んできたか、を全てではないけれども知ることができました。

 

皆この三年半でたくさんもがき苦しんできたけれども最後までヨット部員として奮闘し続けてきたことで何か大きなものを得たんじゃないか、そう感じないと言ったら嘘になってしまいます。そしてその得たものが一体何であるか、っちゅうのはやっぱり最後までやりきった者にしか分からないんでしょう。まるでONE PIECEのようです。偉大なる航路(グランドライン)の果ての地ラフテルまでたどり着いた者だけが世界の秘密を知ることができる。そこに何かあるのは確かだけれども、何かは分かりません。でもそれはきっとかけがえのない重要なものなのでしょう。古山も自分の引退後に何かを掴んでいたいなと思います。ただ最後まで続けるだけじゃあ、何も残らないのではとも思っております。ヨットという競技そのものに限らず様々な活動の中で、失敗を恐れずに挑戦し続け、七転び八起き、いや二十五転び二十八起きくらいで、辛く苦しい時もオクラのように粘り強くあり続けることで、最後何かを手中に収められるんじゃないか。これからこの姿勢を大切にしてやっていきたい、そういう風に4年生の言葉を受けて思ったわけであります。

 

 

東大ヨット部だけじゃなく他大学の引退ブログを読んでいたりすると、みんなめちゃきちゃいい文章書くなあとよく思います。でもそれはただ単に上手だと思わせるような文章を書くテクニークを持っているとかではないと思うんです。強い思いがあるからなんじゃないか。心から滲み出てきたものが言葉になっているから読む人の心を動かすんじゃないか。そしてそれができるのはいろんなことを経験してきたからなんじゃないか。そう思うんです。ここまで読んできてもらってお分かりいただけたかと思いますが、古山は今現在では、経験による裏打ちがなく、0.01mmかと思わせるほど薄っぺらく、表面的でしょうもないことしか書けません。今はこんなもんですが、やはり古山もつひに引退ブログを書くとなった時、お相撲さんのようにずっしりとした重みを持った言葉を並べられるようになっていたい、そう願ってやまないのです。

 

今あるチームは1代だけで築き上げられたものじゃない。これまでの各代がそれぞれチームに対してなんらかの貢献をしてきて、ほんでその貢献が積み重なって形作られているのが今あるティーム。4年生たちもまたこの東大ヨット部の歴史に一層積み重ね、きっとのこのティームをレヴェルアップさせてくれた。だから我々は、同じようにティームに貢献して、今よりも強くならなあかん。それがお世話になった4年生への礼儀なんじゃないか、と思ったり思わなかったりするのです。

 

締め方が分からりません。

とりあえずこのブログで言いたいのは、

3年後、この写真に映っている自分よりも粋な漢になっていたいということです。

こちらからは以上です。

 

(左が古山)

 


物心ついて初めての全日本インカレ

2019年11月14日 14時17分59秒 | 全日本インカレ2019

お世話になっております、3年スナイプクルーの野村です。
去年も全日本インカレには出場させていただきましたが、正直言ってまだヨットレースの楽しさは半分程度しか理解出来ていなかった気がします。今年は、ある程度レース経験を積んで、ヨットレースは楽しい!と心から思える状況での全日本インカレ。

秋インカレ後から同期の永田とペアを組み、それなりに成長出来た気がする。全日本インカレでは、入賞ラインの20〜30点のレースをしたい、と話していた。直前の練習でも悪くない感触。
しかし、レース初日は、2レース行い、40-50という目標とは程遠いリザルト。スタートは空いているサイドから出たが、レース終了後TracTracで確認したところ、ラインを切ったのは10秒近くも遅れていた。レース途中には2回転もしてしまった。コースも西宮の風を上手く掴めず、いま一つだった。あまり良い滑り出しではなかった。
そこからの気持ちの切り替えは上手く出来た。TracTracで自艇のコースを分析し、良かった点、悪かった点をしっかり反省し、次に活かそう、という気持ちになれた。
その後2日間は、海には出てレースをしようとするものの、振れすぎたり、風が落ちたりでノーレース。風待ちの際は、東大の艇はまとまって行動し、落ち着いていられた。
最終日は、2レース行い、73(BFD)-23。
予想に反してかなりの強風、オーバーパワーからインデッキで風が変わる、難しいコンディションだった。スタートは攻めよう、と永田と話しており、ゼネラルリコールになったスタート含め、毎回良いスタートを切れていた。良いスタートが出来れば、あとは振れに合わせてタックすれば前に出れた。しかし、ランニングレグで沈をしてしまった。結果着順は68。沈をしたため、永田と戸沢が交代し、最終レースは秋インカレ以来に戸沢と乗った。しばらくぶりのペアだったが、特に心配はなかった。スタートは無理せず空いているサイドから出て、強弱、振れの激しい風に合わせてコースを引く。大きな振れを掴み、前を走れた。戸沢もタクティクスでコースを引き艇団を抑えつつ、安定した走り。自分達に否のないケースに3回巻き込まれてしまったり、フィニッシュ直前に無風になったりしたが、焦ることなく冷静に行動出来た。最後に一番いいレースが出来て、気分的には悪くなかった。
陸に戻り、3レース目がBFDだと知る。しんどかったが、沈をしていて、点数的にはほぼ差がなかったのはなんとも言えない。スタートを攻めすぎた結果、リコールをしてしまった。これまでとは逆の意味で、スタートが課題になってしまった。
レース終了後ブラックの苦さを噛み締める永田野村ペア

今回のインカレでは本当に多くの事を学べた。自分にはまだ来年があるため、来年に活かしていきたい。

また、LBの皆様は御支援御声援、本当にありがとうございます。西宮遠征中に一番美味しかったご飯は、関西LBの皆様の開いて下さった壮行会のご飯と、LB酒井様(S50卒)の差し入れのまい泉のカツサンドです。海広しと言えど、レースのご飯でまい泉のカツサンドを食べることができたのは東大ヨット部だけでしょう。改めて、心より感謝申し上げます。

最近よく思うことは、今の自分にとって、ヨット部の活動は4年間だけだけれど、LBの皆様にとってはずっと続くものなのだと言うこと。すごく当たり前のことだけれど、意外とこれまではあまり考えていなかった。自分もいずれはLBの仲間入りをする。そんな中で、自分が来年の好成績を残すのは勿論、それだけでなく、後輩の育成、新勧活動が非常に重要。数年までは、東大ヨット部は廃部の危機にあり、全日本インカレを目指す、とは言えない状況だったと聞きます。先輩方の努力のおかげで、今のように部員が増え、全日本インカレに両クラス出場できるまでになってきている。この状況を保ち、より強い組織になっていけるよう、微力でも自分は頑張りたい。強い組織、というのは成績のことではない。部のまとまり、物事をこなすスピード、部員一人一人の思考力があって、強い組織だと思う。そんな組織になれば、成績も自ずと良くなるのかもしれない、と思う。

全日本インカレと関係ない話になってしまいました。駄文失礼しました。

3年スナイプクルー
野村大善