東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

船長はロープワークが命

2022年01月13日 09時00分00秒 | 2020リレーブログ

お世話になっております。新2年470レスキューの平野侑です。

 

あっという間に1月の半ばですが、私はまだ実家で生ぬるい生活をしております。


お正月で親戚が集まっていたので、その時の祖父と叔父の話を書こうと思います。

 

私の祖父は外国航路の船長をしていました。祖父は南極と北極以外の殆どの海を渡り、貨物を運ぶ仕事をしていました。なので母の実家には祖父が外国の民芸品がたくさんあり、かつては持ち帰ってきたサルやオウムもいたそうです。
長い船長生活の中、祖父は海賊に遭ったり水爆実験海域の近くも航海したと言っていました。今となってはどうしようもない甘々なおじいちゃんですが、船舶免許の試験前は、巻き結びのやり方をいくつか教えてくれました。

 

そして、私を毎週海へ連れて行ってくれる叔父は、海とは無縁の仕事をしていますが、海が大好きで暇さえあればマリーナに行って船のメンテナンスをするか、海と船の状態をじっと見ています。船舶免許を取ってから、私の呼び名はゆう船長になり、会う度に彼なりの船長の極意を細々と説明してくれます。

お正月、私のネイルを見た第一声は、「なんだその爪は!船長はロープワークが命!今すぐ爪を切りなさい!」と絶叫だったたので、春合宿は爪を切り揃えて参加しようと思います。

 

そんな海の先輩たちの話に共通したことは、船員の命を守る責任は船長にあるということです。安全に回航が終えられるよう、最新の天気予報を把握すること、風や雲の些細な変化を見逃さずに適切かつ迅速な判断をすることが、船長に求められるスキルなのか、と感じました。

 


春合宿は寒さの不安しかありませんが、スナイプレスキューのあこちゃんと励まし合って、少しでも早く一人前の船長になれたらなあ、と思います。

 

これからもヨット部をよろしくお願いいたします。

次は陸マネの森田さくらちゃんです。

 

平野侑


暑くてもクーラーつけないで粘る派

2020年07月27日 12時00分38秒 | 2020リレーブログ

こんにちは、3年470スキッパーの古橋です。

めちゃむずなお題を出されてしまいました。「古橋恒太のかわいさの秘訣」、、。普通そんなこと本人に書かせますかねえ笑

まず自分のことをかわいいなどと思ったことは一度もなく、そのように思われていたこと自体が衝撃でした。僕はどちらかというとカッコ良いと思われていたい派なので、なんとも言えない心情になりました。

流石に検討がつかないことを書くことはできないので、菜々子ちゃんに詳細を聞いたところ「古橋恒太のかわいさ=古橋恒太のモチベーションやメリハリの付け方みたいな感じ」と言われました。だったらそう書いておくれ、、、という心の声はしまい、そろそろ本題に入りたいと思います。少し趣旨と違ってしまう文章になるかもしれませんがどうぞよろしくお願いします。

僕が合宿生活において、そして日常生活において常に意識しているのは「自分に厳しく、人に優しく」ということです。

これは小学4年生の時の担任の先生の言葉で、本当はこの後に「今自分が一番やりたくないことが、今一番自分がやらなければいけないことである」と続くのですが、この部分に関しましてはレポート期限のギリギリまで提出を先送りする今の僕にとってかなり刺さって痛い言葉なので割愛させていただきます。

自分に厳しく、というのは文字の如く自分を甘やかさないということです。僕なりの解釈をすると、常に自分の取り組むことに対して真摯であれ、そして精一杯頑張れ、という意味です。自分に甘くなって妥協をすれば、その後に残るのはあの時頑張っていればよかったと思う悔恨と、なんで手を抜いたんだろうと思う虚無感であることがほとんどです。自分に厳しくというのはその負の気持ちの積み重ねが起こらないよう素直に目の前のことを全力でやれという意味を含んでいるのではないかと思っています。

人に優しく、というのは相手の立場になって考えてみる、人にやられて嫌なことはしない、自分の置かれている環境を当たり前のものとせず感謝の気持ちを忘れない、ということだと解釈しています。コロナ感染が拡大し普段の生活が変わっている今だからこそ、尚更周りの人への感謝の気持ちを忘れずにいたいと思う今日この頃です。

ここで大事なのは、この二者はそれぞれ独立して大切なことでもあるが、二つでセットでもあるということです。何を言っているのかと言いますと、自分に厳しい人は往々にして相手にも厳しくなってしまうことがあり、そうではなく相手には相手の価値観がありそれを尊重するべきだ、人の立場になって考え、優しくあるべきだということです。そしてその逆も同じようなことが言えるかと思います。今となってはこの言葉の真意はわかりませんが、きっと先生はこのようなことを言いたかったのではないかと推測しています。

僕は完璧な人間ではないので常にこれに遵守しているとは言えません。自分に甘い時も他人に厳しいことを要求する時もあるはずです。しかし意識をするだけでも人は変われると思いますし、自分はこういう人でありたいと思っている、ということです。

すごく堅苦しくてとてもかわいくない文章が出来上がってしまいましたが、今回はお題が難しかったということでご勘弁ください笑。

長文最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

次回のブログは、2年スナイパーの古山君です!2年の生粋ギャガーの一人である彼はヨットに乗れないこの自粛期間、果たしてどんなネタを蓄積しているのか。テーマは「最近知った衝撃的初耳学」です。お楽しみに!


近くにいた。

2020年07月24日 21時03分00秒 | 2020リレーブログ

こんばんは!2年マネージャーの齊藤菜々子です。



美森さんから、「影響を受けたもの」というテーマでバトンを受け取りました、ありがとうございます!


ですが、たくさんのものから影響を受けているはずなのに、これといって浮かぶものがありませんでした。

こういった時に、歴史上のすごい人の名前とか言えたらかっこいいかな、、、

とも思ったのですが、歴史に疎い私は人物の名前すら浮かんできませんでした笑



そんな中で1人いました!

私にユーモアや人の温かみ、人の楽しませ方、そして生きる力を教えてくれた人。私の祖父です。



(ここからは祖父の話が続くので、

興味のない方は[結論]まで割愛してください。)



私の祖父は基本的にふざけています。

私の祖父は人気者です。

私の祖父は手が分厚くて頑丈です。

私の祖父は顔がシワシワで笑うと目がなくなります。

祖父を嫌いな人はいません。


何度も重い病気になり入院をしましたが、検査で病院に行くと、看護師さんが集まってきてくださるような人です。


困っている人を見ると放っておけない、

人が傷つくことを言わない、

相手の立場になって物事を考え、

会う人みんなを笑顔にすることが出来る人なのです。



先日の私の誕生日、同期のマネージャーに20歳の抱負を聞かれ、

「その日私と会話した人みんなを笑顔にする」という言葉が口から勝手に出てきました。

今考えれば、祖父という存在が大きく影響していたのかもしれません。



そんな祖父から教わった、生きる力とは一体何なのか。

先ほども書きましたが祖父は何度も大きな病気をしています。何度も大きな手術もしています。

正面から戦い病気に勝つ祖父の姿を見ると、生きるということ、生きようと思うことは何よりも力強い事だと感じました。


私が幼い頃はただ祖父が入院しているというイメージがあっただけで、大変な病気だとは思っていませんでした。それも祖父の凄いところです。

きっと想像も出来ないくらい辛い思いをしていたはずなのに、私はお見舞いにから帰ると、必ず楽しかったという思い出が残っているのです。

(写真はお見舞いに行った時の祖父と中学生の私です。)



ただ、生命力が強いふざけたおじいちゃんに思われたら私の語彙力不足です。

私よりも世の中の流行りに詳しかったり、

無駄に絵や字が上手く手先が器用だったり、

塗装屋の社長を何十年も勤め上げていたり、、、

ただ単に、呼吸をするようにおかしなことを口にしているだけの人ではないです!


祖父のことを書き出すと筆と涙が止まらなそうなので、

そろそろ終わりにします。

(あ、今も元気にくらしてますよ!)



[結論]

間違いなく、私は祖父に影響を受けていました。

私の中では、私の祖父は歴史上のすごい人です。




長文になってしまい、申し訳ありません。


長々と、

興味の無い他人のおじいちゃんの話を読んでいただきありがとうございました。

ヨット部とは全く関係の無い話になってしまい本当に申し訳ないです。




ということで、

最近リレーブログがマネージャーばかりだったので、

プレーヤーの先輩にバトンを渡したいと思います。


明日は、、、

夏にはタンクトップに麦わら帽子というとてもチャーミングな格好で整備をする先輩、古橋さんにバトンを渡したいと思います!

メリハリがあり、合宿中も自分を忘れない古橋さん。

テーマは「古橋恒太のかわいさの秘訣」です。

こんなテーマ、後で怒られそうですが、、、

需要しかないと思うので。お楽しみに!



では、皆様お体にお気をつけください。


心に余裕を

2020年07月22日 09時45分00秒 | 2020リレーブログ

こんにちは。

4年マネージャーの丹羽美森です。


同期のあおやぎちゃんから、「自粛期間中に幸せを感じたこと」というテーマをもらいました。ありがとう‼︎


4月に前期期間のオンライン授業が決まり、また6月にある予定だった教育実習も延期となり、私は卒業への不安を感じ始めました。それに加え、7月中旬に控えていた教員採用試験の勉強に追い込まれ、56月は完全にメンタルブレイクしていました。


学校が9月始まりになることを期待していましたが、それも叶わず、私たちの大学最後の一年どうなっちゃうんだろうと不安に駆られ、ベッドに入っても眠れないこともありました。


そんな時に、トマトとマンゴーと干し芋が寮に届きました。母がふるさと納税で私の好物を選んで送ってくれたのです。大好きなものと、母からの励ましの思いを受け取り、一気に気分が明るくなり、前向きな気持ちになれました。マンゴーは同じ寮に住んでいる松島さんと一緒に食べて幸せを共有しました。笑


自分の気持ちを自分でコントロールするのは難しいですが、誰かに何かしてもらうことで瞬間的に気持ちが変化するのは、不思議だなと思いました。自分の問題は自分だけで解決しようとしがちですが、苦しい時こそ誰かに甘えてみるのも良いかもしれません。


有名人の自殺事件が続き、色々なことを考えさせられます。どのような理由であれ、残された人を永遠に悲しませることには変わりありません。自尊感情や自己肯定感が高い人は、自分のやりたいことに集中できて自分のために生きることができると思いますが、そうでない人は自分以外の人のために生きていると思うことで、生きる意味を見出せるのではないかと思います。私はどちらかというと後者の方なので、耐えきれない苦しみがあったとき、私を支えてくれる人と、私を支えとしてくれている人のことを思い、生きることへの意味を確認しています。


卒論では、「インクルーシブ教育」をテーマにし、包括的な教育について調べ、自分の理想とする教育について考えています。違いや弱さを認め合い、苦しみを共有し、支え合う人間関係形成のためには、どんな教育が必要か?また、自分の弱点や苦手を認知し、他者に支援を求めるセルフアドボカシーの力についても、重要だと考えています。


集団の中にいると、自分の存在、立ち位置について無意識のうちに考えます。自分のレベル、信頼されているか、役に立っているかなど居心地が良いと思えれば、それらが満たされているということです。


社会という集団の一員である以上、様々なものと共生しているということを意識する必要があります。満たされない時や生きづらさを感じた時は、誰かに助けを求め、環境を変えるために、協働する。自分を追い込みすぎず、周りと支え合い、思い合う気持ちを心に留めておきたいです。


テーマから大分逸れてしまったような気もしますが、日常にある身近な幸せに気付けるくらいの心の余裕を持っていたいということです。社会が変化しても、生きる希望を見失わないよう自分を大切にしていきたいです。


いつも明るい笑顔で元気をくれる2年マネの斎藤ななちゃんに、「影響を受けたもの」のテーマを託します。皆さんもお楽しみに‼︎


権力を握るネコ

2020年07月20日 10時29分00秒 | 2020リレーブログ

お久しぶりです。

こんにちは、4年マネージャーの青栁佳保里です。

同期マネの坂上から回ってきたお題は「最近ハマっていること」です。非常に書きやすいお題でありがたい!

ということで、私が最近ハマっていること

それは「ネコのお世話」です()

4月頃から、ネコを新しく家族として迎えました。現在、家族になって約3ヶ月程なのですが、既に我が家の中では最高権力者です。

こちらが新メンバー・ニケです。





「砂漠の天使」とも言われている、今話題の

スナネコに似ていませんか(親バカ)


ニケという名前の由来はギリシャ神話からとっています。あのNIKEと一緒です。

名前の由来にしたのにも関わらず、ギリシャ神話をきちんと読んだことないので、この自粛期間に読んでみたいな〜なんて思っています。


そして、実は明日にまた新しいネコちゃんが家族になります!!やった〜!

今から楽しみでなりませんが、愛情をたっぷり注ぎ、2匹が幸せな生活を送れるように責任を持って家族皆で、お世話をしたいと思っています。

ただのペット自慢になってしまいました。

我が家のネコの写真が癒しになったら幸いです。笑


もうそろそろ梅雨明けですが、

合宿生活が恋しくなってきますね

以前の葉山合宿所のブログを読んで、あのノスタルジーな空間を感じたくなっている自分がいます。


次回は同期マネの丹羽にバトンを渡したいと思います。お題は「自粛期間中に幸せを感じたこと」です。

私自身も、みもちゃん(丹羽)とはテレビ電話はしましたが、まだ直接は会えていないのでブログ楽しみにしています!


どんよりした天気が続き、悲しいニュースが流れる今日ですが、皆さまもお身体に気をつけてお過ごし下さい。


それでは、失礼いたします。

4年マネージャー 青栁佳保里




アルバイトで得たこと

2020年07月18日 23時31分39秒 | 2020リレーブログ

こんばんは。

4年マネ―ジャーの坂上雪乃です。

 

戻り梅雨のようで、ここ数日ぐずついた日が続いていますが、

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

今回は天然でいつもみんなを笑顔にさせてくれる同期マネージャーの松島からバトンを引き継ぎ、「アルバイトで得たもの」というテーマでお話していきたいと思います。

 

私がアルバイトで得たものそれは忍耐力とコミュニケーション能力です。

 

私は普段小さな個別塾で働いています。塾といっても大手の塾とは少し異なっており、おもに勉強習慣のない子供たちがほとんどなので勉強の仕方など基礎的なところから教えていきます。

 

最初アルバイトとして働き始めたころはお給料がいいし、教職もとりたいなと思っていたので働いていたようなものでした。しかし、当時担当した生徒たちは学校のなかでも荒れている学年として有名な学年の子たちが多く、最初に担当した男の子は勉強どころか生活習慣が整っておらず、どうしたら成績があげられるのか毎日そればかりを考え、くたくたになりながら通っていました。でもあるときふと今現在できていること、改善してきたことに目を向けることが一番大切なのではないかと気づいたのです。

私自身は塾に通ったことはなかったので、塾はテストの点数や内申点などの成績を上げるために先取り学習をする場所だとずっと思っていました。確かにそれも重要なのですが、それ以上に生徒自身の今頑張っていることを認め、生徒自らが勉強するようになるまで待つことも大切だと感じたので今ではだいぶ忍耐力が身についたなと思っています。

今でも卒業した子たちとは仲が良くて会うと必ず挨拶してくれますし、たまに生徒のバイト先や文化祭に他の先生と遊びに行ったりしてます。毎年可愛い妹や弟が増えていくみたいで、このバイトはやめられません!

もう一つはコミュニケーション能力です。私は就職するまでになるべくいろいろなお仕事がしてみたいと思って塾のアルバイトがないときによく単発のアルバイトをすることが多いのですが、単発のアルバイトは年齢層が広くて私たちの世代から60代くらいの方までたくさんの方と接する機会があります。1人で参加するので最初はとても緊張感がありますが、パック詰めや梱包、ピッキング、シール貼り、イベントスタッフなど様々な仕事をしていくうちに自然と初対面の人ともコミュニケーションをとれるようになりました。

アルバイトは大学になってから始めたのですが、予想以上に得られるものが多いなと、このブログを書きながら感じました。

私の話は以上となります。拙い文章ではありますが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

さてそろそろ次の方にバトンを渡したいと思います。私は最近デビューしたNiziUというアイドルグループの追っかけにはまっていますが、彼女はどんなことにはまっているのでしょうか?

次は同じく4年マネージャーの青柳佳保里さんにバトンを渡したいと思います。
お題は「最近はまっていること」です。どんなお話をしてくれるのか楽しみです!

 

季節の変わり目につき、皆様におかれましてもお風邪を召されないようにご自愛ください。

 

 

4年 マネージャー

坂上 雪乃

 

 


葉山合宿所で起こった事件???

2020年07月16日 12時02分00秒 | 2020リレーブログ

お久しぶりです。

4年マネージャーの松島です。


やっと自粛生活が終わったと思いきや、また新型コロナウイルスの感染者が多くなり、早く終息することを祈るばかりです。


今回は、頼もしい後輩のひろこちゃんからバトンを引き継ぎ、「葉山合宿所での思い出」について衝撃的なお話から素敵なお話までしていきたいと思います。


葉山合宿所は、先輩方と初めて料理をした思い出のある場所です。20人以上もの料理を作ったことがなかったため、戸惑いながらも優しく丁寧に教えてもらいながら豚キムチ丼を作ったことを今でも覚えています。



また、女子新勧の時には先輩方から葉山合宿所についてすでに教えてもらっていました。「まっくろくろすけが出てきそうな合宿所なんだよ。」と教えてもらっていたので、5月に初めて訪問するまでには、心の準備ができていました。

実際、行ってみると、確かにまっくろくろすけが出てきそうな合宿所でした。

しかし、先輩方が何度も覚悟しておいてねと言ってくれたお陰で、ギャップはありませんでした(笑)

合宿所のとこより、先輩方の温かい雰囲気や人柄に惹かれていたので....


衝撃的なお話と言えば「お肉腐り問題」です!

それは、夏合宿の時でした。

当時1年生だった私たちは、集合の前に3日分ほど食材を買ってから、合宿所に向かっていました。

たまたま、2日間ほど初めて1人でマネージャーをする日があり、朝早く起きれるかな、ご飯が失敗せずに作れるか心配でした。

前もってお母さんと作る練習をしたのが懐かしいです。

朝ご飯を作ったあと、がんばってお昼ご飯も作ろうと思った時、1つの冷蔵庫が壊れてしまっていたことを先輩から教えてもらいました。そのため、腐っていて使うことが出来ないことに気づきました。

急いでスーパーに走り、買いに行きました。合宿所に帰り、急いで作らなきゃと思っていた所、たまたま同期が1人いて、自分から手伝ってくれました。そのため、安心してお昼を作り終えることが出来ました。

また、「おいしい?」っ聞くと同期は「海で食べるご飯はなんでもおいしいよ!」と言ってくれてたのを今でも覚えています。不安でいっぱいだったので、とても心が救われました。(気を遣って言ってくれたのか、それとも本心なのか....

本人は覚えているか分かりませんが(笑)


他にも、蚊ではない得体の知れない虫に刺されたり、急にお湯が出なくなって水シャワーになったり(同期マネージャーが経験)、ゲジゲジがでたり......

普段経験できないような衝撃的なことがたくさん起こりました。


でも楽しいこと、嬉しいこともありました。

リスを見ることができたり、先輩方がピザを買ってきてくださって一緒に食べたり.....

また、4年の先輩マネージャーの方にたくさん料理について教えてもらったことも思い出です。


葉山合宿所は合宿所ぽくなく、1つの一軒家なので、八景の合宿所より温かく大家族のようなぬくもりが感じられる場所でもあります。

合宿しながら部活をすることはあまりないと思うので、とても良い経験ができたと思っています。

私の葉山合宿所の思い出については以上とさせていただきます。


最後まで読んでくださりありがとうございます。


次は、いつも相談にのってくれる同期マネージャーの雪乃ちゃんにバトンを渡したいと思います。

テーマは「アルバイトからの経験で得たもの」です。いつもアルバイトを一生懸命がんばっているので、楽しみです。


それでは

みなさん、お身体に気をつけてお過ごしください。


4年マネージャー 松島優季


クーラー逃げるよ!

2020年07月13日 22時34分01秒 | 2020リレーブログ

こんばんは、2年マネージャーの仲田です。

落合さんから「暑さへの健康的な対処と、食欲がないときに身体を目覚めさせる方法」というテーマで指名して頂きました。ありがとうございます!

さて、沖縄出身ということで何かを期待されているような気もしますが、、笑 まあ書いていくことにしましょう!

 

まず暑さへの健康的な対処について。

実は私はクーラーがあんまり得意ではなくて、沖縄の暑い中でも割とそのまま過ごすことが多かったです。暑い中汗を垂らしている感覚が結構好きで、なんと言いますか、アナログに戻っている感覚というか。そういう時って水分もより美味しく感じますしね。

沖縄特有の対処といえば、「かりゆしウェア」という沖縄版アロハシャツが有名でしょうか。「かりゆし」は、沖縄の方言で「めでたい」「縁起がいい」などを意味します。風通しが良いつくりをしていて、ハイビスカスや紅型などのトロピカルなデザインが特徴的な開襟シャツです。アロハシャツは和服から着想を得たものらしいので、逆輸入的な感じですかね。沖縄では正装として結構定着していて、老若男女問わず働く人たちの多くはこれを着ていますし、私の出身高校の夏服もかりゆしウェアの形をしていました。今度落合さんにはかりゆしウェアを贈呈しようかなと思います。笑

 

次に食欲がないときに身体を目覚めさせる方法について。

これはですね。自粛期間中、モデルや女優のモーニングルーティン動画を見まくって感化された私は毎朝白湯を飲むようになりました。最近、同期の高原と工藤に「毎朝白湯飲むようになったんだよ〜!」と話したら「それただのお湯だからな!」というツッコミを受けたときは何も言えませんでしたが。空腹の時に飲むとお腹がじんわりして身体が目覚める感覚がありますし、少しお腹に溜まる感じもあって少し何か食べてみようかなという気分になると思います。あとは、レモン水もおすすめです。柑橘類が入るとさっぱりして飲みやすくなりますし、ビタミンCも取れて疲労回復になるので良いと思います。

 

こんな感じでどうでしょうか、、?落合さんの凄まじい文章の後はちょっと緊張しました。笑

 

次は、私の誕生日にすっごく素敵なメッセージを送ってくださったり、いろいろ助けてもらったりと、とてもお世話になっている4年マネージャーの優季さんにお願いしたいと思います!

そしてテーマですが、夏に冷房も何もない究極のアナログ生活といえば!葉山合宿所ですね。ということで「葉山合宿所での思い出」としたいと思います。

 

まだまだ気が抜けない生活ですが、みなさまお身体ご自愛ください。

 

2年

仲田洋子

 

p.s. タイトルの「クーラー逃げるよ!」は沖縄独特の言い回しで、窓が開いていて冷気が漏れそうになる時とかによく使います。冷静に考えればちょっと不思議な表現です。笑 ずっと標準語だと思っていました。


房隅の水滴

2020年07月11日 23時59分59秒 | 2020リレーブログ

こんにちは、こんばんは。クルーザー班、3年、落合輝です。

 

近年テーマの壮大化が著しいこのリレーブログ。

今回、文学部でインド哲学および仏教学を学ぶ私に課せられたお題は、「人生の意味」。はて、これは本当にヨット部のブログなのか。そもそもこんな事をブログのテーマとして回すことは、いくら先輩が印哲とはいえ、無茶振りすぎないか(萩原くん?)

しかし、社会の積極的な共感が、不安の軽減ではなく苦しみの増大をもたらすような状況を見事に言い得た、彼の傑作ブログを読んでしまったからには、この遠大なテーマに対して、精一杯の答えを返すほかはない。誰も読みきれないほど長くなっても、質問が質問であるだけに責められはしないと信じています。

 

、、ところで入寮三年目にして初めて使ったエアコンからまるで蹲(つくばい)のようにポタポタと水が垂れるようになって既に1週間も経つのですがどうすればいいのでしょうか。(次回のブログのテーマかな、、)

 

 

 

「人生の意味は何か」

この問いを発する者は何を問うているのでしょうか。この問いの前で悩む者は、正にこの問いを立てたが故に悩むのではないでしょうか。実はこれは、意味の分からない問いです。

「人はなぜ存在するのか」

このように問い直したらどうでしょう。問いはより深遠になったようですが、まだ分かる問いです。これなら応答しようがある。なぜ存在するかという問いは、存在の根源的な原因に向けられたもので、これに答えるには、さらにその存在のあり方が問われねばなりません。

「人はどのようなあり方で存在するのか」

この問いに対しては誰しも何かしらの答えを返せるはずです。ものを食べて栄養を摂取して肉体を維持することで存在するとか、より単純で見たままに言うとすれば、人は歩いて眠って食べて考えて言葉を使い人と話し集団を作り子をもうけ。どれもひとまずは正確と言えるでしょう。ではこれらのどこに根源的なものが存するのか。こう考えるとき、おそらく知的な人、知性のある人は、これらの様々な「事実」を意味のある体系として再構築することを試みるでしょう。結果としてあるものと、理由としてあるものを順序立て、より根本的な原因を探究します。

さて、このような方法による問いへの応答、探究はどこかで成就するのでしょうか。終わりはあるのでしょうか。

ある、と即答することは、思慮深い人にはできないでしょう。

ない、と断言するのも、しかし、むしろ安直かもしれません。

 

ここで注意すべき点は、人がこのように存在の仕方、実態を認識しようとするときに、観察し、観察された事物・現象に対して名前を与え、その上でその名辞同士の関係性を体系化し、分析・解釈するという段階を踏んでいることです。

名付けるという行いに、まずひとつ、迷いの種があるように思われます。名付けることは切り取ることです。所謂、分節化です。

人は言葉によって世界を切り分け、それとこれとの違いを論じ、違うものとして見るほどに強調される個々の事柄の関連性の分析へと踏み入りますーーー果てしない解釈の歩みを始めてしまうわけです。

全てのものは相互に影響を与えあい、お互いの存在に寄りかかることで初めてそのようにしてあることができていると仏教では考えられています。何一つとして独立した存在としてはあり得ないのです。しかし名付けという行いは、この真相に反する方向へ人を導いてしまいます。確かに「雲が浮いている」という言語表現は、ただ見たものを見たままに言ったに過ぎず、人にその状況その光景を伝えるにはそのように言うしかないのです。だからこのように表現すること自体に正しいも正しくないもなく、良い悪いもありません。問題なのは、ここに与えられた「雲」という言語表現、そこに内在する切り分ける意識が、言い表された対象から(世界において実際には有しているはずの)相互依存性を認識の上で失わせてしまうこと、別の言い方をすれば、それが独立して存在するかのように思い込ませ、あらゆるものとの関係性の中に埋もれていること(もはや「物と物との関係性」などと言い表すことも誤りであるような渾然一体の状態にあること)を忘れさせてしまうことです。観察して見えたままの姿あり様を表現するために、仮に当てられたに過ぎぬ言葉が、独立した実体を持つ存在を代表するものとして受け取られ、その前提で「世界を写した言葉」による世界の再構築と解釈が行われるのです。あるがままに見たものを表現しようとして発せられる言葉と、「実体を持ちそれ自体として存在するもの」を代表しているかのように誤解されて使われる言葉とを峻別すること。これが、言語的認識に依拠せざるを得ない人間が、自ら作り上げた迷宮に閉じ込められないために肝心なことだと考えられます。

 

このように見ていると、自分は「言語の分節化する働き(仏教用語では分別智)がつくりなした世界」を生きているに過ぎないのかと思い、全てが嘘もののように、つまらなく感じられるかもしれません。

ところが、よくよく考えれば、これもまた実際とは食い違う思い込みだと気づくはずです。私たちは日々食べものを食べて生命を保っていますが、何故食べ物によって生命が保たれるのか、消化されエネルギーが取り出されていると言いますが、それが本当のところどういうことになっているのか。日々細胞は生まれ変わっており、六年経つと身体中の構成要素が入れ替わるというが、一体何がどうなっているのか。更に、私たちは歩こうとか食べようとか思って歩いたり食べたりし、眠たいとか辛いとか感じて休んだりするが、「私」という意識はどこから来るのか。最も分からないのは、こんなにも本当のところはその出所の分からないものだらけの存在が、何故一定のまとまりを持って現にこのようにあり、そこに「私」という意識が備わっているか、という点です。

「自分」と言いながら、全く自らの分別智によっては明らかにされない存在として我々はある訳です。そして、そうである自己を「自分」と言って平然と受け入れて、私たちは日々生きているのです。

ブラックボックスという言葉があります。その意味するところを一言で述べれば、「中の仕組みはわからないけれど、すごい働きをしているもの」となります。その働きの結果は我々に認知されるが、それを成しているはずの主体が見えない場合、これを名付けてブラックボックスというのです。言葉とは面白いもので、対象を分節化して把握するものといったのに、同時に、或る機能の現れから遡って、分節化し得ないけれども存在するだろう何ものか、ただ「ある」としか言えないところに対しても、このように名を与えてしまうのです。ブラックボックスとは「何かわからないけど(ただ)あるもの」の別名です。

突き詰めていくと、世の中はブラックボックスだらけで、それは現代の正しさの基準である科学においても同様です。そしてブラックボックスの最たるものは「自分」です。こんなにも「分からない」存在。ブラックボックスが開かれ、その仕組みが解明されたかと思いきや、単により小さなブラックボックスが出てくるだけ。人間の分別智による探究はその繰り返しであるように思われます。どこまで分析しても「根元的な何か」は説明されないまま。しかしそれもそのはずです。世界には元々何の区切りもなく、全てが関連しており、一個として取り出して成り立つ存在などどこにも無いからです。一切は相互依存的で、まるで一枚の布のようなもの。固有の実体を持つものと想定してこの世の根源を探し求めても、どこにもありはしません。

 

ようやく、少しずつ、当初の問題に還ることにしましょう。もし言語的認識に依拠せざるを得ない人間が、無分別な(言語表現によっては把握されない)世界のあり方を「分かろう」としたら、どうすれば良いのでしょう。(いえ、ここまで来たら従来の意味で「分かり」はしないと、結論が出ているのですが。)現在のように、観察された対象に与えられた名辞を、真実ある世界に対応するピースと考えて再構成するやり方では不可能でしょう。本当のところは、直接「観る」しかないのではないでしょうか。まだ名付けていないものを観察して、ただそのように「ある」と知るように。

「観る」は「分かる」に先立ちます。

では人間の目の視覚が及ばない存在、物として固有の形を持たないような存在を「観る」にはどうすればいいのでしょうか。可能な方法は、私の考えるところでは、「自分の中に備わっているものとして気づく」ことです。或いは「繰り返し気づき続け、深いところに気づくことで、更に根源的なものを観る眼(気づく力)を養う」こととも言えるでしょう。正に「体得する」ということです。ここで気づかれ、体得されるものは、何度も言うように、分析的に知ることのできるものではなく、また人の物理的な目の視覚が捉えられるものでもありません。

いよいよ分かるということが分からなくなってきたでしょう。「分かる」ということの虚構性を問題にしているのです。「分かる」という錯覚を錯覚だと自覚するために、「観る」という次元から始めようと言う訳です。

自分の中に備わっているものとして気づいた今、「自分」が生きていることが、そのまま、その存在(概念や現象をも含む)がそのようなものとして「ある」ことでもあると知っています。「自分」がーーーたとえそれ自身が独立した実体を持つものではないとしてもーーーこのように存在すると認める(見・留める)ことができるならば、その存在もそれとして(ただ)ある、と認められるでしょう。これが直接「観る」ということです。そしてそのようにして「見えた」ものを、あるがままに言葉で表したならば、確かにそれは仮の表現には違いありませんが、単に虚構であると断じるべきものにはならないでしょう。

 

「人生の意味は何か」という問いを、私は「人はどのようなあり方で存在するのか」という問いに仕立て直しました。そしてこれに対する応答は、ここまで長々と述べてきた話によれば、ひとまず「何とも(言葉で示しては)答えようがない」または「そういうもの」となるでしょう。本当のところどうなっているのかは、生きること、純粋に、ただ生きることを通して観察し、自分の中に発見するのみです。各々が気づき、体得して初めて、明らかになるはずです。

 

 

宋の時代、ある禅僧に、師は問いました。

「軒先の水滴の音が聞こえるか」

禅僧はそれを聞いた途端、悟り、声にならない声をあげました。その理解したところを尋ねられた禅僧は、次のように答えました。

 

「簷頭水滴 分明瀝瀝 打破乾坤 當下心息」

 

簷頭(えんとう・軒先)に落ちる水滴の音が聞こえてくる。その音を聞いている自分自身にはたと気づいた時、天地を貫くようにして悟りの境地が明々白々に開かれ、不安だったことが払拭された。

 

禅の語録に伝わるこの話は、真理を知識として探し回っていてもだめで、自分自身の中に真理はすでにあるものだと気づいた時に、悟りが開かれる、という含意があると考えられます。(詳しくは駒沢大学の小川隆先生による『臨済録ー禅の語録のことばと思想』をご参照ください。)

私の状況で言えば、「房隅水滴」 分明瀝瀝 打破乾坤 當下心息、となるでしょうか。不穏で不安な世相ではありますが、ひたすらに、ただ生きることの尊さをかみしめて暮らしたいと思います。

 

 

次回は、沖縄育ちの2年マネージャー、仲田洋子さんに、これからクーラーで体が冷えて体調を崩しやすくなることを考え、

「暑さへの健康的な対処と、食欲がないときに身体を目覚めさせる方法」

を教えていただきたいです。よろしくお願いします。

 

3年 落合輝


孤独。

2020年07月09日 23時27分00秒 | 2020リレーブログ

「コロナ禍を受けて。」


 「新入生はコロナで友達作れなくて孤独で可哀想。」


これは今年、様々な団体で様々な上級生が新入生へ幾度となく言っている言葉である。


 確かに例年に比べて圧倒的に、今年の新入生は、友達も作れず、孤独であり、可哀想である。しかし、孤独経験者としてこの言葉に対し悲痛な叫びをしたい。「孤独の慰めは今は言わないで!」と。


 現在は確かに友達が作れなくて、不安もあるかもしれない。だが、コロナ禍を言い訳にできるし、まだ周りもそんな仲良くなく、孤独への焦りはそんなにないだろう。そのような時にこのような言葉を新入生にかけると、新入生はまるで「コロナ開けて大学再開されたら友達は当然すぐにたくさんできるんだ。」と無意識に感じてしまう。 

 

 もちろん大半の新入生はこの言葉通り、友達が増え、孤独は解消され、素晴らしいキャンパスライフを送るだろう。しかし、実はそれを聞いてる新入生の中には人知れず本当の孤独に打ちのめされることになる人もおり、その言葉を聞いてさらに苦しむことになる。なぜなら本当の孤独は全員が仲良くなれていない時ではなく、周囲は仲が良いのに自分だけ友達がいない時に生じるからだ。


 自分は昨年の夏、先輩の心遣いもあり、イギリスに1ヶ月の短期留学に行った。そこではコミュ力のなさが露呈し、当初友達がホンジュラス人1人しかできなかった。その一方、インスタは、初の大学生の夏休みにはしゃぐ高校同期や大学同期のキラキラ投稿で溢れていた。

 

 周りは新しい友達をたくさん作り、どんどん仲良くなっている中、1人何をしているんだろうと苦しんだ。また、孤独で苦しんでいると打ち明けるのが恥ずかしくなったり、同情されるのも嫌な気がして、誰にも打ち明けず1人で苦しまざるを得なかった。そのため強烈な孤独感に苛まれた。それはそれは強烈で、2週目の金曜日の授業後、帰り道にふと「今週末に誰か友達に会わないとマジでノイローゼになる。」と思い、そのまま空港に向かい、飛行機のチケットを買って、友達のいるローマに行くほどであった。


 このような強烈な孤独を、新入生はコロナ禍を言い訳にでき、周囲もそこまで仲良くない現在では感じ得ないだろう。新入生が孤独に本当に苦しむのは、大学が再開し、安堵を感じた数ヶ月後、ふと自分だけ友達が増えていないと気づく、そんな瞬間である。自分はそんな時、優しく寄り添える先輩であれたらと思う。



 次のブログは落合さんです。

テーマは「生きる意味。」


人生の意味に迷走しやすい現在、何を軸に頑張るのか、落合さんの“哲学”を知りたいです。