東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

幸せとは

2020年07月07日 21時00分00秒 | 2020リレーブログ


大善さん、指名ありがとうございます!
新3年470クルーの下重です。



今日7月7日。
七夕ですね!
実は、私と大善さんの出身の北海道では七夕は8月7日です。
どうしてなのか、理由の気になる人は調べてみてください!




さて、今回与えられたテーマは『ヨット部で、ふとした幸せを感じた瞬間』です。

幸せかぁーーーーーとしばらく考えてしまいました。
楽しいことや嬉しいこと、好きなこと等は色々と思いつくのですが、幸せといわれると難しいですね。

考えすぎて“幸せ”とは、そもそもどういうことなのかというところにまで思いを馳せてしまいました。
wikipediaでぐぐると、『幸福とは心が満ち足りていること。』と出てきました。
心が満ち足りている、、、、

私はやはり食べることが好きなので、おいしいものを食べているときが一番幸せだなと思います。

ヨット部の生活の中で、マネージャーさんが作ってくれるご飯はとてもおいしくて、たくさん食べられて幸せです。
しかも、栄養もちゃんと考えてくれて、理想的な食事を提供してくれる。
なんと幸せなことでしょう。

マネージャーさんはいつも、プレイヤーが起きる1時間以上前から起きて食事の準備をしてくれます。
だからこそ、私は毎朝おいしいご飯を食べて幸せを感じられるのです。
本当にいつもありがとうございます。

私たちはたくさんの人に支えられています。

私たちは、それに感謝することはもちろんですが、それに甘んじてそのことを投げてはいけないと思います。

私の幸せの基には、様々な人のサポートがあることを肝に銘じて、今後のヨット部生活を全うしたいと思います。



次回のブログは、仰秀班の萩原君にお願いしたいとおもいます。

このコロナの大流行で様々なことが変わりました。
あらゆる価値観が変わり、たくさんのものが見直されてきました。
人生が変わった人もたくさんいると思います。
萩原君にとって、このコロナ禍はどのような存在なのか、語ってほしいと思います。
テーマは『コロナ禍を受けて。』

世界が変わった瞬間

2020年07月05日 17時29分59秒 | 2020リレーブログ

 

こんにちは、4年スナイプクルーの野村です。
主将吉武から、世界が変わった瞬間、というテーマで指名されました。

大層な話は出来ないですが、自分の世界が変わった瞬間とはいつか考えてみます。世界が変わった瞬間、難しいなぁ、、

ヨット部で、世界が変わった瞬間だと、2年生の時の江ノ島スナイプのレースで、吉武と出て、風の読みがあたって、2位でフィニッシュしたことですね。そこから、ああ、ヨットって楽しいな、と思うようになりました。それまでも楽しかったけど、より一層楽しくなったというか、そういう感じです。

そもそも東大に入る事がなければ、ヨット部に入る事すらなかったです。ヨット部に入ると決め、先輩に連絡した瞬間も世界が変わった瞬間と言える気がします。
東大合格した瞬間も、北海道から東京行けるし、世界が変わった瞬間だろうなぁ。東大落ちたら医学部行くつもりだったし、その後の人生は大きく違ったと思います。きっとヨット部に入る事はなかったでしょう。

さらに遡ると、中学受験すると決めてなかったら、東大なんて入る事もなかったでしょう。中学受験すると、小6の8月頃に決めて、その日からはなんかスイッチ入って、めっちゃ勉強しました。あれは世界が変わった瞬間ですね。これがなかったら、きっと地元でずっと過ごしてたのかなぁ。仲良かった友達が中学受験をする、ということで自分の選択肢が増えました。地元から中学受験なんて変わったことする人は、年に20人いるかいないか程度で、その一人が友達で、これはほんとに幸運でした。

なんともまとまりのない文章になってしまいましたが、基本、世界が変わった瞬間というのは、自分が努力しないと来ない気がします。更に、運も味方にしないといけないでしょう。
でも、毎日努力していれば、ふとした瞬間に来ると思います。毎日頑張っていれば、時には運も味方してくれるでしょう。部活動再開後、そんな瞬間があると良いですね。

最近4年生が書いてる気がするので、次は3年?の下重お願いします。
テーマは、「ヨット部で、ふとした幸せを感じた瞬間」でお願いします。

4年 野村大善


世界を変えた瞬間

2020年07月03日 20時00分00秒 | 2020リレーブログ
学生ヨットが世界を変えた瞬間はあったのだろうか。あるいは、社会を変えた瞬間はあったのだろうか。
 
ウィズコロナだとかアフターコロナだとか言われている中、ヨット部もコロナといかに共生するかを考える時期が来たのかもしれない。コロナによる影響は様々あるが、今回は新勧について取り上げたい。
ヨット部の新勧は、試乗会でヨットに乗せ、その興奮冷めやらぬうちに畳み掛けるというのが普通だ。ヨットに乗ったことがある人はほとんどいないので、試乗会が無ければ新入生も入部しづらいだろう。上級生も、新入部員の入部前のイメージと入部後の実態がかけ離れているのは避けたいため、試乗会なしには新入生を受け入れにくい。そのため、少なくとも東大ヨット部は、今年の新勧はかなり厳しい状況にある。
この状況があと半年、一年と続けばどうなるだろう。全国的にヨット部への新入部員は少なくなる傾向が続くかもしれない。
大学スポーツが持つ大きな役割の一つとして、「スポーツの普及」がある。特にセーリングは大学から始める人が大半であり、新勧を通じてセーリングの普及が行われている。試乗会ができないということは、セーリングの普及が滞ることを意味する。
 
一方、他のスポーツでは新勧にある程度成功しているものもあるという。我々との大きな違いは、「無関係な人への影響力の強さ」かもしれない。地元の子供たちへのスポーツ教室などを通じて、地域から応援してもらえるチームを目指している部もある。試合ごとにPVを制作する部もある。
大学ヨット部ではセーラーやOBに向けた発信をしている大学は多いものの、社会に向けた取り組みをしている大学は、私が知る限りは無い。
 
1月の主将主務合宿で出会った他部活の主将は、揃って「自分たちの社会への影響」を考えていた。彼らは社会にインパクトを与えられるだけの力があると自覚しており、社会貢献をしているとのプライドも持っていた。大学生セーラーはそのような視点を持っているのだろうか。
「セーリングの普及」が滞っている今、どのように社会にセーリングを知ってもらえるかは重要だ。社会や世界をほんの少しでも変えるだけのインパクトを与えることが最も有効なことだと思う。競技特性を考えると非常に難しいことだが、少なくとも議論を始めるべきだろう。そうでなければ、コロナ禍の中セーリングは少しずつ衰退するかもしれない。
 
学生ヨットが世界を変える瞬間はあるのだろうか。
 
ディンギー班主将 吉武宗浩
 
 
 
※ このブログはリレーブログの一環として書かれています。各々楽しいブログを書いていますので、他のブログもぜひお読みください。今回は4年天木の指定した「世界を変えた瞬間」というテーマでした。壮大すぎて非常に苦労しました。次回は4年野村が「世界が変わった瞬間」というテーマでお送りします。

旅の恥は掻き捨て

2020年07月01日 17時52分31秒 | 2020リレーブログ

皆さんこんにちは。

 

470リーダーを務めておりますゆうたくん、こと4年天木です。

 

ヨット部で見つけたロック、仲直りの仕方、質のいい睡眠の取り方。自分にはどんな変化球のテーマが飛んでくるのやらと、戦々恐々としていたわけですが、さすがはシンヤくん。自分の人生を変えた瞬間ということで、ストレートではありますが球が大きすぎて逆に打ちづらいですね。。

 

人生を変えた瞬間。人生が変わったと言えるほど激動の人生を送ってきたわけでもないのですが、強いてあげるなら、高校時代の短期留学ですかね。

 

今の僕は、思いついたらすぐにやってみようというタイプなのですが、昔は思いついても失敗を恐れて行動には移さない、そんな人間でした。

 

留学と言えるほどしっかりはしていないのですが、3週間ほどカナダへ。高校生なので1人で親元を長い間離れるのは始めて、しかも慣れない海外と、出発前の天木少年は不安でいっぱいだったことを覚えています。

 

ですがまあ、実際行ってみると、なんとかなるもので、台湾人と仲良くなって毎晩遅くまで部屋に集まっておしゃべりし、朝寝坊して食堂に駆け込みジュースとりんごだけつかんで授業に行く、みたいな生活でした。

 

人間やってみりゃなんとかなるもんだな、と悟ったわけです。そんな大したことはしてませんが、、笑 よくやらないで後悔するよりやって後悔しろと言いますが、本当にその通りで、失敗を恐れず挑戦した方がよいと心から天木少年は思ったのでした。

 

そんなこんなで、良くも悪くも後先をあまり考えずに、やってみたいと思ったらすぐ行動に移すようになりました。そのおかげで(?)、明日から1週間くらい暇だなと思ったら友達いるしタイでも行くかーとなったり、富士山登りてえと思ったら友達誘って登ったり。

 

ウズベキスタンは英語全く通じないですが、ボディーランゲージのプロと化し、伝わらなかったら砂漠の砂に指で書いてなんとかなりました。何の話をしているのかよくわからなくなってきましたが、これからもなんとかなるっしょ精神で生きていこうと思います。

 

さて、次は我らがキャプテンたけちゃんまん、こと吉武です。

 

きっと彼は僕より壮大なことを考えているはずなので、テーマは「世界を変えた瞬間」で。彼の、世界を変えたエピソードに期待しましょう。

 

 

最後にティモンディ高岸氏の言葉を。

 

やればできる。

 

 

天木悠太


隣の芝は青い。

2020年06月29日 11時02分00秒 | 2020リレーブログ

お久しぶりです。

ご紹介に預かりました、質の良い眠りをしてそうな、4年戸沢です。

今年度、スナイプリーダーを務めております。


というか、質の良い眠りをしてそうってどういうことやねん。笑


ですが、その推測もあながち間違っておらず、私はあんまり睡眠の質で困ったことはありません。笑


眞珠が質のいい睡眠ができなくて困ってるようなので、自分が普段心掛けていることを書いていこうと思います。



心掛けていること

 自分が昔から心掛けていることの一つに、

「無理に寝ない。すぐに仮眠をとる。」

というものがあります。


「???」


そうですよね笑、これだけではなに言っているのか分かりませんし、結構独特で変な考え方だと思います。


それではこれから細かくご説明します。



a. 無理に寝ない

次の日のイベントが楽しみで、または緊張して眠れなかった経験ありませんか?


それでも次の日に影響がでるからと無理やり寝て、いい睡眠がとれなくて、当日コンディションが悪くなって。


前は自分はそういう経験をしてました。


ただ、自分は中学高校と、毎週末大会がある部活にいたので、どうにかしてこれを克服しなければいけませんでした。


そこで、自分が辿り着いた解決方法は

「明日◯◯があるから何時に寝なければいけない。」ということは一切忘れて、眠くなるまでは普通に生活をする。

ということでした。

(ここで、「普通に生活をする」というのは、布団に入って電気を消したりしないということです。)


むしろ早く寝たい場合は、電気をつけて体を動かし、頭をつかうようにしているんです。

このようにするだけで、睡眠の質は格段に良くなると思います。


そして、眠くならない時に手っ取り早く眠くなる方法は筋トレですかね。

眞珠だったら、まずは、腕立て100回ぐらいから始めてみるのはいかがでしょうか。



b. すぐに仮眠をとる

これは睡眠の質とは関係が薄くなるんですが、夜になる前に頭や体が疲れた場合は、出来るならばすぐに仮眠をとるようにしています。


頭や体が疲れきってしまうと、その後のあらゆるパフォーマンスが落ちて、結局あれから何もできなかったなって思うことが結構あります。


例えば、受験期に110時間勉強したという話を度々聞きますが、自分は一切そんなことをしたことがありません。

少なくとも自分は10時間フルで走りきることはできないんです。無理やり走りきると、結局終わったあと余りやったことを覚えてないことが多くあります。


なので、勉強に限らず、パフォーマンスがすごく落ちてるなというときには、トータルでの自分のパフォーマンスが上がるように、躊躇することなく10分でも30分でも仮眠をとるようにしています。(毎日毎日寝ているわけではありません笑)


そして、

勉強でも遊びでも自分のパフォーマンスを気にするようにしていると、何事にも全力で取り組むようになるので

・その日の疲れで眠くなる。

・寝るときにその日の充実感があるので、幸福感を感じて寝られる。

ようになると思います。


是非これもおすすめです。



ということですので、

枕の高さを変えたり、ニトリのひんやりマット使ったり、そういう方法もいいですが、

「眠くなったら寝る」

という方法も悪くないのではないかなって思ってます。

(本当にブログでなにを書いているんでしょうか。。)


どんどん自分が何を書いているのかわからなくなってきたので、以上です笑

是非参考にしてみてください。


読んでいただきありがとうございました。

季節柄体調を崩しやすいので、どうかご自愛ください。



次のブログは同期のゆうたくんです。

470リーダーを務めているゆうたくんですが、「人生を変えた瞬間」というテーマです。

(テーマがいいことを心の底から感謝して欲しい笑。そして何よりも羨ましい笑)



それでは。


             2020. 6. 29  戸沢


初々しい…?

2020年06月27日 23時42分40秒 | 2020リレーブログ

お久しぶりです。4年マネージャーの濵田眞珠です。

皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はB'zの「LOVEPHANTOM」を聞きながら断捨離をしたため、調子に乗ってモノを捨てすぎたり、夢で、ずんの飯尾さんが頻繁に出てきたりと、愉快な日々を送っています。

私の話はさておき、あみちゃんから受け取ったテーマ「1年生の時の初々しい同期のエピソード」に移りましょうか。

実はこのテーマ、中々の難題。
私たちの代は珍しく、「マネージャーよりも、プレイヤーの方がしっかりしている代」なので、プレイヤーに対して、初々しいと思ったことがあまりありません…笑
初対面から「わ〜、しっかりしてるな。凄いな〜、同世代?」と思っていました。
しかし、その中から頑張って絞り出した結果、1つ見つかりました。
それは抜群のかわいさを発揮していた松前君!たまにですが、彼は疲れ果てた時、海着のまま布団にくるまって寝ちゃっていました。これはなかなかの初々しさ。今では考えられない姿ですから、だいぶ懐かしい気持ちになります。

一方、同期マネージャーの松島は1年生の頃から個性が強めです。ある日、美駒さんが「電子レンジ『強』でやってきて」と頼んだことに対し、何故か「今日」だと勘違い。
「眞珠〜、『今日』ってボタンないんだけどさー、『today』って書いてる感じかな?」
と言われ、困惑しながらも、お腹が捩れるくらい笑いました。これは、初々しさに入れてもいいのでしょうか…?

そして残念ながら、あみちゃんが知りたがっている某NGT君の初々しさですが、初々しいという言葉が違和感でしかない同期No. 1。常に冷静沈着、ポーカーフェイス、なんでもこなす。これにつきます。
困り果てて、本人に初々しい自分の記憶を聞いたのですが、初々しさを微塵も感じることができなかったので、書くのはまた今度の機会にしますね。

中々苦戦したお題でしたが、これまでのことを思い出し、早く直接会いたいなと思いました!


さて次のお題は、「質のいい睡眠の取り方」にします!
何故か、ずっっっっと、夢に「ずんの飯尾さん」が出てくるんです。
飯尾さんは好きですが、笑いながら起きるので寝た心地がしません。どうか、次の人に助けて欲しい。
では、質のいい眠りをしていそうな、戸沢君にします。お願いします!


これがヨット部の秘密…!?

2020年06月25日 19時31分31秒 | 2020リレーブログ

こんにちは。3年マネージャーの横川あみです。

皆様いかがお過ごしでしょうか。私は自粛期間中「継続は力なり」をモットーに掲げて、今までなかった日課を作ってみました。特に目新しいことではないんです。単純に生活リズムを整えたり、女子力を高めたりなど、時間に追われて出来なかったことを始めるとてもいい機会になっています。

 

 

さて大根田君からバトンを受け取ったのでブログを書くことになったのですが、テーマは「私だけが知っているヨット部の秘密」です。秘密……?自分だけが知っていること……?なかなか思い浮かびません。困りました。

 

あれこれ考えて、1年生の頃の記憶を引っ張り出してみたところ、ひとつ思い当たることがありました。

 

 

それは……早朝の空がとっても綺麗だということです!!!!!

 

 

すみません、これがヨット部の秘密なのかと思いますよね(笑)でも私にはとっても大事な秘密です。

 

マネージャーは合宿中、朝ご飯の準備のためにプレイヤーよりも早く起きています。1年生の頃は海マネも確立されず、マネの人数も少なかったので週5練でも毎日早く起きていました。(私が2年生になってからは、陸マネに任せっきりです。みんなありがとう、)

起きてすぐ炊事場に向かいます。けれど八景島の合宿所では、時間に余裕がある時に海を見渡せるところに行って、朝日を見るのがマイブームでした。日中はプレイヤーや他大の部員で溢れているハーバーも、海も、早朝は全部を独り占めできるのですごく気持ちのいい朝を迎えられます。みんなより早く起きることの特権ですね。

 

これがマネージャーだけが知ってる秘密の時間です。ひねり出しましたが、あまり期待に添えていなかったらごめんなさい。今度また聞かれた時のために、誰かの秘密を握っておこうと思います(笑)

 

次のブログは4年生のマネージャー、濵田眞珠さんに託します。テーマは「1年生の時の初々しい同期のエピソード」です。ついに部活最後の年になった先輩方ですが、1年の頃はどうだったのでしょうか?そろそろ某NGTさんの話も聞きたいですね!お楽しみに!

 

3年マネージャー 横川あみ

 


悲喜ロコモコ

2020年06月21日 09時25分02秒 | 2020リレーブログ

どうも、2年スナイプスキッパーの青木です。

 

村上くんより、テーマは「ヨット部での悲しかったこと、嬉しかったこと」です。はて。入部からまだ一年と少ししかない経っていないというのに、締め括りみたいな話題です。意図が読めないですね。

 

 

まずは悲しかったこと。

 

8月頃にヨット部は山中寮に派遣されます。入れ代わり立ち代わり派遣される中、偶然期間が被ったのは村上くんでした。

同期なのにほぼ2コ下みたいな彼はその温厚な性格で皆から慕われており、僕もかわいいやっちゃなぁと思っていました。当時は。

 

僕は彼より一日先に山中寮を発ったのですが、干していたバスタオルを忘れてきてしまいました。それから二週間ほど経ったころ、村上くんが「そういやバスタオル忘れてたね」と言ってきました。

 

「うわ! 気づかなかった!」

「大吾って書いてあったからわかったよ」

「そっか、ありがとう〜」

「荷物いっぱいだったからそのまま置いてきたけど」

「?!!」

 

山中寮に連絡したところ処分済みでした。

忘れたまま気づかなかった僕が悪いんですが、なんだか無性に悲しかったです。

救えたはずの命を救えなかったような、コード・ブルーみたいな心境でした。観たことないけど。

 

 

次に、嬉しかったこと。

 

春合宿中頃、急遽スナイプチームのレギュラーじゃない6人(クルー3・スキッパー3)の固定ペアをマッチング形式で決めることになり、村上くんが一位指名してくれました。

嬉しかったですね。やっぱりかわいいやっちゃなと思いました。一位指名しておけばよかったです。

 

こんなもんでしょうか。

 

 

ところで、一位がいれば三位もいるわけで、僕とクルー大根田くんは互いに三位指名同士でした。

 

入部当初から互いにいがみ合っていた二人でしたが、11月頃には二人で熱海温泉に行こうと(大根田くんが一方的に)計画するほどアツアツなりました。

しかしX'masディズニーデート計画が破談になったあたりから関係は再び悪化。そしてこの、通称『大吾、大根田、3番志望事件』を経て不仲は決定的となりました。

 

以降、僕は歩み寄る姿勢を示しておりますが、大根田くんは「かつての関係改善への希望は、絶望に変わった。」などと声明を発表。強硬的な姿勢を強めており、さらなる核開発への懸念が高まっています。

もうすぐ部活も再開です。それまでには関係を修復し、晴れやかな気持ちでヨットに乗りたいですね。

 

次のブログは2年大根田智也くんです。テーマは「仲直りのしかた」。お楽しみに。

 

 

2年 青木大吾

 

 


歌ってほしいよロックンロール

2020年06月19日 23時00分00秒 | 2020リレーブログ
こんばんは、2年スナイプクルーの村上です。

日頃から不可解な圧倒的な独り言を呟いてらっしゃる長岡先輩からご指名いただきました。
ちなみに僕が一番好きな長岡さんの奇行は、独り言をよく聞いてみたらドンドコドンドコって言ってたという話ですね。さすがエースクルーは見てる世界が違うなって思いました。

そんな尊敬する長岡さんから頂いたお題は「ヨット部で見つけたロック」です。


何回も言いますが別にロックはそんな好きじゃないんですけどね。

と思いましたが、昨日パンクロックについて授業の課題で書いてたことに気が付きました。
いや、パンクのゴッドファーザーと呼ばれるイギー・ポップというとってもロックなじいさんがいるんですよ。

60年代のアメリカは反戦運動やら公民権運動やらにロックが影響を与えてすごい盛り上がってたんですけど、彼は当時のロックシーンすら否定して反抗した人なんです。反抗してたはずのロックが新たな権威になってるんじゃないかって。その後もとにかく権威や体制に反抗を続けて、パンクロック誕生のひとつのきっかけになったわけです。

こうしてパンクといえばイギー、みたいになったんですが、最近のインタビューで彼は凄いことを言ってます。俺はパンクが嫌いだと。自分が作ったと言っても過言ではないパンクも、長い時間が経ってまた新たな権威になってしまった。だから最近のパンクも嫌いなんですね。いやあつくづくロックな人です。

あれ、イギーポップの話しかしてないですね。



お題はヨット部で見つけたロックでした。
今日は雨が降ってます。ふと思ったんですが、雨でも傘をささなくなったのはヨット部に入ってからなんじゃないでしょうか。

さっきコンビニに行ったんですが、ビーサンとジーパンとヘリーハンセンのジャケットで、傘をささずに行きました。全身雨に降られて問題ない格好だし、自転車の方が早いから傘は邪魔だし。頭は濡れるけどタオルで拭けば問題なし。


雨でもどうせ濡れるからいいやって思うようになったのはいつだったんでしょう。去年の七大戦、大雨の福岡を牛嶋と観光した時は傘さしてたはず。夏のワールドカップ運営行ってからかもしれないですね。運営のおじさんにも傘なんて無駄みたいな人がいたような、いなかったような、覚えてないな。
よく考えたら海の上では絶対傘なんてささないから、雨に慣れたのかもしれません。

まあとにかく、傘無しの方が楽なんできっとこれからもこのまま続けるでしょう。






傘もささずに雨に降られるってロックな感じしませんかね、しないですかね。僕は自由な感じがして好きなんですけど。

とにかく、ヨット部で見つけたロックは傘をささないこと。ということで僕のブログはここらへんにしたいと思います。こんな感じで良かったんでしょうかこのお題。




さて、次の方を指名しましょう。この指名、ずっと470チームの間でぐるぐるしてたんで、今度はスナイプチームで回したいですね。

というわけで、次の指名は1度も乗ったことがないけど一応ペアで、現在は実家山形に帰省中の青木大吾くんにしたいと思います。テーマは、「ヨット部での悲しかったこと、嬉しかったこと」です。楽しみですね!



そろそろヨットに乗れる日も近そうです。健康に気をつけて、あと少し頑張っていきましょう。それでは失礼します。

2年 村上周平

不可解な文字

2020年06月15日 17時32分00秒 | 2020リレーブログ

こんにちは。4470クルーの大橋です。


廣瀬くんから指名を受けたので書きたいと思います。テーマは指定された通り「最近の生活で一番ツッコミたいこと」です。


なかなか難しいお題ですね。外出を控えて毎日代わり映えしない生活をしているので、ツッコむ相手もいないですね。強いて言うなら、なんで土日なのに俺はヨット乗ってないんだろうとか思ったりもしますが。



という訳で、なければ合宿生活でもいいとのことなので、最近の出来事は諦めて1年前ぐらいの事件(?)の話をしたいと思います。




その日江の島で公式のレースの最終日がありまして僕も前主将のOさんと出場していたんですが、とにかくスタートがダメダメでみんなより後ろから出ることも多かったんです。最終レースもそんな感じで本船近くから出ようと試みたもののぜんぜんラインに並べずといった感じでスタートしました。

問題はハーバーに戻った後に起こりました。なんとリザルトを確認すると最終レースで僕らの船にBFDがついていたんです。自分たちの間では確実にリコールなどしてない自信はありましたが、証明するものもないし半ば諦めかけていました。ただ最終レースで他にブラック旗にかかっていた他の船が救済要求をしていたので僕らも一縷の望みをかけて救済要求をしていました。

最終的にどういう結末が待っていたかというと、僕らはアウター船からリコールを読まれていたらしいのですが、当然僕らの船(リコナン”51”)ではなく実際にはリコールナンバー”61”を読んだのにも関わらず無線でその番号を聞き間違えて”51”がBFDになってしまったのでした。という証言のお陰で無事文字がついていないリザルトを手に入れました。

その時はそんな間違いするのかよとツッコんだかは定かではないですが、とにかく呆れてたような気がします。とりあえず滅多にない経験でしたね。



自分で書いていて思ったんですが、最近の話でもなければそこまでツッコんでないというテーマをガン無視したブログになってしまいましたが、許してください。この時のようにのびのびと海に出られる日が戻ってくることを願いつつ筆を置きたいと思います。




さて、次回は僕よりも切れ味鋭いツッコミをしてくれそうな3年長岡誠くんにしたいと思います。テーマは「世の中の大半の人が経験していなさそうなエピソード」です。最近あったことでなくてもいいのでよろしく。



最後まで読んでいただきありがとうございました。本格的に夏を感じる暑さになってきたのでそろそろヨットに乗りたいですね。




4大橋徹也