東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

東大ヨット部のみんなが好き、ただその一心で。

2024年11月13日 23時04分47秒 | 引退ブログ

11月4日、全日本インカレをもって東大ヨット部を引退しました、4年の今川穂乃香です。

(見出しには部活初日の夕日の写真を持ってきました。あれから4年弱。早かったような、長かったような。)

 

引退して1週間ほどしか経ってないのですが、引退ブログを書けと言われてるので(例年より早くないですか、、?)フルスピードで4年間を振り返っています。

 

一旦引退の実感を沸かせるためにまずはLB1週目の土日(本来なら部活がない土日に喪失感を覚えてるはず、、、)を報告させていただきます。

 

11/9  LBになって初めての土曜日。6:00に家を出て7:50に江ノ島にいました。(あれ?)全日本スナイプミックスにはんとと出ました。久しぶりのヨットでした。強風で寒くてハイクアウトがしんどかったです。でもちょっと前走れて嬉しかったです。完全にはんとに任せっきりでしたが、、、はんとありがとう。

江ノ島組はジュニアミックスがあるスナイプチームだけのはずでしたが朝回航予定だった470チームのみんなにも会いました。なんかよくわからないけど、江ノ島組のレスキューには成相とずーまーがいました。ジュニアミックスにはひろなりもでてました。(あれれ?)

レースの後葉山に戻って合宿所に泊まりました。新470チームがミーティングしてました。私が1人で合宿所の2階に入ったら全員からほぼ一斉に「お疲れ様です」と言われ、それがまさにLBさんがいらっしゃった時に現役が言うそれだったのでちょっとだけ疎外感を感じました。なんかよくわからないけど、スナイプ葉山練習組の中に中静と澤田と神田が混ざってました。(あれれれ?)この3人と江ノ島組の私とずーまーで夜ご飯を食べました。引退して全責任から解放された我々はそれはそれはぽわぽわしてました。意味わからないことで話が盛り上がりました。楽しかったです。

11/10 ミックスの2日目でした。相変わらずハイクアウトがしんどかったです。でも楽しかったです。とりあえずラストヨットレースでした。江ノ島から葉山の引越しを手伝って帰りました。

 

まあ、お分かりの通りほぼ現役のときと同じ生活をしたので全く引退の実感が湧かない訳です。

同期はなぜかほぼ全員いるし、470チームもスナイプチームもほぼ全員会ったし。先週例年稀に見るほどにほぼ全員涙して引退したのに(笑)現役のみんなからしたら、いや普通に今週もいるやんけ、て感じだったと思います。ちょっと恥ずかしかったです。

でもまた同期のみんなと会えて、後輩たちと会えて嬉しかったです。ちなみに今週末も淡青祭で同期ほぼ全員と会います。(嬉しいです。)

 

 

それでは引退の実感を無理やり沸かせて、本題に移ります。

 

 

4年間をざっと振り返っていきます。

1年生。

とりあえず運動会のどっかの部活に入ろうと思ってました。コロナ禍でテント列とかなかったのでサークル/部活の紹介がある冊子をパラパラめくってたら東大ヨット部という存在に出会いました。海!合宿!なんか楽しそう!そんな軽い気持ちで半分入部を決めながら初めての試乗会に行きました。クイズで優勝してペアの子とマーロープリンをゲットしました。(そのペアの子は後にズーマーと知ります。)先輩(工藤さんとちかさんとおまたさん)がめちゃくちゃ優しくてたくさん話しかけてくれて、ヨットのことはさっぱりわからなかったけど雰囲気が好きで試乗会の終わりごろには9割方入部を決意してました。同期プレイヤーの中で1番最初に入りました。

同クラでプレオリ(?だった気がする)で同じ班になった中静くんもヨット部に興味があると言っていたので「一緒に入ろう!」と何回もうるさく誘ってました。

中静が入ってくれたとき、LINEで「4年間よろしくね!」と送った記憶があります。言葉通り、4年間お世話になることができて嬉しいです。

初めての部活はあんまり覚えてないですが、確かなんかのたまやでした。新港に来いと言われて、新港とはなんぞや??とか思いましたがちゃんと葉山新港に行くことができました。そこで初めて同期の一部に会いました。帰り道みんなで帰っていたら高校の部活が私と同じ模擬国連だったという人に出会いました。成相くんでした。よく話を聞いてみると私の高校で主催していた大会にも行ったことがあるとか、、、(実は当時の成相くんの写真に私も映り込んでました)誕生日が1日違いの神田くんとも話したりして、すごく賑やかな同期たちだなー楽しくなりそうだなーと思いました。同期女子プレイヤーはいなかったけど、全然平気でした。

ちゃんとヨット部生活が始まったのは八景への引越しからでした。八景では新入生練と上級生練を同時におこなっていました。そのためあまりヨットには乗れず、、、コロナ禍で通いだったこともあり、今思うとあまりヨット部生活ぽいことはできなかったかもしれないです。でもとにかく楽しかったです。同期も先輩もいい人ばっかりで、土日の非日常感が好きでした。毎週土日が楽しみで仕方ありませんでした。

最初は470スキッパー志望だったのに全然470に乗る機会がなかったのでなんとなくスナイプチームに入ることになりました。

夏合宿は村上さんと他の1年生とたくさんレスキューに乗ってました。だから村上さんが部活を辞めると聞いたときは本当に悲しかったです。(でも辞めるときに1年生にも電話で直接伝えてくれて、本当に愛を感じました。ありがとうございました。)

そんなこんなで初めて迎えた秋イン。最終日前日の重い空気は忘れられません。スナイプチームは全日本インカレに行けないことが決まり、お通夜状態でした。そこで全日本インカレのハードルの高さ、そしてヨット部がインカレにかける熱い思いを少し実感することができました。全日本インカレで4年生の先輩方の引退を見届け、4年後どんな感じで終わるのだろうかとぼんやり考えた記憶があります。

 

代替わりして2年生。

スナイプスキッパーとして本格的にヨットに乗り始めました。初日にスナイプで出艇した時ティラーをハーバー内で落としました。ちょっとだけ浮いていたのですがすぐ沈みました。今もまだ葉山港の底に眠ってます。

冬合宿直前に同期がたくさんやめていきました。当時自分は部活が大好きだったから、辞める人の気持ちがわかりませんでした。(その後私も同じような悩みを抱えるとは全く思ってませんでした)引き留めることもできず、あっという間にディンギーの同期プレイヤーは8人になりました。

冬はたくさん練習する機会をもらい、色んな方から教えてもらいました。

陸ではうるさいのに海に出ると急に笑わなくなって、しゃべらなくなって、やる気ないように見えたと思いますが、根気よく話しかけてくれて、たくさん教えてくれた先輩方、ありがとうございました。ヨットで海にでると2人きりになるので緊張しちゃってたんですよね。あと、ヨットに乗ってる時は何を考えればいいのかわからなくなって頭真っ白になっちゃってました。

そんな状態でヨットに乗り続けたせいで徐々にスキッパーをしていて楽しいより、怖い、が勝ってしまいました。ヨットの面白さは頭ではわかっているはずなのに、いざ乗ってみると全然思い通りにいかなくて、レースは怖くて怖くて仕方がありませんでした。楽しそうにヨットに乗って、ヨットの話をしている同期が羨ましくなってました。

でもこれは完全に自分の勉強不足と努力不足でした。分からないなりに自分で勉強して、先輩に聞いて、実際に乗って自分の中に落とし込む、ということをやればよかった。もっと頭を使って考えながらヨットに乗ればよかった。

春女は郁さんスキッパー、私クルーで出場しました。郁さんは470なのにすぐにスナイプを乗りこなしてすごかったです。初めての公式レースで、ド強風で怖かったけど、楽しかったです。最終レースは3位でフィニッシュできて、とてもいい思い出です。4月からは下級生同士で乗れるようになって、クルー不足だったこともあり、中静とよくスナイプ乗ってました。このころから中静は上手くて、中静スキッパー、私クルーで乗って早稲田とコース練した時に1上を1位で回航したときがありました。結構嬉しかったです。

そんなこんなで悩んだけどヨット部やスナイプを諦めきれず、夏にスナイプクルーに転向することにしました。(山中寮に行っていてヨットからちょっと離れた時にたくさん考えて、大野さんに電話しました。あのとき親身に話を聞いてくださってありがとうございました。)

秋女は千田さんと出ました。相変わらずのド強風で2人で怖い怖い言いながらランニング中の波に耐えてた気がします。1日で5回ぐらい沈しました。当時はつらくて泣きそうでしたが、今となっては笑って話せるいい思い出です。あの時からド強風ランニングの危機管理能力が高まった気がします。このとき、来年の秋女では3位以上、全女では入賞するという目標を立てました。

この年のスナイプチームはというと史上最強のチームでした。ほぼ完璧といえるレースメンバーで固めて出場した秋イン、無事に全日本インカレに出場でき、全日本インカレではなんと5位入賞という偉業を達成しました。最終日私はチームボートに乗らせていただき、5位が決まった瞬間を海上で見届けることができました。あの時のレースメンバーの喜んだ顔は忘れられません。いつか私も、という気持ちになって、晴れやかな笑顔で終われました。

この代はとてもメリハリがあって、チーム全体で戦っている雰囲気がありました。私にとっては理想のチームでした。4年生になったらこんなチームになりたいと思った記憶があります。サポートを統括している4年生の大吾さんがいたのも大きかったと思います。大吾さんという存在が後に私のヨット部生活にとって大きな存在になりました。

 

3年生。

ずっと負の状態でいた年でした。真っ暗闇の中にいて、苦しかった。

スナイプクルーを始めて半年。クルーで頑張りたい、インカレに出たいと思って取り組んでいるつもりでした。でも足りなかった。また勉強不足で努力不足。どんどん同期にも置いていかれ、後輩にも抜かされました。

2年生スキッパー専用クルーみたいになり、ずっと天野、遠藤、市毛と乗ってました。後輩と乗ると学ぶことも多かったです。でもあまり成長はできなかった気がします。3人はぐんぐんと成長してくれました。

個戦は市毛と出ました。レース中はいろんな負の感情ををちょっとの間忘れることができて、楽しかったです。

そんなひとときはすぐに終わり、夏になると現実を見させられました。レースメンバーにはなれないことが決まりました。ずっとなんのために、なんでこんなところにいるんだろう、なんでヨットやってんだろう、もうレースメンバーになれることはないのに。そんな悶々とした思いで部活にいました。周りに対する劣等感が生まれ、自己嫌悪とともにそれから逃げたいと思うようになりました。でも秋女と全女は千田さんと出ることが決まってるから、迷惑はかけられないから、それまで続けようと思ってそこに焦点を当てて練習してました。

そして千田さんと出た秋女と全女。もちろん千田さんのおかげではあるけど、秋女では3位を取れて、全女では入賞は逃したものの、8位という好成績で終わることができました。本当に嬉しかったです。そこでだいぶ満足してしまいました。もう、ヨットいいかな、ヨット部やめていいや、そう思うようになり、3年の終わりでやめると決意し、小戸の全日本を見届けました。

 

4年生。

全日本が終わった次の日、辞めることを同期にLINEで伝えました。どうせ4年生になったら研究とか院試で忙しいから迷惑かけるからと。都合のいい言い訳でした。本当はただ楽しくヨットをしているみんなが羨ましくて、劣等感感じて、辛くて、逃げたかった。

でも色んな人からやめないでほしいと言われました。こんな逃げてばっかりの何ができるわけでもない私に温かい言葉をかけてくれる人がたくさんいました。すごく悩みました。でもそんな温かいヨット部のみんなのことが大好きだし、あと一年、大好きな仲間たちとヨット部として過ごしたい。一緒に最高の代を作り上げて、一緒に戦いたい。この最高な仲間たちの助けになりたい。そして一緒に笑顔で引退したい。そんな思いでヨット部にサポートとして残ることにしました。もし大吾さんという前例がなかったらそんな選択肢はありませんでした。そのような選択肢を作ってくださった大吾さんには本当に感謝しています。

代替わり後はすごくバタバタしてた気がします。最初の2日間ミーティングをして、すぐに練習が始まりました。試行錯誤ではあったと思いますが、成相が見えないところでたくさん考えてくれて、率いてくれたから、新体制のチームが無事スタートしました。

学年問わず仲がよくて、レースではみんなで戦ってる感じがあり、本当に大好きなチームでした。いいチームづくりに尽力してくれた中静とやまこうには感謝です。

代替わり後から私はたまに下級生のスナイプに乗ってましたが、基本レスキューでみんなの練習を見ていました。日に日にレースで前を走るのを見るのが増えて、迎えたインカレや六大戦、七大戦で快挙を成し遂げてくれました。それを側で見れて、一緒に喜べて幸せでした。サポートとして携われてよかったです。同じくサポートをしてくれた後輩のみんな、至らないところばっかりだったけど、しっかりしてるみんなのおかげでなんとかなりました。本当にありがとうございました。

現役最後のヨットは中静とでした。(秋インで私を出すという話があったのでその練習としてハーバーバックだけ乗りました。最終的にはみんなの足を引っ張ることはしたくないと思い、辞退しましたが。)2年生の頃を思い出し、感慨深かったです。

江ノ島で行われた全日本インカレでは両クラスで出場し、悔しい結果とはなりましたが、いい景色を見させてもらいました。そしてみんなで引退することができました。

 

 

3年の鬱状態だったころ、私が部活にいる意味など考えていました。ヨットで活躍することもない、後輩にヨットのことをたくさん教えられる訳でもない、ヨットを嫌いになりかけている。そんな私がなぜここにいるのか、当時はその答えを見出せなくて、自分の存在意義を感じなくなり、部活から離れようと思ってました。こんな人が4年生にいてもきっと迷惑だし。

でもこの1年間、存在意義とかあまり考えずに、ヨット部のみんなが好きだから、一緒にいたいから、いる。4年生にしては無責任すぎるとはわかっているけれど、この思いには嘘はなかったし、私が一つだけ誇れるとしたらヨット部のみんなへの愛の大きさでした。これだけは一番だと信じていました。なのでこの気持ちだけでヨット部として過ごし続けました。

引退してもなお、東大ヨット部における私の存在意義は未だにわかっていません。頼れる立派な先輩にもなれなかったし、わがまま言って、迷惑いっぱいかけて、助けてもらってばっかだし。サポートとしていたけど、私必要だったかな、なんて思ったりもします。でもヨット部として最後の日にもらったアルバムのみんなからのメッセージや円陣ミーティングのあと後輩のみんなと話したことでこの気持ちが浄化されました。お世辞かもしれないけど、私がいたからヨット部入ったとか、私の笑顔を見て笑顔になれたとか、私が部活に来るだけで嬉しかったとか。そんな温かい言葉をたくさんもらいました。ほんのちょっとでもそんなふうに思ってくれる人がいたなら、それで十分です。それだけでヨット部にいてよかった、続けた意味があった、そう思えます。

 

 

この4年間、私のヨット部人生は決して順風満帆だった訳ではなく、辛いこと、たくさんありました。プレイヤーとしても、サポートとしても、もっとできたのではないか、こうすればよかった、ああすればよかったと心残りは正直あります。

でもこうして引退した今、とにかく幸福感で満たされているのは事実です。それは間違いなく大好きな仲間たちのおかげです。どんなに苦しくても、やらかしても、みんなが温かく接してくれて、温かい言葉をかけてくれました。だから悪い思い出も、いい思い出も、みんなと過ごせたから今となっては楽しかったと思えます。全ての思い出があってこそ今の幸福感があると思うとどんなときも続けてよかったなと思います。

最高の先輩方、同期、後輩に恵まれて、一緒に4年間を過ごせてよかったです。とても濃い、彩り鮮やかな4年間になりました。本当にありがとうございました。

今後も至る所でふとヨット部であったこと、出会った人を思い出して懐かしみながらすごしていくのだと思います。

東大ヨット部としての生活とここで出会った仲間たちは私の一生の宝物です。

 

 

現役のみんなにはこのヨット部の仲間を大切に、ときにはお互い助け合って、ときには頼り合ってほしいなと思います。私はギリギリまで強がって自分の中で解決しようとした結果限界がきてしまいました。もうちょっと早く同期でも先輩でも後輩でも心を開いて相談してれば何か変わったかもなと思っています。だから、辛い時は周りに甘えてみてもいいのかもしれません。そうしたらちょっとは心が軽くなることもあると思います。

これからも東大ヨット部の1番のファンとして、応援しています。たぶんすぐ寂しくなると思うのでたまに顔を出しに行かせてください。

 

最後に、これまで東大ヨット部を支えてくださったコーチの皆様、LBの皆様、ご家族の皆様、本当にありがとうございました。皆様の支えがあってこそ東大ヨット部はのびのび活動することができ、ここまで来れました。これからは私も1LBとして外から一緒に支えていきます。今後とも東大ヨット部をよろしくお願いいたします。

 

幸せな4年間をありがとうございました。

 

 

東京大学運動会ヨット部4年

今川穂乃香


恵まれた4年間

2024年11月13日 01時20分07秒 | 引退ブログ

こんばんは。LB1週間目の安藤和真と申します。

まだ1週間なのに、もうヨット部というコミュニティーから遠ざかったことを実感し始め、寂しさを感じています。

そしてまだ1週間なのに、もう引退ブログの締め切りが来てしまいました。

 

書きたいことが多すぎて、 10000字くらいあります。どうかお付き合いください。

 

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2021年4月、大学生活への期待に胸を膨らませた新入生の僕は、「大学でしかできない体験を」と思いさまざまな部活やサークルを巡り歩き、バレー部・馬術部と最後まで悩んだ結果、ヨット部への入部を決意。

僕の大学生活をめぐる最初にして最大の決断でしたが、素晴らしい決断でした。

 

一年生の秋までは、コロナ禍の影響で合宿も制限されていて、家と八景島・葉山を往復しながらホッパーを楽しんでいました。

秋インでは長岡さんたちが引退し、蒲郡では無風ノーレースのまま終わりました。

4年生の方々とはあまり深く関わることもできず、ただ引退を見送っていました。

 

 

代替わりして2年生。調さんたちの代になりました。スローガンは「好み好まれる」。

 

初めて迎える冬の練習。倹約家の僕は、先輩から聞いたmorgen skyという安いブランドの5mmのドラゴンウェットと放出会でゲットしたパドジャケだけで乗り切ろうとしていまして、無事に死亡。

最も印象に残っているのは、葉山での雨のレスキューです。最高気温は驚異の7℃、風もそこそこ吹いていて、空気より海水の方が温かく、海面から湯気が出ていました。天木さんと一年生でレスキューに乗り、上級生のコース練習を見ていましたが、天木さんがレースや帆走の解説をしてくれているのも頭に入らず、他の一年生と身を寄せ合って凍えていました。流石に昼着してご飯を食べていると、小松さんが「パッと食べて、もう一度でるぞ〜」とおっしゃって、絶望していました。

  

春合宿が明けた2S、自主練に通いました。

同期よんななまらーずのパッションが高すぎて、そこに負けたくなくて、自分も週4くらいで葉山に通っていました。

 

夏合宿は、葉山に移って早々に高天さんが怪我をしたことで、4番艇候補を下級生スキッパー+ひろきで争うことになり、79で加藤さんと乗れる機会が期せずして生まれました。結果的には4番艇はひろきに決まりましたが、それまでは「まだ遠い舞台だな」と思っていたインカレが急に身近なものとなり、色々なことを考えるようになりました。

 

秋イン決勝では、470が初日1R目でリコール2つ。でも工藤さんたちなら全国に行けないわけがない、と信じながらみん部屋でたまやをしていました。結果はちゃんと追い上げて、両クラス全日本へ。

 

全日本インカレの琵琶湖では、微風or強風の両極端なコンディションの中レースをしている先輩たちを、陸や観覧艇から応援していました。実力は確実にあった470の先輩たちが、それでも全国の舞台では苦戦しているのを見て、全日本インカレという特殊で難しい舞台を実感しました。

 

このときの思い出をもう一つ。全日本の宿で大吾さんから、「真面目なスキッパーが最後に一番伸びるよ」という言葉をいただきました。この言葉は、この後のヨット生活を支えてくれました。ありがとうございました。

 

 

代が替わって、3年生。西尾さんたちの代になりました。スローガンは、”Fun for the win, fan for the team”。

 

春合宿は、古橋さんから譲り受けたドライスーツで、なんとか乗り切ろうとしていました。でも旧合宿所の裏に干しているうちに劣化が進み、浸水とずっと戦っていました。

3年の春合宿での八景島は、レギュラー選考を意識することが多かったです。470は船の差が大きいため、東北大戦で船を決め、その次のフリートレースでレギュラーを決めることになりましたが、その間にも船が壊れたり、色々なことがありました。結局は僕はレギュラーを取れず5番艇となりました。

 

3月後半、新歓期、春インの期間は4番艇までに大部分のリソースが投入されたため、かなり乗艇機会も減り、同期たちが上手くなっていくのを横目に、もがいていました。明らかにボートスピードに問題がありましたが、その改善の仕方もわからず、そもそもヨットに乗って練習もできず、なかなかに苦しい時期でした。

 

6月のレースシーズンは、練習の足りなさが完全に出てしまって、毎レース1上の時点で後ろにほとんどいないような、3年生として情けないレースを連発していました。

正直、高いエントリーフィーを払ってレースに出てこんな経験をするくらいなら、その時間で練習した方がマシなんじゃないかとまで思っていました。

正直、ヨットが嫌いになりかけていました。

 

夏合宿、それでもなんとか頑張ろうと、成長を模索していました。

2023年8月21日、松尾さんと52で半ピンアップしてベンド65で出ました。この日は今でも覚えています。ずっと上位艇とのボートスピードの差に悩んでいましたが、この日やっと帆走練で置いていかれることがなく、ずっと並走することができました。

セッティングがハマったのか、松尾さんが上手かったのか、何のおかげかは分かりませんが、ようやく上位艇と同じ土俵で戦える、と思うことができ、苦しい時期を抜け出すきっかけとなりました。

九月の大規模コース練習でも、ぼちぼちくらいにはなりました。

 

ひろきがサポートに回ったこともあり、秋インは4番艇として淡青に乗りました。

秋イン決勝、二日目は加藤さんと乗るもノーレース。三日目の最終レースで丸山さんと乗り、1上は15番くらいで回航するも、結局ズルズルと落として30番台でフィニッシュ。8位の法政と9点差のまま、風も落ちて最終予告を迎え、apa。470チームは決勝敗退となりました。

 

全日本の小戸では、スナイプチームの応援と、修猷館高校との交流会。

あれだけ走ったスナイプチームも、全日本では苦戦しており、やはり全日本という舞台の特別さを知りました。

 

  

そして、4年生。スローガンは、”Serious fun”。数値目標としては、全日本総合入賞を掲げました。

 

秋インが終わって470チームが代替わりした後、自分たちの代をどういうチームにしたいか、たくさん考えました。毎週末mtgをして、色々な方たちから話を聞いたりして、今後1年間の方向性を探りました。

 

最上級生になったという自覚はまだあまりなかったけど、自分たちがこの部を引っ張っていかなくてはいけない、という責任感はこの辺りから芽生え始めました。

 

春合宿は、下級生を育成するだけじゃなく、自分たちもどれだけ成長できるかの戦いでした。秋インでの実力不足の反省から、毎日寝る前にヨットノートを書いて、1日ずつ何かしら上手くなろうとしていました。

寒い冬の夜は、業務スーパーで買ったお餅と粒あんで、お汁粉を作って乗り切っていました。

 

春合宿後半は、レギュラーと船が決まって、西間と91に乗らせてもらっていました。セーリング中もずっと何かしら喋っているような、コミュニケーションの多いペアだったと思います。西間、ありがとう。

マークをぐるぐる回りながら、470上級生スキッパー5人全員のレベルが上がってきていると感じていました。

 

あと、この頃からマネ飯のクオリティが異次元の高まりを迎えていて、毎日の海上でのご飯が、安らぎと喜びのひとときとなっていました。本当にありがとうございました。

 

(海の上で食べたちらし寿司が忘れられず、リクエストしたらもう一度作ってくれました。美味しかったです。ありがとうございました。)

 

春合宿が終わって4月になり、新歓期になりました。でも僕は新歓裏で練習させていただいて、下級生が中心となって新歓を頑張ってくれました。おかげでこんなにたくさんの下級生が入ってくれました。ありがとう。

 

そうして迎えた春イン。

予選では初日1R目にBFDを取ってしまい、重苦しい心持ちで始まりましたが、その後はある程度の順位でまとめることができ、なんとなく実力はついているのかなと思っていました。

 

しかし、決勝。

入賞を目指して臨みましたが、最初のレースでは沈をして、挽回を狙ったその後のレースでも思うような展開ができず。色々と交代して試しましたが、結局打開はできず。三日目は強風ということで、体重で選抜したペアで臨みましたが、上位校とのボートスピードの差を突きつけられる結果となりました。

 

その後の六大でも、同じく、実力が足りていないという事実を突きつけられました。

春合宿を終えて、やまこうがいいチームを作ってきて、少しだけ成長の実感と手ごたえを感じていた分、悔しかったです。

 

もう一度、ヨットの実力をつけるためにはどうしたらいいか、考え直しました。

上位校と比べて圧倒的に足りなかったのがボートスピード、その次にスタート、コース。

ヨットレースにおいて当たり前だけどできておらず、ヨットにおける「凡事徹底」を考え直しました。

 

春イン後は、個選に向けてやまこうとペアを組みました。僕はまた91に乗らせてもらえることになりました。

全個出場を目指して、時間を見つけて自主練して、春インでの課題を何とかしようとしていました。

ヨットにスマホを持ち込んで、うまい人たちの動作を見ては試し、見ては試しで、仮説と検証をくりかえしながら練習していました。

 

そうして迎えた関東個人戦では、最初のレースでカットレースを作ってしまい、続くレースで立て直そうとしましたが、一日目は圏外で折り返し。2日目でいい順位を作れれば、と望みをかけていましたが、不安定な風とうねりの中、APとゼネリコの後のスタートでBFDをとり、望みは消えました。

終わった後で順位表を見てみると、全個出場権を獲得した艇と僕らとでは点のまとめ方が違いました。

ちょっとは春インから成長できた面もありましたが、ペア固定からの時間も短く、全個のレベルに達することができませんでした。



レースシーズンがひと段落して、七大戦。

船はチャーター、各チーム2艇しか出れない、レスキューに乗れるのも数人、という特殊な大会でした。いざレースをしてみると、九州大と最後まで競りながらも、なんだかんだで470で1位を獲得、総合でも1位。春インで持たせることができなかった賞状を、ようやくやまこうと成相に持たせることができました

(結局、やまこうにはこれ以外の賞状を持たせることができませんでした。こんなにいいチームを作ってくれていて、その成果をもっと目に見える形でも残したかったです。)

 

夏合宿が始まって、全日本470に向けて練習を積みました。特にこの時期には、圧倒的に足りていなかったボートスピードの強化をしていました。上位校に追いつくためには、2段階ほど成長が必要だと考えて、本多さんにターゲットボートになってもらって、走り合わせをしていました。

 

その甲斐が多少あって、全日本470では、課題も多く見つかりつつも、いろいろな体験ができました。

1R目の1上で岡田奎樹の前で回って、リーチングでも上突破されず2上まで競ることができたのは、めちゃくちゃ興奮しました。

レセプションでの質問コーナーで、潮によるブローの見え方だったり八王子にできる雲だったりの高レベルすぎてよく分からない話も聞けて、面白かったです。

初日以外はずっと2ピンジャスト~オーバーくらいの安定したいい南風でレースできて、ここで南風強風の走らせ方が少しつかんだ気がしました。

 

9月もいい南風が安定して吹いてくれて、いい練習ができました。ここらへんでボートスピードも安定してきて、コース練でも上位校とも戦える自信がついてきました。

 

秋六大では久しぶりに北風順風のレースとなり、ここでようやく北風のコース取りの難しさに直面しました。このままではヤバいと、北風のコース取りを意識し直しました。

幸いやまこうがコツを早々につかみ、僕もブローの形を意識したコース取りを模索しました。

 

この頃にはレースに臨むメンタルをペアでしっかり作れていて、最初のレースで叩いても「尻上がりにいいレースをしよう」と声を掛け合っていました。



そして迎えた秋インシリーズ。

 

秋イン予選。

以前は微妙に苦戦していた他大の一番艇相手にもあまり苦戦しなくなり、ある程度しっかりと実力が付いたことを確認できました。

毎レースフィニッシュのたびに艇内で「もっといいレースをしよう」と声を掛け合って、結果としてはトップホーンを5回も鳴らせました。成長を実感できて、嬉しかったです。

 

そして、秋イン決勝。

入賞を最低限の目標としていましたが、結果は7位。僕らの船もシングルを1回しかとれず、稼ぎきれませんでした。実力はそれぞれついていましたが、北風のコース取りに順応する時間が足りなかったという印象でした。

 

秋イン後は、バタバタしながら江の島への引っ越しやプラクティスレースをして、全日本を迎えました。

 

総合入賞のためには、470チームとしての入賞、もしくはそこに近い順位を目指して臨みました。しかし結果は、30番を切るレースを一つも作れず、ケースやトラブルをいくつも重ねました。配艇をいじったりするも調子が戻りませんでした。

一度崩した調子を取り戻すことの難しさ、そして2年前、1年前にも感じていた全日本インカレの難しさを実感しました。

後輩に残せる最後の大会でしたが、まったく満足できる結果ではなく、実力を出し切れたという気もしません。今も悔しいです。

 

着艇後はバタバタと解装して、閉会式の後に暗くなった円陣mtg。そのあとに後輩たちに現役として最後の言葉をかける中で、引退を実感して、長かった4年間が、ついに終わりました。



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まだ引退ブログは続きます。

ここからは、僕たちの代が掲げた行動目標「凡事徹底」「コミュニケーション」「組織力」について。

ラストイヤーブログでも、これについて触れました。

これらの行動目標は、個人的な思い入れも大きいので、書かせてください。

 

今年一年間の個人的な目標は、東大ヨット部にいい文化を残すこと、でした。

代替わりした時から、この3つの行動目標を「江ノ島で1年間を振り返ったときに達成したいこと」として設定し、この1年間取り組んできました。

 

競技で結果を残すことももちろん大事、だけど競技で結果を出せなかったとしても、後輩に何を残せるか、自分が東大ヨット部という歴史に何を貢献できるか、というのも同じくらい大事で。

何を残したいか、と考えた時に、東大ヨット部が今後も強さとあたたかさを持って成長していくための文化を残したい、そのための姿勢と行動を示したい、と思いました。



 

 

「凡事徹底」

 

この言葉は、3つの目標の中でも特に、一年を通した僕のテーマでした。

この言葉には、ただ「当たり前のことを徹底する」だけではなく、「今は当たり前ではないことを継続していくことで、いつしかそれを習慣化された『凡事』にする」という意味が込められています。

「コミュニケーション」「組織力」も、それを習慣化させるという意味では、「凡事徹底」の上に成り立っています。

 

「バースきれいに」の呼びかけを、毎日継続して徹底する。

ヨットノートを、眠くても数行でも毎日つけるようにする。

朝眠くても、起床の時間になったら布団をたたんで電気をつけてみんなを起こす。

 

いままで感謝を伝えられていなかった人に、いろいろな形で伝えるようにしていく。

声をかけてこれなかった人に、少しでも声をかけて、日常的にコミュニケーションをとれるようにしていく。

誰かの10%になれることを、常に探すようにしていく。

 

海上でも同じで、いままで沈しそうだった場面で沈をしない、スピードが落ちそうなときに落とさないようにする、などを当たり前にしていく。



結局、凡事にできたものもあれば、できなかったものもありました。

特に競技面では、僕より何倍の時間もかけて「凡事」を作り上げてきた人たちが、最後まで前を走っていました。ヨットは減点採点のスポーツで、ミスをしたことが多い人が順に落ちていく。逆に順位が安定している人ほどミスが少ない、高いレベルに「凡事」がある。ヨットは凡事徹底のスポーツでした。

 

でも、「凡事徹底」を求める姿勢は、合宿生活の中で少しだけ見せれたのかな、と思っています。



「コミュニケーション」

 

自分自身が、コミュニケーション、特に相談することが苦手で、一人で悩んで抱え込んでしまうことが多いタイプでした(というか今もそうです)。3年で伸び悩んでいた苦しい時期も、なかなか誰かに相談できませんでした。だからこそ、悩んでいる人・困っている人が、それを相談しやすいようにしたいと思って、この一年を取り組んできました。

 

なるべく目を配って、下を向いている人を見つけたら声をかけて。

悩んでいそうな人がいたら、一対一で話せるタイミングを作って。

風呂でいっしょになった人には、「今日どうだった?」と話を聞いて。

途中から運営を任されたチームmtgでも、なるべくいろんな人に話を振って、質問と議題を考えてもらって、考えていることを話してもらって。

海上でも、一緒に乗ったクルーとはなるべく多く言葉をかわして、考えを共有して。

レース間で集合した時も、なるべく言葉を交わして、緊張をほぐしながら思考を整理して。

 

僕自身の力不足で、相談してもらっても解決できないことも多かったですが、せめて話を聞くことだけはできるようにしたいと、思っていました。

 

もし僕の存在が、誰かの悩みを解決する一助になれていたとしたら、嬉しいです。



「組織力」

 

ラストイヤーブログを書いた段階では、これをどうやって達成するかは、自分の中で見えていませんでした。

一年間を過ごす中で、「組織力」とは「主体性」+「誰かの10%になる」ことかな、と考えるようになりました。

 

「主体性」とは、誰かのせいにせず、すべてを自分事として捉えることです。

 

ヨットというスポーツでも、ヨット部という集団でも、他人・環境・道具のせいにするのは簡単です。いくらでも自分たちの成長を邪魔する障害物があって、容易にそれらのせいにできます。

でもそのままだと、他人・環境・道具が変わらない限り、永遠に成長できません。

何かのせいにしたいところを、ぐっとおさえて自分事にして、「自分の実力不足の結果が今の状態だ」とすれば、自分の実力をあげることで現状を変えることができます。

「現状を変える」という選択肢を、他のものに委ねず、自分で掴みにいくことができるのです。

 

合宿所が汚いのは、「他の人が」掃除をしていないからではなく、「自分が」他の人に掃除をさせられていないから。

mtgが有意義なものにできていないのは、「運営が」うまくできていないからではなく、「自分が」運営に携わって変えられていないから。

レースで前を走れないのも、「道具が」「風が」「ペアが」悪いことに原因を置くのではなく、まずは「自分が」できることを精一杯つくす。

 

主語を「自分」に置いて「自分」自身が変わっていくことで、結果的に周りが変わってくれたなら良し、変わってくれないならまだまだ自分の実力不足。

 

そうやって「主体性」をもった人たちが増え、それが集まった組織が、「組織力」のあるチームなのかな、と考えました。



もう一つ、大事になるのが、「誰かの10%」という考え方。

 

この言葉は、最後の円陣mtgでも言いましたが、2つ上の偉大なる元470チームリーダー、工藤さんの言葉です。

 

「自分一人の力には限界があって、なんとか90%までは到達できても、そこから100%の欠点なし完璧超人になることは難しい。でも、誰かの10%になることはできる。そうやってお互いに欠点を補っていけば、全体として100%を作ることができる」

 

この考え方のいいところは、たとえ自分が辛いとき、60%、50%の時でも、誰かの10%にはなれるというところです。つまり、60%の人の集合が全体としても60%とは限らず、80%、90%、100%になれる、ということです。

 

自分が悩んでいる時でも、そんな時だからこそ、ニッカーと笑って顔を上げて周りを見渡す。そうすると、同じように悩んでいる誰かに気づくことができる、そしてその人の10%になることができる、その結果チーム全体としてプラスになる。

つまり自分がどんな状態だとしても、チームに貢献できるという事です。

 

「主体性」+「誰かの10%」がそろったときに、優しくて強い、「組織力」をもったチームになれるのかな、と思いました。



この一年間、なるべく自分事にする、誰かの10%になる、この2つを達成できたかはわからないですが、なるべくその姿勢を見せられたのかな。

 

これらが、3つの行動目標でした。


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郁さんのブログから引用させてもらいますが、

 

「ヨット部の歴史にとって自分はかけがえのないものになれるのか?」

 

一年前に代替わりしたときから、ずっと頭の中にはこの言葉がありました。

 

自分がいることで、一緒にヨットに乗った誰かが少しでも上手くなれたり、誰かの悩みが少し軽くなったり、何らかの形で誰かの助けになることが、できていたでしょうか。

辛い合宿生活の中で、ズーマーさんがいて、ちょっとでも助かったなあと思ってくれたら、嬉しいです。

 

僕のこの一年間が、競技においても組織としても、すこしでも後輩に何か残せていて、東大ヨット部の文化と歴史に貢献できていたことを願っています。



(少しだけ脱線して、ある本の紹介を。

代替わりして今後1年間の方針を考える時に、大きく影響を与えられた本です。

 

岸見一郎・古賀史健「嫌われる勇気」

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」

D・カーネギー「人を動かす」

 

他者貢献、主体性、コミュニケーションなど、多くのことを学びました。

最後の一年を考える上で外せないなとは思いつつ書くタイミングもなかったので、ここで入れさせてもらいます。

もしよかったら読んでみてください。)



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最後に謝辞を。

 

LBの皆様。

日頃からご支援いただきありがとうございます。

今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。

僕もこれからはLBの一員として、東大ヨット部を応援して参ります。

 

小松コーチ。

1年生から4年生まで、競技面も精神面も、たくさんのことを教わりました。

ヨットで世界一周した時の話、南氷洋で凍えた話、世界のビッグウェーブから、示現流に例えたスタートでの度胸の話、ヤクザに絡まれた時の逃げ方まで、いろんな話をしていただきました。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

今後も東大ヨット部をよろしくお願いします。

 

本多コーチ。

小松さんよりも選手に近い立場で、真夜中に送ったトンチンカンな質問にも、真剣に答えてくださりました。

現役のトップレベルのセーラーの考えていることを惜しみなく披露してくださり、東大470に新しい風が吹き込みました。

 

先輩方。

ずっと不器用で、人一倍成長が遅い僕でしたが、根気よく練習に付き合ってくださいました。

本当に尊敬できる先輩が多くて、困った時には先輩方の姿を思い出して元気をもらっていました。

先輩方が見せてくれた背中を、これからも後輩に見せられるように、がんばります。

 

マネージャーの皆さん。

マネージャーのおかげで、東大ヨット部の合宿生活は明るさ100倍です。皆さんの笑顔に、プレーヤーはどれだけ救われていることか。マネ飯が、どんなに練習の支えになっていることか。

マネージャーという立場は難しいかもしれないけど、どうかこれからも東大ヨット部を支えていってください。

 

470の1年生たち。

あまり一緒に乗ることはできなかったけど、少し乗っただけでどんどん吸収して上手くなっていくのを見て、東大ヨット部の未来は明るいなと感じました。

これから寒かったり辛いこともあるかもしれないけど、ぜひヨットを楽しんでください。

 

470の2年生たち。

人数も多くパッションもあって笑顔が絶えないこの代は、来年は4年生を支えてくれるいい予感しかしません。

 

実はしごできで視野の広い、次期主将の木村。

興味を持ったことには全力な大下。

自主練パッションが高くて成長も早い、寺口。

途中から470に移籍したのに、もう470を完全に乗りこなしているふたばちゃん。

恵まれた体格を持っていて、ズーマーさんと呼んで慕ってくれた、相川。

小松さんに褒められる身体センスを持った、飄々とした能登谷。

VRI大臣で、もらったアドバイスをどんどん取り入れていく丈夫。

 

全員で切磋琢磨して、新4年生たちを脅かしてください。



470の3年生たち。

僕たち4年生のケツを叩いて追い上げて、追い越して、切磋琢磨してくれました。

 

春インまで91で一緒に乗ってくれた西間、お世話になりました。船の中でたくさんコミュニケーションとって、一緒に成長してました。来年の主将も大変だと思うけど、西間はやりたいことをやっている時に最大の力を発揮できると思います。「これをしなきゃ」という義務感に縛られず、自分たちでいい東大ヨット部を築いていってください。

2年生からインカレに出て活躍していた槇枝は、誰を乗せても前を走る頼もしいクルーになりました。一人で抱え込みやすい気質でもあるので、周りにどんどん相談していってください。来年槇枝が作る470チームが、本当に楽しみです。

最初からセンスの塊だった北村は、ぐんぐん成長して、あっという間に29のスキッパーに。ボートスピードでは東大一でした。来年もこのまま成長して、大活躍してください。

ずっとコツコツ積み上げている悠太は、どこかで大爆発すると思います。これからも真面目に積み上げていってください。よく一緒に書いているのに頑なに見せてくれないそのヨットノート、見せてくれる日は来るのかな。

真面目かつヨットに貪欲な五熊、いつも上手い人たちの動画を見つけてきては「これどうなんですかね」と研究してて、すごいなと思っていました。研究の成果は、すでに出てきています。

苦労人だけど着実に成長していく秋田は、視野が広くて後輩にもちゃんと目が届いていて。来年のヨット部の支柱になってください。工具の管理も頑張って。

 

後輩想いのいいやつらばっかりです。みんなで支え合って競い合って、いい470チームを作ってください。

 

そして、同期たち。

全員が、ヨット部の運営に真剣に悩んで、自分の役割を模索していて。

特に成相、やまこう、中静は、目に見えるところでも見えないところでも、いろんな仕事をしてくれていて、悩んでいて。

折々でmtgして、話し合って、最終的には割といいチームを作れたんじゃないかと思います。

ヨットが好きで、ヨット部が好きなみんなが同期で、本当によかったです。

 



ここでは上げきれなかったスナイプチームの皆さん、仰秀のみんな、その他ヨットを通じて関わってくださった全ての方々、本当に、ありがとうございました。


 

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いい環境と、いい先輩と、いい後輩と、いい同期に恵まれた、素晴らしい4年間でした。



 

 

ありがとうございました。

 

 

 

東京大学運動会ヨット部

安藤 和真(ズーマー)