引退ブログ
後輩たちへ
自分は、総合入賞を達成するには4年という時間はあまりにも短いのだと最後のmtgで言いました。時間が足りなかったと言うと目標を達成できなかった言い訳みたいに聞こえるので、そういう言い方はあまりしたくありません。ただ、後輩には厳しい時間制限があるということを伝えたいです。
過去の自分の動画を見ていると、4年の最後になってようやく勝負の土台が見えた気がします。
2年生 まともに走れない
3年生 走れてるようで細かい所がいい加減
4年生 一応走れる、けど負ける
やはりヨットはレースに出て場数を踏まないと上達しませんが、まともに走れない状態でレースに出ても得られるものが少ないです。早くある程度のセーリングをできるようになって、その状態でレース経験を積んでヨット力をつけていくのが理想だと思います。
そして、4年間のヨット部生活において何がともあれ一番重要なのは、ヨット部が楽しかった、充実していたと思って終えられることだと思います。引退した時に心からそう思えるように、残りの現役生活を頑張ってほしいです。
振り返り
まず、自分は純粋にヨットが乗り物として面白かったです。だから、負け続きでもヨットを走らせる一瞬一場面においてうまくいけば、それが楽しかったです。
そして、ヨットはスポーツとして面白かったです。最後のインカレでも痛感しましたが、これほどに知力、体力、精神力を等しく問われるスポーツは他にありましょうか。競技としての面白さは群を抜いていると思います。
それに、海上、陸上でのスマートな立ち振る舞いや気遣いといった、シーマンとしての理想像を小松コーチから教わった気がしていて、それもヨットを好きになる理由の一つでした。
4年間を振り返ると、ヨット自体も新鮮でしたが、高校まで個人スポーツをやってきた自分にとって、団体スポーツとしてのヨットはとても刺激的でした。
高い目標をおいてそれに向かってただがむしゃらに頑張る。自分1人のスポーツならそれでもいいかもしれません。
しかし大学ヨットにおいてはただ自分1人が頑張ればいい訳ではありません。どうすれば集団として強くなれるのかを考えなければなりません。これは多くの人にとって高校の部活と違い、直面し得る新たな壁です。
チームの雰囲気は成績に直結するから、目標は現実味のあるものに設定して皆で共有すること。
ベストパフォーマンスが出せる配艇を組むこと。
限られた範囲の中で予算を組むこと。
合宿生活における規律や制度を作ること。
全てが新鮮でしたし、どれもはっきりとした正解が見える訳ではありませんでした。だから最低限、皆が意見を出し合って、納得する形で決定をし、後で結果を受けてフィードバック、修正するというのが良いやり方なのではないか、と誰かから聞いて確かにそうだと思いました。
この辺は自分の人生において大きい学びとなりました。
自分はなぜヨット部で活動を続けられたのか
ヨット部で活動していくには膨大な時間とお金、労力を犠牲にしなければなりません。それはヨット部に入った時の想像をはるかに超えるものでした。
入部した当初は、ヨットの目新しさ、自然の爽快さに惹かれ、新しいコミュニティを求めていただけなので、そんな大きなものを犠牲にする覚悟なんてもちろんありませんでした。
無論、全日本インカレで総合入賞したくてヨット部に入った訳ではありません。
でも徐々にヨットを知り、レースで好成績を収めるためにヨットと真摯に向き合うようになりました。気づけばみんなそうなっていきます。
自分がヨット部を続けられたのは、周りの部員の真剣な思いがあったからに違いありません。
ヨット部は、動機として明確なものは持っていませんが、何か内にあるエネルギーみたいなものを消化せずにはいられない者たちの集まりなのです。一人一人、己の炎を盛んに燃やしています。それらはお互いに刺激しあっています。
自分もその一員として、大学4年間をひたすらエネルギーを消費して終えることができましたし、ヨット部は4年間を捧げる価値のある部活だったと改めて思います。
お金の話
入部する時は全く知りませんでしたが、ヨット部は少なくとも年間50万くらいはかかります。ほぼ学費と同じ。なんでそんな金がかかるのかと思いましたが、素人の自分が200万以上するものを操って競争していると考えれば何も不思議ではありません。不思議ではないですが、そんなの学生がやるスポーツとしてふさわしいだろうかと考えた時もありました。というか今でも思っています。
しかし、東大ヨット部の予算が私立強豪校と比べて圧倒的に少ないというのが現実で、それを嘆いていてもどうにもならないので、資金の調達もヨットというスポーツの一部だと考える他なさそうです。
自分は一時期、仕送りとバイト代だけでは首が回らなくなって巨額の部費を滞納していました。もうどうしようもなくなって親に電話したところ、「馬鹿野郎、ヨットやめろ」と一蹴されました。懇願して何とか払ってもらいましたが、親には多大な心配をかけてしまいました。早めに相談するべきでした。
東大生のコミュニティ、ヨットのコミュニティでは裕福な人が多いですが、世の中には自分で学費も生活費も稼がないといけない苦学生が沢山います。そんな人たちからすればヨットなんて夢のような贅沢でしょう。
この時なお一層、自分は贅沢なことをしているという自覚を持ち、ヨットに励むことができました。
辛い時期の話
周りからどういう風に見えていたか分かりませんが、最後の1年間は結果が出ず、ずっと悔しさを感じていました。
なかなか走ることが出来ない時、同期に勝てない時、同期どころか後輩にも負けてしまう時、スランプはヨット部において辛い時期です。劣等感を抱えて心が折れそうになった時、どういうマインドでいるべきでしょうか。
気を長く、視座を高くが自分なりの対処の仕方でした。2回、3回、4回ダメだったとしても根気強くいろいろな方法を試して芽を出せる機会を伺う。逆に、何回か上手くいったとしてもそれが本当に実力なのか懐疑深く考える。そして、同期が頭ひとつ抜けていたとしても、トップ選手と比べたらドングリの背比べでしかない、と余裕の心構えを持つ。
これらのことは自分の性格的に得意だったので、ヨットがうまくいかない時も楽しさを忘れずに続けることができました。
このマインドは自分なりのものだと思っていたら、そう言えばどちらも小松コーチがおっしゃっていたことでした。本当に、小松さんから学んだことは多いです。
学業との両立の話
部活動をしている学生は全員、両立が大きな課題だと思います。
4年間を振り返ってみると、学年が上がるにつれて部内でのプレッシャーも増えるし、必要な勉強の量も増えて大変になっていきました。体力的より精神的な負担が大きく、勉強中にヨットのことを考えてしまうなど頭の切り替えが大変でした。
きちんと両立できていたかというと全くそうではなく、どちらも妥協してしまったところはありました。
そもそも自分は完璧に何でもこなそうとするタイプではなくて、重要でないところをバサバサと切っていくタイプなので何とかなったのかもしれません。勉強と部活のどちらも上を目指そうと思ったら死ぬほど大変ですが、自分の場合、勉強は最低限で、残りのリソースを部活に注ぐ感じでやっていたので、一応乗り越えられました。
高校でも大学でも一応両立をやってみて思ったことは、いい意味でも悪い意味でも逃げ道があるということです。
どちらかが上手くいかなかった時、もう片方があれば、心は完全に折られなくて済みます。自己肯定感を保つのに役立つということです。
一方、部活が忙しいから勉強はやらなくていいなどと言い訳に使ってしまい、どちらも中途半端になるのは悪い面ですね。どちらもやると決めたのは自分自身なので、言い訳をしないように気を付けていたつもりではありますが。
どちらかがなくなればどれほど楽だろうかと思ったことは何回もありますが、実はどちらかだけをひたすら続ける方が大変なのではないでしょうか。両立が大変だと思うかどうかは捉え方次第だと思いました。
感謝
最後に、一緒にヨットに乗り苦楽を共にしてくれた同期、後輩の皆さん、ヨットを教えてくださった先輩方、温かいサポートをしてくれたマネージャーの方々、皆さんのおかげで大学4年間をこんなにも充実したものにすることができました。一生の思い出をありがとうございました。
そして、ヨット部でお世話になりましたコーチ、監督、LB、保護者等、全ての方々に感謝申し上げます。コーチの方々にはヨットの技術のみならず精神面、人間性の部分も学ばせていただきました。監督、LBの方々のご支援、特にLBSCHの恩恵は非常に大きかったです。ありがとうございました。
ヨットはスポーツの中でも特に多くのサポートを必要とする競技です。非力ですが自分もここからLBの1人として後輩たちの活動を支援していきたいと考えています。
澤田健太