明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(451)小水力の可能性は新たな町作り・国作りにある!(集会に参加して)

2012年04月16日 23時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120416 23:00)

4月14日に京都で小水力に関する集会があり、参加してきました。とても
盛り上がった集会で、とにかく面白かったので、少しく報告をしたためた
いと思います。

集会は前半で基調講演と最新情報報告、後半で各地の報告を伴うシンポジ
ウムという構成で行われました。前半の講演と報告も示唆に富んだもので
したが、僕としては何といっても後半のシンポジウムがとても面白かった。

聴き始めてすぐに心がザワザワしてきたので、その場でツイッターを使って
実況中継を始めてしまいました。まずはその内容をまとめたいと思います。
なおシンポジウムには富山県、岐阜県、岡山県、徳島県、高知県、熊本県、
鹿児島県の諸地域からの発言が続きました。以下、ツイートした内容です。

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20120414 小水力集会会場より

小水力集会に来ています。会場がかなり埋まっています。代替エネルギー、
小水力への感心の高さが現れています。今は各地域の実践の紹介。岐阜から
の発言がなされています。アルプスもあって、水の豊かなところで、さすが
の報告です。

岐阜の取り組みは、高専中心です。富山も参加してます。学校間で競いなが
ら、地域の電気を賄うことにチャレンジしています。学生の学びと発電、
コミュニティ形成が一つになっているのがなんとも面白いです。

続いて立命館大学の学生たちの岐阜での取り組みが紹介されています。幾つ
かの学部の混在チームです。小水力が、学際的な要素を持っていることが分
かります。彼らは歴史的取り組みの調査をしたようです。

岐阜に「ときの家」という拠点を作ったとのこと。メンバーの多くがもう卒業
なのだそうですが、ここにこれからも集うそうです。ちなみに岐阜での取り
組みは、規模の小さなもの。たがらこそ教育にも使える点が興味深いです。

続いて高知県です。「高知というとみなさん遠くてひるむと思いますが、高
知市から行くのにもひるむようなところで取り組みをしています」と高知県
の西での活動を紹介。高知県の発言はジョークだらけでとにかく面白いです。

高知の人、取り組みの写真を見せて、「細かく話すのは面倒なので、現場に
みに来て下さい!」と話して終わってしまいました。さすが高知!このアバ
ウトさがいい。よくは分からないけれど何かが進んでいることが伝わって
きました。

続いて富山からの報告です。やはりアルプスの麓ですね。毎年、県内に向け
て新エネルギーフォーラムを行い、小水力実現の気運づくりを目指している
とのこと。昨年は700名規模の催しを実現したそうです。すごいですね。

山間地で小水力実験システムを稼働していますが、山間の方は電力仕様が少
なくそれとセットで動いているとのこと。しかし冬は川が凍るのでそれをど
うするかが課題だそうです。

続いて岡山県、徳島県と続いています。ともにがれき受け入れ反対を表明し
ているところですね。徳島県では産官学での取り組みがなされているそうで
す。県土の80パーセントが森林。吉野川の豊富な水もあります。

徳島県は各地域での実証実験の報告を行っています。取り組みが厚いです。
環境省の依託事業としての地域主導型再生可能エネルギー事業化検討にも取
り組んでいます。かなり組織的ですが、市民的イニシアチブがどうなってい
るのか、もう少し聞きたい気がしました。吉野川可動堰反対の経験が生きて
いることでしょう・・・。

徳島県からは、課題として、電気を何に使うか、事業主体がどこになるのか、
資金をどうするのか、市民的熱意をどう作るのかが、他の地域にも共通する
だろうものとして提起されました。

次は九州熊本です。このままでは地域が枯渇する。地域の宝を掘り出すと力
強く宣言。発言者の町には48もの滝があるとか。素晴らしいところだそうで
すが、九州電力が狙っているとか。九電に取られるとエネルギーは地域にこ
ないそうです。会場から頑張れの意味で拍手が起きました。

熊本では砂防堰堤を使った発電に取り組んでいます。その場合、道路建設を
伴わない。これに建設業者が反発したそうですが、業者の力こそ、発電に必
要と説得したとか。それやこれやで10年で過疎化を打ち破ることが目指され
ています。

熊本は棚田を守ることも目指しています。そのために農業用水発電を目指し
ています。美しい棚田の写真を見せて、私たちはこれを守りたいと格調高く
語られました。

次は鹿児島県です。霧島山の麓でここも水が豊ですが、やはり過疎化が進ん
でいます。これを何とかしたいとのこと。性急に走っているそうです。「鹿児
島は何でもはじめたらいい加減にどんどん進むんです」とのこと。どこか高知
に似た伸びやかさがある。

次は京都のNPO法人美山里山舎からです。僕もよく通う原生相の芦生の森の麓、
かやぶきの里でも有名なところです。伏見工業高校と連携して、独自のら旋型
水車を使い、改良を重ねています。電気の利用は無線LAN活用に使い、観光に
貢献しているそうです。

地域からの発表は以上ですが、これまでのこの国の「経済成長」から取り残され、
過疎化に直面してきた地域、だから豊かな自然が残っているところが次々と手
を上げていることが見えてきました。この国の再生の可能性がここにありそう
です!ひとまずツイートを閉じます。

********

どれも発言のごく一部を切り取って発信するのが精一杯だったので、十分に
内容をお伝えできていないのですが、行間から当日の、あるいはそれぞれの
地域の方たちの行動の雰囲気を掴み取ってくださればと思います。いきいきと
した息吹が伝わると良いのですが。

ツイートの最後にも書きましたが、僕はこの次々と続く地域からの発言を聞い
ていて、小水力発電で作られつつあるのは、単なる電気なのではない。町の
復興、あるいは新たなるコミュニティの創出が、発電を通じて生まれつつある
のだということをひしひしと感じる思いがしました。

だからそこには「代替エネルギー」という言葉だけでは見えてこないもの、
もっと深い可能性がある。エネルギーの作り方が、町のあり方を変え、人々の
あり方、集い方を変えていくのです。まさにそこにこそ真の「代替エネルギー」
の可能性があると思います。

いや、そもそも、それはエネルギー全般にまつわる話なのです。これまでの明治
以来の工業化は、ひたすら大規模エネルギーに向かって邁進する流れだったとも
言えると思います。大規模なエネルギーを利用可能とすることによって、大規模
なプラントを建て、大規模な工業地帯を作り出していく。

そしてそこに人を呼び込み、移住させ、大規模工業圏、さらには大規模商業圏を
作り出していく。そのため第1次産業を切り捨て、地方の人々を都市部に移転さ
せ、農林漁業の上に乗っかる形で工業化を急ぎ、商業都市を拡大していく。

これが戦後の経済成長の流れでした。こうして日本は戦後10年で「もはや戦後で
はない」と宣言し、さらに60年代に高度経済成長を実現しました。新幹線が走り
出し、東名・名神高速ができて、物流規模がますます大きくなっていきました。

こうした中で電気の需要も増えてきました。これと相即的に、原子力発電も始め
られ、規模が拡大していった。都市圏から遠く離れ、過疎が始まった地域に、
次々と原発が建てられていきました。

日本の「経済発展」はますます拡大していきましたが、一方で第一次産業はどん
どん衰退していきました。何より後継者が育たない。人口が減り、街が維持でき
なくなり、限界集落が増えていった。それと引き換えに行われてきたのが、戦後
の「成長」だったわけです。

しかしそのもとで実は多くのものが失われてしまった。真っ先に挙げられるのは
日本の豊かな環境があちこちで破壊されてきたことですが、同時に、明治時代
までに営々と積み上げられてきた民衆的自治も壊されてしまった。

それはなぜか。水資源管理やエネルギー管理が、それまでの地域ごとの自治的な
あり方から、大規模河川整備や、大規模発電プラントの設営により、一極的・
官僚的管理に移行してしまったことが大きな要因としてあります。

こうして「地方」(これは中央という言葉の対概念です)のコミュニティの持つ
魅力はますます失われていった。いや地方だけでなく、実は旧来の多くのコミュ
ニティが疲弊しだした。そうして人々のつながりは薄れ、孤独な巨万の人々の
集合体としての現代都市が、ますます肥大していくことになったのです。


福島第一原発事故は、そうして走ってきたこの国の「経済成長路線」がもはや
大きな限界に突き当たっている中で、いわば象徴的に起きてしまった事故である
とも言えると僕には思えます。

世界の中でも抜きん出た都市化を進め、いびつな人口増加を続けている東京。
マネーゲームの中心地となり、市場経済の否定面が大きく露呈しだした東京。
その加熱したゲームの続行のために、福島で、新潟で電力が原子力によって作ら
れ、長い送電線を通して、メガポリスに送り込まれてきた。

その電気で、昼夜を分たず煌々たる光が東京を支配し、あたかも自ら火にいる
虫のように、マネーゲームへと人々が駆り立てられてきた。そうして駆りたれ
られればられるだけ、生き馬の目を抜くような競争の緊張感のストレスが増し、
澱んだ空気が町をおおってしまう。・・・もう長い間、私たちはそんな流れが
この国を覆い出していることに、うめき声を上げてきたのではないでしょうか。

ミヒャエル・エンデの作品、『モモ』に登場する「灰色の男たち」の支配する町、
それが、明治以来の工業化路線、戦後の高度経済成長の行く末に私たちがみた
町なのだと思います。その流れの頂点に、原発54基が稼働する私たちの「今」が
作られてしまった。


私たちが自覚すべきなのは、もうこの先に、どんな「約束」も残っていないこと
です。生産力をあげてもあげても、暮らしが豊かにならない。それどころが仕事
が減り、収入が減り、若者の希望が減っていく・・・それが今の経済路線の行き
着いた先です。この経済路線を維持してなんになるというのでしょう。今すぐ、
方向を転じなければならないし、転じてしまえばいいのだと僕は思います。

そしてその大きな可能性が、小水力の取り組みにあるのではないか。いやこの
取り組みの向こうにもっと大きな何かがあるのではないか。僕にはそう思えます。
なぜか。小水力の取り組みは、地域を歴史を遡って見直し、とくにそのいいとこ
ろを掘り出して、明日につなげる試みにつながっているからです。

同時に、それを小規模で行なっていく。つまり誰もが一定の決定権を持ちながら
関与できる。そのことでこそ、自分が地域とつながり、人とつながっていることを
生産活動の中で実感できる。そうすれば、ことさら「絆」「絆」と連呼しなければ
ならないほどに、人々の、当たり前の「絆」が切れてしまった現代社会の病的な
あり方を超えられるはずです。


以上、どうも感性的で、論証が十分にはなされていない文章になってしまいまし
たが、僕なりに小水力への取り組みに触れて得たインスピレーションをまとめて
みました。ラフスケッチであることをお許しください。後日、もっときちんと
論じ直したいと思いますが、ともあれ私たちの国の変革は、こうした「地方」か
らの無数の変革の積み重ねの中に夢見ることができるように思います。小水力
の取り組みの拡大は、人々の、そうした「覚醒」を促進するものとなるでしょう。

最後に、この集会をご準備くださったすべての方、とくに各地の奔放なエネルギー
のつなぎ役を担われている古谷桂信さんの取り組みに感謝を述べて、ひとまずの
感想のまとめとしたいと思います。







コメント (2)
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