明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2092)いつもオマールさんのことを胸に抱いて~核なき未来へ

2021年09月06日 18時00分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210906 18:00)

オマールさんの遺したのもの

法要の後に、部屋に戻っていろいろな方とお話し、資料などを頂きました。
帰ってきてページを繰り始めて、はまってしまったのが『オマールさんを訪ねる旅』(早川幸生編 かもがわ出版1994)でした。


2019年の法要の一コマ。僕も前回も今回も心を込めて献花させていただきました。本木喜幸さんのFacebookタイムラインへの投稿からお借りします

この本は圓光寺を校区の中に含む、修学院小学校の生徒が主人公で編まれたものです。同小学校の子どもたちが校区にある圓光寺のオマールさんのお墓を訪ね、住職さん建立に尽力した人々、浜島医師などに話を聞き、やがて広島を訪れたのです。
しかもオマールさんにゆかりの方たち・・・留学生寮の世話をしていた方の息子さんや、オマールさんに日本語を教えた先生、一緒に野宿をした方などにあらかじめ手紙を出して質問し、返事をもらうなどしてやがて会いに行きました。
この本はその体験記、感想文で編まれているのです。子どもたちがオマールさんの悲劇に胸を痛め、その足跡を辿り、優しかった彼に心を寄せながら、心から戦争反対を考え、平和への愛を深めていく過程がつづられています。

感動しました。「ああ、オマールさん、あなたはこんなに素晴らしものを遺してくれたのですね。あなたの誠実で優しい思いが、私たちに命の尊さ、戦争のむごさを教えてくれています。素晴らしい」そう思いました。
同時に「これだけの子どもたち、キラキラした目に何度も囲まれて、オマールさん、きっと少しは心が癒えましたよね。あなたの19年の生はいまこんなにも光輝いています。ありがとうございました」と彼に語り掛けたくなりました。
そうです。誠実に生きたオマールさん、政情はどうあれおそらくは日本の中にある一番いいものを愛してくれたオマールさん。あなたを思う気持ちが大きく平和の心を育ててくれているのです。


2019年の法要後の交流の場で 守田撮影

そうだ。この気持ち、平和への切なるこの願いをこそ、もっと大きく伝えていこう。そのことでオマールさんに報いていこう。そう思いました。本当に素晴らしい法要でした。
素敵な法要・・・オマールさんと平和への祈りの場を作り続けて来てくださったみなさまにも感謝しつつ、この日の報告をしめたいと思います。
~以上、2019年9月3日記~


2019年の法要でのオマールさんのお墓への献花の様子 守田撮影


いつもオマールさんのことを胸に

さて、あれから2年が経ちました。この2年、僕は被爆被害のこと、被爆者のこと、被爆二世問題などをかなり深めることができました。そんな中でこの夏には、黒い雨裁判の画期的勝訴の場に立ちあうことができました。
京都「被爆二世三世の会」や神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部のお仲間たちと協力しての歩みでしたが、同時にいつもたくさんの被爆者の方が、背中を強く押してくださっていることを感じてきました。
そんな中での今回の法要への参加だったので、「被爆して亡くなられたオマールさん。あなたもきっと、僕の背中を押して下さっているのですね。さらに頑張って、きっとあなたの思いに報いますね」とお墓に手を合わせ、その後の交流の場にもそんな思いで参加しました。


2021年の法要の後の交流の場 コロナ禍の中でもこの場がもてたことに感謝です 守田撮影

そうしたらこの会で、京都「被爆二世三世の会」代表世話人の平信行さんがこう話されました。
「私たちの会の結成は2012年12月ですが、その時、大変お世話になったのが京都原水爆被災者懇談会という、京都にお住まいの被爆者の会でした。その当時の懇談会の代表が立命館大学教授の永原誠先生でした。(早川さんのビデオに出てきます)
その永原先生のお父さん、永原としお先生と言うのですが、この方が実は広島高等師範の教授をされていて、しかも南方特別留学生が住んでいた興南寮の舎監といいますか、寮長をされていたのです。


早川先生のビデオの中で取り上げられた永原誠先生 先代のご住職とともに

ですからその息子さんであった永原誠先生も、オマールさんたちと仲良く交流されていたそうで、そういう縁もあったので、永原先生が2013年に亡くなられる前に本を出されているのですけれども、その中でもオマールさんや興南寮のことを書いておられます。
それで戦後に永原先生も中心になって、オマールさんのことを語り継ぐ会をやられてきたそうなのですけれども、その後、みなさんの高齢化の中で縁が薄くなっていた面が否めませんでした。
それでわれわれ二世三世の会が後を引き継がないといかんのかとちゃうかと思って、五年前からこの会に参加させていただくことになりました。」と。


京都「被爆二世三世の会」代表世話人の平信行さん。本年7月16日に1945年のトリニティサイトの核実験と1979年のウラン精錬工場汚染水漏れ事故の日の意味を、関西電力京都支社前金曜行動でアピールされています。守田撮影

そうかあ。オマールさん、すでに私たちの会の設立から力を貸してくださっていたんだ!
おそらくこの話、平さんはもう何度もされているはずなのですが、恥ずかしいかな、今年の9月3日になって僕はやっと胸に沈めることができました。オマールさんと私たちの会は直接につながっていた。
だったらなおさら僕はこれからいつもオマールさんのことを胸に、さらに核なき未来へと、力強い歩みを進めていこうと思います。

被爆者、ヒバクシャ、被爆二世、三世、そして新ヒバクシャ、新被爆者とともに。核なき未来を目指して!


今年もお墓の周りにみんなで心を込めて花をたむけました 守田撮影


いつもオマールさんのことを胸に抱いて・・・(当日配布資料から)

連載終わり

被爆問題をさらに深く理解するためにぜひ以下の企画にご参加下さい
明日に向けて(2076)zoom公開講座「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」にご参加を!(9月12日(日)15時~18時)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e41521a366d8b22ce6a8e0951fe653ad

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