ツアー2日目。中村のホテルを出発後、宿毛にある第39番札所・延光寺を参詣する。
延光寺は赤亀山の山号を持つ。ここは「亀」の寺である。
第20番の鶴林寺で「鶴」のご朱印を白衣に押して貰った人は、ここで「亀」のご朱印を押して貰う。鶴亀のご朱印が揃い、縁起がいい。





宿毛といっても郊外である。他の札所と距離があるので記憶が強い。
お寺の周辺の風景が印象に残る。延光寺は宿毛の郊外で市内には行かない。宿毛市の様子を知りたく、このあと、個人で旅行した。

金剛福寺を参詣後、足摺岬を観光する。遊歩道を一周した。
足摺岬というと、戦後に製作された映画「足摺岬」を思い出す。徹頭徹尾暗い映画で気が滅入る。この映画の中に遍路が登場するが、死のイメージだった。










1日目の行程はここで終わり。普通なら、足摺岬温泉に宿泊するのだが、我々は中村まで戻り、中心街のホテルに宿泊した。
第37番の岩本寺を出発後、足摺岬にある第38番・金剛福寺へ向う。95キロの距離である。
途中、土佐清水の黒潮市場に立ち寄る。
私事だが、土佐清水は母方の祖母の出身地である。



足摺岬の金剛福寺へ到着。


足摺岬の観光寺である。境内は整備されている。



雨だったが、このあと足摺岬を観光した。
四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー第2回目は、第37番~第70番を巡る。
高知県窪川町にある第37番札所・岩本寺からスタートだが、なぜか、高松空港を利用した。10時に高松空港に着陸し、ここからバスで岩本寺まで行く。
この間の道の風景は単調で、谷間を走る。同じ景色で飽きが来る。
岩本寺は、高知市と足摺岬の間にポツンとあるような札所である。高知県は札所が少ない。
正午に到着し、岩本寺の休憩所で昼食。その後にお詣りを開始。





お昼を食べた休憩所は左の建物。宿坊である。ここは孤立した札所で、第36番・青龍寺からは60キロ、次の39番・金剛福寺へは95キロの距離がある。歩き遍路だとここに泊まらざるをえない。

四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー第1回目の最後の寺は、第35番札所の清瀧寺だった。
ここでゲリラ豪雨に襲われた。最後に大雨に見舞われたのが想い出である。


これではどんな寺だか分からない。第2回目の時は桜が咲いていた。



帰路は清瀧寺から高松空港に向った。高知空港の方が近いが、なぜか高松空港だった。
高松空港に到着したのが17時前。フライト時間まで間があったので、空港前のさぬき空港公園を散策する。桜が満開だった。



第34番の種間寺から第36番札所の青龍寺へ移動。この時は第35番の清瀧寺が最後のお詣りだった。
青龍寺という寺名は、弘法大師が修行した中国の寺院名で由緒のあるものだ。
高知の明徳高校が近くにある。元横綱の朝青龍は、明徳高校在学時に毎朝ここでトレーニングをした。そこで四股名を朝青龍とした。先達さんの説明で記憶に残っている。
長い階段だ。毎朝何往復したか知らないが、足腰は鍛えられるね。

雨がひどくなった。



こんなような状態で、お詣りする。


第33番の雪蹊寺から第34番札所の種間寺へ移動。車だと、15分ほど。
種間寺は田園地帯にある。土塀の向こうは、畑だったことを覚えている。2回目の八十八ヵ所霊場に参加した時は、第1回目はここが最後の札所だった。札所の廻り方は先達さんと添乗員が決めるので違うことがある。



雨が降ると、こんな具合になる。このあと、ゲリラ豪雨に見舞われてズブ濡れになるのだが。

第32番の禅師峰寺から浦戸湾にかかる浦戸大橋を渡り、桂浜の背後を通り、長浜に出る。美しい海岸線だった。
第33番の雪蹊寺は、長宗我元親を祭神とする秦神社に隣接する。
1回目の時は、ここで雨が降り出した。
写真は2回目のもの。



竹林寺から南東へ移動し、第32番札所の禅師峰寺を参詣する。
竹林寺は内海の浦戸湾にあったが、禅師峰寺は外海の土佐湾に面している。航海安全を司る寺である。
境内は岩が特徴的である。



階段は富士塚と同じ。荒々しい。


四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー第5日目。第1回目の最後の日である。最終日は、やはり、気持ちに張りが出る。
高知市のホテルから出発し、第31番の竹林寺へ向う。高知市の南側、浦戸湾に面する五台山にある。五台山は全体が公園になっている。公園の中にあるためか、全体が庭園風の札所である。もっとも先を急いでいるので観光どころではない。


五重塔がある。あとで先達さんから、これは少し傾いていると説明されたが、目視では分からなかった。




第29番の土佐国分寺から第30番札所・善楽寺へ移動する。
第30番の善楽寺は、神仏分離の悲劇が長く続いた寺である。善楽寺と道を隔てたところに土佐一之宮・土佐神社が鎮座する。ということは、善楽寺は土佐神社の別当寺であったことを示す。
明治の廃仏毀釈で、善楽寺は廃寺となり、本尊と弘法大師像は国分寺に預けられた。その後、安楽寺という寺院が本尊を預かり、30番札所となった。明治9年(1876年)のことである。
その後、昭和4年(1929年)に善楽寺が再建され、30番札所が二つあるという事態になった。
裁判で決着がついたのが平成6年(1994年)である。
善楽寺の朱印をみると、左側に”土佐一ノ宮”と筆書されている。お寺なのになぜ一ノ宮かと疑問が起きるが、かっては土佐神社の別当寺だったのだ。
個人的なことだが、個人で一ノ宮巡りをしていたとき、土佐神社にお参り来たことがある。その時は隣に善楽寺があることは全然気がつかなかった。





善楽寺でこの日の行程を終え、高知市のホテルに宿泊した。
第28番札所から第29番札所・(土佐)国分寺へ移動する。1時間半ぐらいかかる。
国分寺というからには、所在地はかっての土佐の中心地である。
写真は第2回目に参加したときのもの。1回目のものは桜の写真ばかりで、どんな寺だったか分からないから。


金堂。国の重要文化財に指定されている。1588年に長宗我部元親によって建てられたもの。

大師堂。

境内。2回目のときは桜はまだだった。

四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー、第28番札所・(土佐)大日寺を参詣する。
ここは弘法大師が爪で彫ったという”爪切り薬師”が有名だが、写真は撮っていない。関心がなかった。時代が変れば、昔と同じ信心は持てない。
どういうわけか、山門だけはよく覚えている。



