昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

にあんちゃん ~二十年前のことだ~(六)

2016-01-19 09:07:31 | 小説
 名前にしてから、道子には納得が出来ない。 初めに長男と付けたから、第二子は次男でいい、いや、でなければおかしいだろうと、まるで他人事のように言う孝男だった。 ほのかの折には、まさか三(み)女(な)子(こ)と…不安になった道子だったが危惧に終わった。 道子が怖れた名前ではなく、ほのかと名付けてくれた。 . . . 本文を読む

関西旅行 一日目(am 15:15~)前編

2016-01-19 08:59:59 | お出かけ
Pお堀 看板 城図1と2 大手門 いきなりのお出迎えです。はい、パチリと。 P 僧兵 さあ、入場です。 先ずは、大手門の内側をしっかりと探検です。 P大手門内側 階段がありますけど、敵が襲ってきたときの見張り台の役目もあるのでしょうかね。 おおっと、お二人の武士が。にこやかに談笑中ですが、お正月のイベントではどんな風なんでしょう。 と思っていたら、今度はほら貝を手にした武士が。 音は出ませんが、雰囲気があります。 しまった! ほら貝に見とれていたら、二人の女武士が通り過ぎちゃいました。 くそお、失敗した。 呼び止めて撮らせてもらおうか…。 でも誰も写真を撮る風でもないし、声も掛けないし。 それにしても、大手門前広場は広い。 それに、たくさんの桜の木が植えてありますよ。 春の桜満開時には、さぞ見事なものでしょう。 P姥が石 姥が石(うばがいし) 羽柴秀吉が姫山に3層の天守を築いていたとき、城の石垣として使う石集めに苦労していた。 城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆がこれを知ると、石臼を秀吉に差し出した。 秀吉は老婆の志に大変喜んだ。 この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したという。 実際に乾小天守北側の石垣には石臼が見られるが、この石垣は秀吉時代に構築されたものではない。他にも古代の石棺を石垣として使用している。                             ―― ウィキペディアより . . . 本文を読む

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