じっと黙したまま、正三のことばを聞きつづけた小夜子。
蝶ネクタイ姿の正三をまのあたりにして、三年という歳月がみじかいものではないことを知らされた。
口べたで、おのれの思うところの半分、いや十分の一も語れなかったはずの正三。
ときとして口ごももってしまい、うつむいてしまう正三だった。
しかしそれでも、意図することは伝わってきた。
“違う、けっして違う。この男性は、正三さんではない”
いまそれぞれに、たがいの知る相手ではないと感じた。
小夜子、正三ともに、たがいが思うふたりとはまったく異質なふたり人になったと気づいた。
「すてきな殿方だこと、ほれぼれしてしまうわ」
「ご令嬢もうつくしいわ、うっとりしそうよ」
「ほんとにお似合いのおふたりだこと」
「ほんとに。美男美女とは、このおふたりのことね」
そこかしこからもれる、ため息と賛辞。ふたりの耳にもとどいている。
しかしもう、ただ漂うだけのものだった。
ふたりの耳にはいることなく、そのまま通りすぎていく。
「なんだか、あたくしの知っている正三さんじゃないみたい。
あたくしの知っている正三さんは、そんなに弁舌がたつお方ではありませんでしたわ。
お変わりになったのね」
“心変わりでもされたの? だからはがきの一枚もくださらなかったのかしら。
あたくしの好きだった正三さんではないみたい”と、暗に責めたてる。
「そうですの。あたくしとの約束など、まるで。
ええ、ええ。殿方はお仕事だいいちですものね。
あたくしがどれほどこころぼそい思いをしたかなどは、つゆほどにもお考えくださらなかったのよね」
小夜子の射るような視線が、正三にはきつい。
以前にもまして鋭さを帯びている。
きょうの小夜子は、映画のスクリーンから飛び出てきたような、女優かとみまごうほどに変身している。
田舎での小夜子も、きわだって美しいと感じた正三だ。
しかしいま、眼前にいる小夜子からは、神々しささえ感じている。
“みたらいとか言う男にみがかれての、小夜子さんなんですね”
「そ、それは……。日本国のみらいをも左右しかねない、だいじな機密事項でして。
外部との連絡はいっさい認められず、身内以外との接触は、厳につつむようにと禁じられました。
それに接触といいましても、月にいちどの手紙がゆるされるていどでして。
しかも上司の検閲をうけるといったぐあいです。
外出などいちどたりともゆるされません」
「そうですの、あたくしは身内ではありませんのね。
たしかに、はっきりと将来のお約束をしたわけではありませんものね。
あたくしは、そんなものでしたのね。あたくしの思い違いでしたの、やはり」
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