昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~(四百二十)

2024-04-23 08:00:51 | 物語り

 ゴシップ誌を手にした小夜子が、武蔵の枕元で「タケゾーの悪行が載ってるわよ」と、半ば冗談なかば真剣な顔つきで耳元にささやいた。
眠りに入っている武蔵にその声が届くわけがないと思いつつ、「はやく起きてよ。アメリカに連れていってくれるんでしょ」とつづけた。
「わかった、わかった」
 突然に武蔵が小さく声をあげた。うっすらと開けられた目には、まだ光が弱い。
冬の曇り空からかすかに顔をのぞかせる太陽の光のように、まるで暖かみのないどんよりとした目だった。

「起きたの? あたしが分かるのね?」
 ふとんから出された血管の筋がくっくりと浮きでた手をしっかりとにぎりながら、武蔵の目をのぞきこんだ。
「小夜子だろ? おれの観音さまだ。富士商会のお姫さまだろ?」
 目の光に少しずつ力がはいり、ことばも明瞭になった。
枕元のブザーを力をこめてなんども押しながら、「はやくきて、はやくきて! めがさめたのよ!」と、怒鳴るように声をあげた。

 ここ数日のあいだ意識混濁があり、見舞客の認識ができなくなっていた。
小夜子ですら分からずにいた。そしてきのうから意識が途切れ、面会謝絶状態になってしまった。
「そんなにあわてるな。小夜子とふたりだけの時間がなくなっちまう」
「なによ、それ」と、ほほを赤らめながら言うが、「ふたりだけの時間がなくなっちまう」と言った武蔵の真意には気づかない小夜子だった。
いつもの冗談だと聞き流してしまい、「あした、武士をつれてくるから」と、目からあふれ出る涙もふかずに、武蔵の手をしっかりとにぎっていた。

 担当医と数人の看護婦が息せき切って病室に入ってきた。
「いやあ、良かった、よかった。意識がもどられましたね、とりあえず安心だ。
脈も……、すこし弱いが、起き抜けだからでしょう」
 言葉をにごしながらも、とりあえず意識が戻ったことに安堵した。
なにせ多額の金員を受けとっている。「なんとかたのみます」と、土下座せんばかりの五平から受けとっている。
長くはないかもと五平にはつたえてあるといえども、このまま還らぬ人になられては困る。

 引っ切りなしの見舞客で病室があふれかえり、小夜子とのふたりだけの時間がとれないでいた。
覚悟する時間を作らねばと考える医師だったが、小夜子の来院も三日に一度ほどと、医師に全幅の信頼をよせている。
少しおくれて婦長も、ふたりの看護婦をつれてはいってきた。
「小夜子さん、良かったわねえ」。満面の笑みをたたえて、婦長が小夜子を抱いた。
ゆいいつ担当医以外で武蔵の病状を知る婦長だった。



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