昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

スピンオフ作品 ~ 名水館女将、光子! ~  (二十四)(去れば、去るとき、:五)

2024-09-27 08:00:43 | 物語り

 そして大女将との約束の一年がちかづいてまいりました。
瑞祥苑からおひまをいただくために、どう切りだして良いものやらと考えあぐねていたときでございます。
「光子さん、ちょっといらっしゃい」と、女将からよばれました。
お客さまをお迎えするまえの時間帯でございます。仲居一同、いそがしく準備をしております。
そんなときの声かけに、なにか粗相をしたのかと気になりました。
ふだんの穏やかな表情ではなく、口をへの字にむすばれて口角もさがりぎみの不機嫌さのただようお顔も気になるところです。

 女将の部屋にはいるなり、「申し訳ございません。なにか粗相をしておりましたらお詫びいたします」と、畳に頭をこすりつけました。
ところが、きゅうに女将が笑いだされまして。こんなことは、はじめてのことでございます。
女将のわらいごえなど、ついぞ聞いたことがありません。

「頭をお上げなさい。そうじゃないの」。
いつものおだややかなお顔にもどられ、いつもの小声でおっしゃいます。
「明水館の女将から、お手紙をいただきました。あなた、若女将だったのね。
でしょうね、そうだとわかれば納得のいくことです。
K先生から『一年だけ頼むよ。仕込んでくれ』とたのまれましたが、そうだったのね」。
カラカラと気持ちのよいお声でわらいつづけられます。

 わたくしとしては、なんとお答えすればよいのか分からず、またどこまでK先生がお話になっているのか――三水館でのこともお話しされたのか、気になるところでございます。
ですが杞憂におわりました。
K先生は、くわしいことはいっさて仰らずに、ただ「よろしく頼むよ」ということだけのようでした。
ひょっとしましたら、事のすべてを飲みこみつつも素しらぬ顔をしてみえたのかもしれませんが。

なんにしましても、女将のゆるしをいただききました。
「いつでもいいのよ」とおっしゃっていただきましだが、夜行列車でもどることといたしました。
みなさんが忙しくはたらいている時間帯ではもうしわけのないことでことでございますし。
申し訳ございません、ごまかしはやめにいたしましょう。
本音をもうしますと、そっと誰にも知られずにでたいのでございます。



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