(五)
緊張の面持ちで部屋に入る、源之助。
にこやかな表情の、先代の女将。
「どうぞごゆるりと、お過ごしくださいませ。」と、型どおりの挨拶を受けた。
突然に、座布団を外して、源之助が畳に頭をこすりつけた。
腹の底から搾り出すような声で
「実は、女将さん。大変に申し……」
と、平身低頭する源之助。
慌てて女将が、源之助の手を取り体を起こさせた。
「佐伯さま、みなまでおっしゃいますな。
分かっております、承知しております。
みねには、引導をわたしております。」
凛として、女将は源之助に告げた。
「えっ?ど、どうして、それを……。
まさか、父の方から……」
「おっしゃいますな。
男と女のこと、出会いがあれば、別れもございます。」
「みねさんにお会いして、直に謝りたいのですが……」
「それは、お止めになった方が宜しいかと。」
「しかしそれでは……」
暫く押し問答が続いたものの、結局は女将が頑として拒否した。
娘であるみねの誇りを保たせる為の、心配りだった。
しかし突然に隣の部屋から嗚咽が漏れ出した。
「う、う、うぅぅ……」
「みね!」
うめくように叫びながら、障子を勢い良く開けた。
「源之助、さま……」
「みね……お前が愛しい、愛しいぞ!
やはりだめだ、お前と別れるなど、到底できぬ。」
「源之助さま、源之助さま。
そのお言葉だけで、結構でございます。
みねは、十分でございます。」
しっかりと抱き合った二人に、女将の目から大粒の涙が溢れ出た。
そして意を決しって、二人に告げた。
「そこまで二人が思いあっているならば、みね。
源之助さまの妾におなり。」
(六)
予想だにしない女将の言葉に、源之助は耳を疑った。
「なにをバカな! そんなこと、できるわけがない。
みねを妾などと、正気の沙汰じゃない!」
激しく詰る源之助に、みねの口から
「源之助さま。みねは、お妾にならせていただきます。
どうぞ、源之助さまはお父さまのご意志に、お従いくださいませ。」
と、信じられぬ言葉が出た。
「し、しかし……」
「みねの、決断でございます。
源之助さまの真心に対する、みねの真実でございます。
どうぞ、お汲み取りくださいませ。」
畳に頭をこすりつける女将、みねも又ひれ伏した。
「すまない、すまない、みね。
きっとお前を、幸せにする。
お前は、僕のこころの妻だ。
世間的には、戸籍上は、まだ知らぬ女性が妻となるけれども、本当の妻はお前だ。」
その丁度一年後、奥方との華燭の典を上げた。
それまで足繁く通っていた源之助だったが、婚姻後はパタリと足が止まった。
“奥方さまの目もあるし、いかな源之助さまでも。”
しかしひと月ふた月経ち、半年が過ぎても源之助は顔を見せない。
“お忙しいのよ、きっと。”と、己に言い聞かせるみね。
笑顔を忘れてしまったみねだ。
「源之助さまのことは、諦めなさい。
情の薄い方でしたね、みね。
まだお前も、若い。
良縁があったら、嫁ぎなさい。
橘屋は、誰ぞ他の者に継がせることにするから。」
女将がみねを気遣うが、みねはきっぱりと拒んだ。
「わたしは、大丈夫です。
一生涯を通して、源之助さまをお待ちします。
心配は無用です、お母、いえ、女将。」
女将がその翌年に、この世を去った。
そしてその通夜に、源之助が顔を出した。
それを機会に源之助は、ちょくちょく顔を見せた。
みねは恨み言ひとつ口にせず、以前のようにお妾然と振舞った。
「みね、すまなかった。
長く、待たせてしまったな。」
女将の置き土産を、ありがたく受け取ったみね。
そして二十三歳の、若女将が誕生した。
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