昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百四十一)

2024-09-17 08:00:39 | 物語り

 日本橋の富士商会の玄関口に、黒ぬりで金ぴかの屋屋根をのせた霊柩車が横づけされた。
「会社からの出棺となります。騒がしくさせますが、しばらくのあいだお許しください」
2日前に、香典返しに用意した静岡の銘茶セットを配りながら、このあたり一角のあいさつはすませてあった。

 とはいえ、会社内には紅白のまくがはられている。
通りを歩く者が、何があるんだとばかりにのぞきこんでいく。
リンゴの唄やら、東京ブギウギやらのレコードがながれている。
これから酒盛りでもはじまるといったふうにもみえる。
そこに黒ぬりの霊柩車がよこづけされて、棺までが会社内に運びこまれた。

レコード音楽がとまったところで、こんどは読経がはじまった。
どうにも紅白の幕がはられた室内での読経という光景が、通りいっぱいの人だかりのなかでみられた。
そして棺がさいど霊柩車に運びこまれる段になって、こんどは通りの端から「チンチンドンドン、パーパーパッパラパー、ぴーひょろぴーひょろ」と、チンドン屋が進んできた。

 狂乱さわぎの葬儀のあと富士商会社員総出の、町内会への謝罪行脚がはじまった。
苦情やら怒り、はてはさげすみの声を覚悟のことだった。
「お騒がせしまして、まことにもうしわけありませんでした」
「社長が、陳さんのご葬儀がいたく気にいられまして、それで……」
 頭を下げ回る社員たちにたいして、
「まあまあ。みたらい社長さんらしいじゃないですか」
「豪放らいらくなご性格でいらっしゃったんだ。らしいじゃないですか」

 一角に店を構える店舗、会社、合わせて30数軒にのぼったが、ほとんどが好意的な対応をしてくれた。
先の、陳志明による台湾形式の葬儀で度肝を抜かれていた者にとっては、むしろおとなしめのものだった。
陳志明の葬儀においては、フルバンドによるレコードが、葬儀のはじめから終わりまで流された。

そしてみなの度肝を抜いたのが、泣き女と称される女性の存在だった。
遺族のだれも涙をながさぬなか、舗道上ででひとり、大声でなきさけぶ女性がいた。
「妾かい?」は序の口で、「お手伝いに手をつけていたらしい」、はては「外につくった娘さんかい?」とかまびすしいことになった。

 台湾事情にくわしい人物の解説で、「遺族はなみだを流してはいけない。代わりに泣き女という職業がある」と聞かされ、ようやくその場が収まった。
その場にいた武蔵は、
〝小夜子には泣いてほしくない。俺のこれまでを褒めたたえてほしいぐらいだ。
けども、女将連中やら女給たちには泣いてほしいもんだ〟
と、感想を持った。



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