それでは三郎さんとの逃避行生活をお話しいたしましょうか。
汽車内でのことは、ほとんどが眠りについておりましたのでさほどに申し上げることはございません。
ああそうでございますね、三郎さんがどこの駅でしたでしょうか、お弁当を買い求めてくださいました。
冷めた幕の内弁当でございますが、旅館での賄いのようにはいきませんですが、結構美味しく食べられましたわ。
色々と面白いお話を交えながらの食事でございまして、久しぶりに心の底から楽しめたお食事でございました。
その後眠くなったと、わたくしの膝を枕にしようと奮闘される三郎さんでしたが、汽車の席は座るものでございます。
諦められました。ですが、清二の折とは違い、わたくしの気持ちの中には甘えさせてあげたいとという思いが溢れておりました。
汽車の中でのこと、他にでございますか。取り立ててございません。
三郎さんの寝息がわたくしに安らぎを与えてくれていた――申し訳ありません。
そんなロマンチックな思いばかりではございません。
その折の気持ちはですねえ、やはりのことに期待と不安か入り交じってのことでございます。
と申しますのも、どこぞの学会出席のためという言葉が、実は嘘だということが分かりまして。
病院での治療を済ませた折に「学会はどうなさいます、なんでしたらわたくしが連絡を」と申し上げたのですが、
即座に「良いんです、ただ講聴するだけのことですから」と、連絡をすることなく戻られました。
それに、失礼ながら鞄の中を見させて頂いたのですが、汽車の時刻表とわたくしども明水館の手ぬぐいが入っているだけでございまして。
旅行にお出かけになるご様子ではなかったのでございましたもので。
とりあえず大阪の難波に降り立ちまして、複数の旅館を利用いたしました。
あちこち見物をいたしましたが、やっぱり一番は演芸でしたねえ。
笑いの都といわれるだけあって、とにかく笑いに満ち満ちた町でございました。
そんな毎日です、楽しくないはずがありません。
それに、お恥ずかしいことですが、初めて女の悦びというものを得たのでございます。
それはもう毎晩を天国として過ごしておりました。
ですが、働かぬ毎日でございます。すべてわたくしの持ち金だけでございます。
ひと月と持ちませんでした。
三郎にとってもそれは誤算であったらしく、すぐに本性を現しました。
金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、先ほどお話ししました、三水閣の仲居として働かされる羽目となったのでございます。
働かされる、そう申しましたのは、わたくしの意に反するというだけでなく、有り体に申し上げれば売られたのでございます。
三水閣、料理旅館、その実態は売春宿でございました。
三本の水の通り、三途の川、そのほかに世俗の水垢を落とす宿という意味もあったそうでございます。
三という数字が使われたのは、そういったこともありましたそうで。
三途の川とは? ということでございますか。
女たちの、恨み節でございましょう。もう戻れぬ、そんな意味が込められていると聞かされましたが。
いえいえ、三水閣の女将さんではありません。わたくしの、と言いますか、皆さんの教育係である仲居頭の里江さんからでございます。
もう三十路を越えられたとお聞きしましたが、とても素晴らしいお方でございます。
もうこの三水閣で、十年近くになられるそうです。
本来ならば三十路を過ぎた仲居はここを去るということなのですが、里江さんだけは特別に認められているそうです。
なんでも、とても大切なお客さまからお言葉を頂かれたということです。
ここを出てどこに、と思われますよね。
先ほど、「もう戻れぬ三途の川」と申しましたもの。
ですが、どうぞお察しくださいませ。これ以上のことは、口が裂けても言えぬことでございますので。
ではそこでのわたくし、「人のこころを失ってしまったわたくしでございます。まさに、武蔵さまが仰った地獄を見ました」と申し上げたわたくしのことでございます。
好いた殿方に裏切られた、それだけでも女にとっては十分に地獄ではございます。
ですが、まだ入り口に立っただけのことでございました。
先ほど申し上げましたが、料理旅館という体をとってはおりますが、その実態は売春宿に他なりません。
まあ、高級という冠がつくやもしれませんが。
さかのぼりますれば、江戸の世において旅籠には飯盛り女という者がおりましたこと、殆どの方はお聞き及びと存じます。
その通りでございます。ただ、一応、仲居の方にも選択権があるとか。
どうしても気に入らぬ客ならば断っても良いとのこと。
但しその場合には、そのお客さまの一晩のお遊び代を負担せねばならぬ決まりだぞうで。
それがまたとんでもなくお高くて、何人も断り続けると一生を費やしても返せぬような額になりますとか。
ですので、皆が皆、泣く泣くといったことでございます。
わたくしですか? 当初こそどなたとでも、と受け入れておりました。
正直のところ、三郎さんに見捨てられた折には、もうわたくしは死んでおりましたし。
殿方がお使いになるおことば「やけのやんぱち」そのものでございましたから。
ですが三ヶ月経ちましたでしょうか、堕ちたわたくしに光が差し込んで参りましたのは。
「ちっとも不幸な女に感じられない」。
そうでございますね、正直あの時期のわたくしはわたくしではない、そう思っております。
まったくの別人だと、己に言い聞かせております。ご了解くださいましな。
勘弁ならぬと仰るのでしたら、わたくしは一旦下がらせていただきます。
どうぞお好きなように、ご納得がいかれるように、お話しくださいまし。
汽車内でのことは、ほとんどが眠りについておりましたのでさほどに申し上げることはございません。
ああそうでございますね、三郎さんがどこの駅でしたでしょうか、お弁当を買い求めてくださいました。
冷めた幕の内弁当でございますが、旅館での賄いのようにはいきませんですが、結構美味しく食べられましたわ。
色々と面白いお話を交えながらの食事でございまして、久しぶりに心の底から楽しめたお食事でございました。
その後眠くなったと、わたくしの膝を枕にしようと奮闘される三郎さんでしたが、汽車の席は座るものでございます。
諦められました。ですが、清二の折とは違い、わたくしの気持ちの中には甘えさせてあげたいとという思いが溢れておりました。
汽車の中でのこと、他にでございますか。取り立ててございません。
三郎さんの寝息がわたくしに安らぎを与えてくれていた――申し訳ありません。
そんなロマンチックな思いばかりではございません。
その折の気持ちはですねえ、やはりのことに期待と不安か入り交じってのことでございます。
と申しますのも、どこぞの学会出席のためという言葉が、実は嘘だということが分かりまして。
病院での治療を済ませた折に「学会はどうなさいます、なんでしたらわたくしが連絡を」と申し上げたのですが、
即座に「良いんです、ただ講聴するだけのことですから」と、連絡をすることなく戻られました。
それに、失礼ながら鞄の中を見させて頂いたのですが、汽車の時刻表とわたくしども明水館の手ぬぐいが入っているだけでございまして。
旅行にお出かけになるご様子ではなかったのでございましたもので。
とりあえず大阪の難波に降り立ちまして、複数の旅館を利用いたしました。
あちこち見物をいたしましたが、やっぱり一番は演芸でしたねえ。
笑いの都といわれるだけあって、とにかく笑いに満ち満ちた町でございました。
そんな毎日です、楽しくないはずがありません。
それに、お恥ずかしいことですが、初めて女の悦びというものを得たのでございます。
それはもう毎晩を天国として過ごしておりました。
ですが、働かぬ毎日でございます。すべてわたくしの持ち金だけでございます。
ひと月と持ちませんでした。
三郎にとってもそれは誤算であったらしく、すぐに本性を現しました。
金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、先ほどお話ししました、三水閣の仲居として働かされる羽目となったのでございます。
働かされる、そう申しましたのは、わたくしの意に反するというだけでなく、有り体に申し上げれば売られたのでございます。
三水閣、料理旅館、その実態は売春宿でございました。
三本の水の通り、三途の川、そのほかに世俗の水垢を落とす宿という意味もあったそうでございます。
三という数字が使われたのは、そういったこともありましたそうで。
三途の川とは? ということでございますか。
女たちの、恨み節でございましょう。もう戻れぬ、そんな意味が込められていると聞かされましたが。
いえいえ、三水閣の女将さんではありません。わたくしの、と言いますか、皆さんの教育係である仲居頭の里江さんからでございます。
もう三十路を越えられたとお聞きしましたが、とても素晴らしいお方でございます。
もうこの三水閣で、十年近くになられるそうです。
本来ならば三十路を過ぎた仲居はここを去るということなのですが、里江さんだけは特別に認められているそうです。
なんでも、とても大切なお客さまからお言葉を頂かれたということです。
ここを出てどこに、と思われますよね。
先ほど、「もう戻れぬ三途の川」と申しましたもの。
ですが、どうぞお察しくださいませ。これ以上のことは、口が裂けても言えぬことでございますので。
ではそこでのわたくし、「人のこころを失ってしまったわたくしでございます。まさに、武蔵さまが仰った地獄を見ました」と申し上げたわたくしのことでございます。
好いた殿方に裏切られた、それだけでも女にとっては十分に地獄ではございます。
ですが、まだ入り口に立っただけのことでございました。
先ほど申し上げましたが、料理旅館という体をとってはおりますが、その実態は売春宿に他なりません。
まあ、高級という冠がつくやもしれませんが。
さかのぼりますれば、江戸の世において旅籠には飯盛り女という者がおりましたこと、殆どの方はお聞き及びと存じます。
その通りでございます。ただ、一応、仲居の方にも選択権があるとか。
どうしても気に入らぬ客ならば断っても良いとのこと。
但しその場合には、そのお客さまの一晩のお遊び代を負担せねばならぬ決まりだぞうで。
それがまたとんでもなくお高くて、何人も断り続けると一生を費やしても返せぬような額になりますとか。
ですので、皆が皆、泣く泣くといったことでございます。
わたくしですか? 当初こそどなたとでも、と受け入れておりました。
正直のところ、三郎さんに見捨てられた折には、もうわたくしは死んでおりましたし。
殿方がお使いになるおことば「やけのやんぱち」そのものでございましたから。
ですが三ヶ月経ちましたでしょうか、堕ちたわたくしに光が差し込んで参りましたのは。
「ちっとも不幸な女に感じられない」。
そうでございますね、正直あの時期のわたくしはわたくしではない、そう思っております。
まったくの別人だと、己に言い聞かせております。ご了解くださいましな。
勘弁ならぬと仰るのでしたら、わたくしは一旦下がらせていただきます。
どうぞお好きなように、ご納得がいかれるように、お話しくださいまし。
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