都電を利用しての移動でした。
朝、なん時でしたかしら。早くに出たことは覚えております。
百貨店でのお買い物だと、正夫には告げておりましたが、実は……。
はい、府中の刑務所です。
きょう、三郎さまが出所をされます。
一子さんから内々に連絡を受けまして。
といいますのも、ご実家からは勘当をされておられます。
まあ、無理もありませんわねえ、老舗の呉服屋から逮捕者が出たのですもの。
しかも跡継ぎでいらっしゃいましたし。
帰るあてのないお方です。行くあてもありませんでしょうし。
とても恐縮されていらっしゃいましたが、とりあえず迎えだけでも頼めないかということです。
今さらお会いしてもどうしようもないことなのですが、かつては恋い焦がれたお方でもございますし、少しではありますが金員を用意して出かけました。
二、三日の宿賃になればと思いまして。
いえいえ、三郎さまおひとり分ですよ。
そのまま駆け落ちなどとは、つゆにも考えておりません。
妙子はまだ三歳でございますし。
正夫に押しつけるのもどうかと思います。
わたくしとて、そこまで非情にはなれませんですわ。
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「そりゃそうだ! いかなお前さんでも、そんなアホくさいことは考えまいて。
それとも、てて親が分からぬ子では、情も湧かぬか?」
とんでもないお話が、善三さんの口から飛びだしました。
足立三郎とかいう帝大生のむすめだとばかりに思っている一同です。
あちこちで動揺が走ります。
が、当の小夜子さんはといえば、顔色ひとつ変えずに「またバカなことを」と、せせら笑うがごとくです。
「お前さんの名誉のためだと思いだまっていたが、化けの皮をはいでやろうか。
まあお前さんだけを責めるわけにもいかぬがな。
みなの同情を買えるだろう。三郎から聞いたことさ」と前置きをされると、あらためてお話しをつづけられます。
「付け文にほいほいと出かけたお前さんを待っていたのは、三郎ではなく見知らぬ男たちだったろう。
『ほどなく戻るから少し待ってなさい』とでも言われたのだろうが、その日は、三郎は他県に出かけていたのさ。
むろん幹部たちの用事でな。
はじめて出逢った神社裏の小屋だ。
ひと気はまるでないし、よほどの大声を出したところで、通りまでは聞こえまい」
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