昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~(四百十五)

2024-03-19 08:00:49 | 物語り

 終業を告げるベルがなると同時に、五平が会社をとびだした。いたたまれなくなったのだ。
〝こんどこそほんとうに、俺の居場所がなくなるぞ。
忘れてたよ、GHQも、いつまでも日本にいるわけはねえんだ〟
 どんよりとした曇り空が、五平のこころをさらに落ちこませる。
となりのビルから出てきた会社員が、五平に、「どうも」と頭を下げる。
そのとなりの洋品店の娘が「もうお帰りですか?」と、にこやかな笑顔を見せてくれる。
せわしなく行き交う通行人は、無表情にとおり過ぎる。

 もう少し行けば百貨店だ。そしてそのとなりがくだもの屋で、もうすこし先に行くと花屋もある。
こんやは無性に人恋しい。しかしキャバレーでのどんちゃん騒ぎはしたくない。
しっぽりとした酒が飲みたい。
気のゆるせる相手を前にして、静かにただしずかにお猪口でゆっくりと、さしつさされつを楽しみたい。
もう街頭のランプに灯が入っている。
公衆電話に飛びこんだ五平が、これから寄るよと、わかに電話をかけた。
「こんやは、店をあけないでくれないか」と、弱々しく告げた。

 のれんの出ていない店なのに、なかが明るい。
「準備中かい?」と、常連客がはいってくる。
申し訳なさそうに、「ごめんなさいね、今夜はおやすみなんですよ」と、わかがこたえる。
「ちょっとね、ぐあいが悪くて」と、わざとかったるげに椅子から立ち上がる。
二階で待とうかとも思うわかだが、電話での弱々しかった声が気になる。
もうそろそろ来るころだろうしと、また椅子に腰をおろした。

「すまない。今夜は貸し切りにしてくれ」
 五平が、張りのない声ながらも、はっきりとした口調で入ってきた。
「あいよ。たんまりと払ってもらうよ」
 わかが快活にこたえた。
一階だとお客が入ってくるかもしれないからと、二階に上がりこんだ。
お猪口でゆっくりと、そう思っていた五平だが、「俺には似合わねえ」と、一升瓶でのコップ酒になった。

 ふたりが関係をもってから、ふた月がすぎた。
「めいわくならそう言ってくれ」
 口ぐせのように、五平が言う。
「イヤになったら来なくて良いよ」
 そのたびに、わかが言う。
そして先日に、「所帯でも持つか」と、ボソリと五平が言い、
「それもいいね」と、わかが言った。

 好物のするめをほおばりながら、ひと言も声を発しない五平に、
「どうしたの? 会社でいやなことでもあった?」と問いかけるが、それでも五平は口を開かない。
「いっそ会社をやめたらどう?」
 このところの疲れ顔が気になるわかが、思い切って口にした。
「そうだな」
 思いもかけぬことばが、五平の口からでた。
しかしすぐに、
「ま、もうすこしがんばってみるさ」と、わかを引き寄せた。

 



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