久しぶりに車中から見る田畑、そして車中に流れ込む雑多な匂い。
懐かしさを感じる前に、嫌悪感を覚える小夜子だった。
「どうした?」
駅を降りてタクシーに乗り込んでから寡黙になってしまった。心なしか、顔も青ざめている。
「酔ったのか?道が悪いからなぁ。運転手さん、停めてくれ。外で空気を吸わせよう」
「いや!このまま行って!」。小夜子の金切り声が車中に響いた。
「分かった、分かった。それじゃこのまま行こう。
運転手さん、少し速度を落としてくれ。ゆっくり走ってくれ」
これほどに取り乱す小夜子を武蔵は知らない。金切り声などはじめて聞く。
今にも泣き出しそうな空の下、役場の前をタクシーがゆっくりと過ぎた。
「あっ! だんなさん、だんなさん」。
大きく目を見開いた若い男が、茂作の兄である繁蔵の着物の袖を引っ張った。
「なんじゃ、びっくりするじゃろうが。どうしたんじゃ、富雄」
「あれ、あれ」と、二人を追い越したタクシーを指さしている。
「タクシーが珍しいのか」。そうなじる繁蔵に「小夜子お嬢さまでした、絶対です」と、叫ぶように告げた。
「助役さん、おるかの?」と、慌てふためいて繁蔵が入ってきた。
「はあ。おられますが、ご用件は?」。
「おればいい。おい、いくぞ!」と、富雄を急き立てるようにして助役室に向かった。
「助役さん!」
「な、何です、いきなり。職員を通してもらわんと、まずいですがの」
うず高く積まれた書類の陰から顔を出して、助役苦言を呈した。
「そんなことはどうでもいい! びっくりじゃ、びっくりじゃ!」
「どうでもいい、ってそうはいきませんて。
ここは役場ですから、公私のけじめはキチンとしてもらわんと」
なおもこだわる助役に、繁蔵の怒りが爆発した。
「ああ、もう! 一大事ぞ、小夜子が帰ってきたんだよ。今し方、この富男が見たんじゃ」
富男が「はい、はい」と大きく何度も頷いた。
「間違いないです、小夜子お嬢さまでした。見間違うことなんて、ありませんて。あれは間違いなく小夜子お嬢さまです」
勝ち誇ったように言う富雄の頭を軽くこずきながら、
「この富男のやつは、小夜子にベタ惚れで。小夜子の頼み、いやあれは命令に近かったですの。
わしに何度叱られても、小夜子の頼まれごとをやっておったから」と、繁蔵がつづけた。
頭をこずかれながらも、にやけた表情がまるで消えない。
小夜子を見ることができたということだけで、一年分の喜びを得られたような気がしている富男だった。
「こりゃ、いよいよですかの。そうなりゃ、村としても知らん振りはできませんな。
わしはもちろんのこと、村長にも出席せにゃならんでしょうな」
「いやいや、そこまでは。佐伯のご本家さんの祝言ならいざ知らず」
「なにを言いなさる。あの寄付金がありますぞ。
この村はじまって以来のことですからの。
どうです? ここだけの話ですが、村長に名乗りを上げられたら。
いまの村長も長いですから、そろそろ……」
「まあ、その話は後日ということで。今日は小夜子ですわ。
茂作の所に挨拶でしょうな。その後、本家のうちにも寄ると思いますでの。
助役さん、あんたが役場を代表しての。分かるじゃろ?」
ひそひそと密談を交わした後に、意気揚揚と引き上げた。
村長のかける声に気付かぬふりをして、そそくさと引き上げた。
“ふん。あんな男なんぞ、呼んでなるものか”
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