昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百十三)

2022-03-30 08:00:49 | 物語り

 久しぶりに車中から見る田畑、そして車中に流れ込む雑多な匂い。
懐かしさを感じる前に、嫌悪感を覚える小夜子だった。
「どうした?」
駅を降りてタクシーに乗り込んでから寡黙になってしまった。心なしか、顔も青ざめている。
「酔ったのか?道が悪いからなぁ。運転手さん、停めてくれ。外で空気を吸わせよう」
「いや!このまま行って!」。小夜子の金切り声が車中に響いた。
「分かった、分かった。それじゃこのまま行こう。
運転手さん、少し速度を落としてくれ。ゆっくり走ってくれ」
これほどに取り乱す小夜子を武蔵は知らない。金切り声などはじめて聞く。
今にも泣き出しそうな空の下、役場の前をタクシーがゆっくりと過ぎた。

「あっ! だんなさん、だんなさん」。
大きく目を見開いた若い男が、茂作の兄である繁蔵の着物の袖を引っ張った。
「なんじゃ、びっくりするじゃろうが。どうしたんじゃ、富雄」
「あれ、あれ」と、二人を追い越したタクシーを指さしている。
「タクシーが珍しいのか」。そうなじる繁蔵に「小夜子お嬢さまでした、絶対です」と、叫ぶように告げた。
 
「助役さん、おるかの?」と、慌てふためいて繁蔵が入ってきた。
「はあ。おられますが、ご用件は?」。
「おればいい。おい、いくぞ!」と、富雄を急き立てるようにして助役室に向かった。
「助役さん!」
「な、何です、いきなり。職員を通してもらわんと、まずいですがの」
 うず高く積まれた書類の陰から顔を出して、助役苦言を呈した。

「そんなことはどうでもいい! びっくりじゃ、びっくりじゃ!」
「どうでもいい、ってそうはいきませんて。
ここは役場ですから、公私のけじめはキチンとしてもらわんと」
 なおもこだわる助役に、繁蔵の怒りが爆発した。
「ああ、もう! 一大事ぞ、小夜子が帰ってきたんだよ。今し方、この富男が見たんじゃ」

 富男が「はい、はい」と大きく何度も頷いた。
「間違いないです、小夜子お嬢さまでした。見間違うことなんて、ありませんて。あれは間違いなく小夜子お嬢さまです」
 勝ち誇ったように言う富雄の頭を軽くこずきながら、
「この富男のやつは、小夜子にベタ惚れで。小夜子の頼み、いやあれは命令に近かったですの。
わしに何度叱られても、小夜子の頼まれごとをやっておったから」と、繁蔵がつづけた。

 頭をこずかれながらも、にやけた表情がまるで消えない。
小夜子を見ることができたということだけで、一年分の喜びを得られたような気がしている富男だった。
「こりゃ、いよいよですかの。そうなりゃ、村としても知らん振りはできませんな。
わしはもちろんのこと、村長にも出席せにゃならんでしょうな」

「いやいや、そこまでは。佐伯のご本家さんの祝言ならいざ知らず」
「なにを言いなさる。あの寄付金がありますぞ。
この村はじまって以来のことですからの。
どうです? ここだけの話ですが、村長に名乗りを上げられたら。
いまの村長も長いですから、そろそろ……」

「まあ、その話は後日ということで。今日は小夜子ですわ。
茂作の所に挨拶でしょうな。その後、本家のうちにも寄ると思いますでの。
助役さん、あんたが役場を代表しての。分かるじゃろ?」

 ひそひそと密談を交わした後に、意気揚揚と引き上げた。
村長のかける声に気付かぬふりをして、そそくさと引き上げた。
“ふん。あんな男なんぞ、呼んでなるものか”



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