=guilty & judgment=
「人間存在」という問題にしても、そんな気がする。
卓上理論をこねまわしているときが、小説内で――自分の空想の世界での行動は楽しいが、実行ということになると無味乾燥ということになってきそうだ。
あくまでもそれは想像であり、まだ実行には至らない。
がそこに実行という形がないゆえに、なにに対しても――あらゆるものに対処し自信を得ても、不安がつきまとう。
だから、つねに自分の存在というものをびくびくしながら見つめているのだ。
歯車の一個たらぬまいとして、存在価値を見いだそうとして焦り、そして不安がっている。
テーブルの上のみかんを盗ろうとしながら、その後の罰に恐れをなしているのだ。
罪ではなく、罰を、だ。
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