昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百七十六)

2022-10-26 08:00:41 | 物語り

「あたしの前では、ずっとそんな竹田くんでいてね。会社で見る、むっつりはだめよ」
「はい。業務命令として、しっかりと承りました。」
「よろしい。社長婦人としての、はじめての業務命令です」
 荷物を置いて最敬礼する竹田に対し、小夜子もまた敬礼で返した。
そこに、どっと改札から出てきた人波に、さよこが飲み込まれかけた。
咄嗟に竹田が、小夜子を抱きかかえてかばった。
「大丈夫ですか? 気が付かずに、申し訳ありませんでした」
「ええ、大丈夫よ」
「出口のそばに車を止めてあります」。人ごみにもまれながら、何とか車にたどり着いた。

「小夜子奥さま。出掛けに、皆に言われたんですが。
是非にも会社にお出で願えって。このままご自宅に向かわれたら、ぼく、袋叩きにあいそうです。
会社に立ち寄っていただくわけにはいきませんか。」
「ええ! そんなの、恥ずかしいわ。武蔵、居ないんでしょ? いやあよ、あたし」
 突然の友だち口調、いつもの見下し口調が、小夜子から消えた。
竹田もびっくりだが、当の小夜子も顔を赤くした。
“どうしたのかしら、あたし。どうしてこんなにドキドキするの? こんなこと、正三さんにもなかったことだわ”
「お疲れでしょうけれども、どうか助けると思われ……。
小夜子奥さま、どうされました? 少し顔が赤いようですけど。
まさかお疲れですか? お風邪を召されてはいませんよね」

「違うの、違うのよ。そう、人いきれしちゃったの。そうなの、どっと人が出たでしょ? だからなの」
「ああ、そうですか。なら、宜しいのですけど。どうしましょうか、やはりご自宅に直行されますか」
「大丈夫よ、風に当たれば、そう、少し風に当たれば落ち着くわ。いいわ、会社に行ってちょうだい」
 無言のまま、窓からの流れ込む風に当たる小夜子。
次第に気持ちのざわめきが落ち着いていくのを感じた。
“あとで体調を崩されたらどうしょう。やっぱり、ご自宅にこのままお帰りいただこうか。
みんな待ってるだろうけど、仕方ないよな。お体第一なんだから”

「あのお、やっぱり、ご自宅へ……」と、恐る恐るバックミラーを覗き込んだ。
「良いって、言ってるでしょ! それより、しっかりと前を見て運転しなさい!」
 ぴしゃりと、強い口調の小夜子。なぜかしら、へりくだった口調の竹田にいらつく小夜子だった。
「竹田のお姉さんって、いくつだったかしら?」
「はい、姉は二十五です。ぼくが今年、三になります。ですので、小夜子奥さまより一つ上です」
 余計なことを言ってしまったと悔やむ竹田だったが、案に相違して小夜子からは「そう」と、ひと言が出ただけだった。
まるで竹田の返事を聞いていないかのごとくだった。



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