大女将からのご返事のこと、お伝えしていませんでしたね。
ありがたいお言葉をいただきました。
「あなたの性根が気に入っての若女将なの。
けっして清二の子どもを身ごもってしまったから、ということではありません。
もしそうならば清二の嫁として、清二とともに叩きだしています。
しっかりと修行をしてきなさい」。
「明水館をでたのは、若女将しゅぎょうの一環だと、みなには話してありますからね」。
「本音をいうと、はやく帰ってきてほしいの。
あたくしも寄る年波にはかてません。
でもあなたの気がすまぬというのなら、いち年の修行をおえて帰ったということにしましょう。
いいですか! 戻るからには、りっぱな、若女将ではなく女将として、もどってらっしゃい」。
さらには、いまお世話になっております瑞祥苑の女将さんあてにも、
「うちの大事な若女将でございます。しっかりと躾をお願いいたします」と、そんなお手紙もそえられてあったのです。
なんという慈悲ぶかいおことばでしょうか。
その手紙を胸にだいて、ひと晩中なきあかしたものでございます。
それにしましても、きびしいご指導でございました。
明水館でのそれとはちがい、口頭でのちゅういやらこごとなどは一切ございませんでした。
もともとが寡黙なお方らしく、ほかの仲居さんたちに聞きましても、大声をあげられることもなく小声でささやかれるていどだと聞かされました。
ただし、見込みがない、にど同じ間違いをおかせば、即、おいだされるとか。
「恐い方よ」と、皆さんがおっしゃいいます。
ですので館内はしずかで、とおくの小鳥のさえずりや木々のあいだぬ抜ける風の音、はては湖水ではねる魚の水音すら聞こえることがあるとおっしゃるのです。
さすがに夜ともなりますとその静けさは、あるいみ不気味でございます。
そこで館内のおくまった部屋で、お琴がひかれています。
それが館内中にとどき、のどかな雰囲気をかもしだしております。
まあ山中にある旅館でございますし、街なかの喧噪からのがれるためにおいでになるお客さまにとりましては、あるいみ桃源郷なのかもしれません。
そうでございますね。ここにおいでになるお客さまといえば、いわゆる文化人、知識人、文人、
そしてあまり好きな言葉ではございませんが、高等遊民といった方々が多い気が致します。
といいますより、いわゆる一般のお客さまは皆無と言ってもよろしいかもしれません。
そうそう、ご指導でございます。厳しいと申しましたが、ある意味では楽でございます。
それなりにこなしていければ、なんのお咎めもございませんし、お暇を取らされることもございませんから。
わたくしとしましても、三水閣で染みついた匂いといったものを落とすためのことでございます。
もちろん、他に得ることがあれば明水館に持ち帰りたいとは思いますが。
ですが、何か落ち着きません。
あまりにゆったりとした時間が過ぎる中で、じりじりとわたくしを責め立てるものがございます。
それがなんのか、当初はまったく気がつきませんでした。
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